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「楠公……って、おもしろいあだ名!」
松田の姿が見えなくなった道を歩き始めてすぐに笑いかけたが、隣は無言だった。
「楠くん?」
「ま、まっつん? 松田のことですか? あ、あの、百合香さんとヤツ――失礼、松田……くん、は、お知り合い、なのですか?」
楠らしからぬ歯切れの悪さに目を丸くした。困惑しきった、すがるような双眸が、百合香に据えられている。
「あ、うん。小学校の同級生なの。五・六年とクラスが同じで、二年間、学級委員を共に務めた仲。私はぜんぜん目立たない存在だったけど、そういう損くさい役を押しつけられがちでねー。でも、まっつんは違うよ。誰もが認めるリーダーだったな」
へへ、と、笑いかけたが、食い入るように聞く楠は硬い表情のままだった。
「そう、ですか……。彼らしいな……。高校でも、松田は存在感がありますよ。成績は常にトップクラスだし、バスケ部の主将として過去最高の順位までチームを導いて……」
「へえ。さすが、まっつん。小学校時代もね、ずーっと成績は一番だったよ。無口で愛想もないけど、女子からも人気はあったな」
「まっつん……」
「うん。高校では違う呼び名なの?」
「セーフレイジとか、普通に下の名前でレイジとか……」
「セーフレイジ?」
「アウトレイジと呼ぶには、松田は温厚すぎますから……」
楠の解説に、数秒遅れて爆笑した。「ああ、そっか! おもしろい!! 男子校って楽しそうだね」
笑いが止まらない百合香を見下ろす楠は、ようやく笑顔らしきものを浮かべていた。
ぎこちない、どこか、悲しそうな笑みだった。
あと一週間ほどで夏休みを迎える土曜の午後、百合香は気持ちが晴れずにいた。
気分転換にと出向いた市立図書館の自習室では少しも集中できず、受験勉強は早々に放棄した。トートバッグ内のテキストの重みを感じながら、子供たちの姿が目立つ図書館内をあてもなくさまよっている。
(本の匂いって、なんか懐かしい)
小学生の頃から利用してきた図書館には、弟共々よく世話になっていた。子供時分には二人で絵本コーナーに入り浸り、中高生になってからもたまに足を向ける。しんと静まった空気と、歴史ある本が放つ古びた空気とが、なにかとせわしない日常と一時だけでも切り離される感覚が心地よかった。
サンダルの音が響かないよう気をつけながら館内を進んでいく。最新の雑誌や新聞が閲覧できるエリアには高齢者が多く座っている。真逆に位置する児童書エリアには子供用の小さな丸テーブルと椅子がいくつか並び、ポップの文字もカラフルで可愛らしい。もっとも大きな空間を占める文芸エリアで速度を落とすと、五十音順に作家を巡りながら、頭ではまったく別のことを考えていた。
(楠くん、どうしたのかなぁ)
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