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「でもね、楠くんのことは、よくわからないの。どんなアイスが好きなのかも、愛読書も……最近、元気がない理由も、なんにも」
己の声すらも、しんみりと元気がない。がらんとしたホールに満ちる沈黙に、やはり答えは出ないのだと暗澹たる気分に陥った。
「難問だな。俺が思うに、相手との関係性がなんにせよ、お互いを100%理解し合うなんて真似は神でも不可能かもしれない。ていうかさ……付き合って間もない相手のすべてを知り得たら、この先どうすんだ、って話だろ?」
淀みなく述べた松田の低い声は正論すぎて、すぐには心に響かなかった。目をぱちくりとさせるしかない百合香に、彼は心底おかしそうな笑顔を浮かべた。
(あ、笑った)
小学校時代、女子の間では稀少がられた松田の笑顔は、学級委員の相棒であった百合香にはわりと身近なものであった。女子たちの嫉妬を買わないために、なるべく素っ気なく接してはいたが、幼稚な男子たちからは、事あるごとにからかわれたものだ。夫婦呼ばわりされたり、黒板に相合傘を書かれたり……揃って私学進学組だったことも一因である。
「俺さ、さっき、皆見に言われたこと、まったく嬉しくないんだけど」
「え? あー……まっつんのことはよくわかる、って言ったこと? 何様、だよね。ごめん」
「そういう意味じゃない。……要はさ、皆見は俺に興味ないって宣言してんだよ。俺にもお前が知らない一面がわんさかあるんだよ? それを知りたいとも思わないわけでしょ? こうして偶然に再会して、内心ではときめいてることとかも、さ」
端整な横顔に笑みを刻む松田は、どこまでも爽快な口調だったが、微かに苛立ちが伝わった。アイスの棒を弄んでいた手を止め、百合香に向けた眼力の強さに、思わず身が竦んだ。
「皆見は俺の――初恋、だった。他のヤツらとは違う、似た者同士だ、一緒にいる時間が楽しいって、ずっと思ってた。……思ってただけじゃ意味ないけどな。ぜんぶ、過去形にするしかない」
言い終わらぬうちに立ち上がった彼は、自販機横のゴミ箱にアイスの棒を放ると、元来た道を歩き始めた。石化していた百合香は反射的に立ち上がったが、昔とは違う、広い背中にかける言葉は出てこない。
十分に距離が開いたところで振り返った松田の足元から、スニーカーが悲鳴じみた音を上げた。
「ここんとこ、俺を見る楠の目に殺意を感じるんだ。頼むから、皆見がなんとかしてくれよ。……友達として、お願いする」
おどけた調子で肩を竦めた松田に、なんとか笑顔らしきものを返す。すぐに背を向けた初恋の相手は、昔と変わらぬ凛とした姿勢で進んでいった。
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