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最終日は、夏を凝縮したかのような猛暑であった。
「今日も暑いね」
「暑いです!!」
力強く肯定する彼の顔に刻まれる笑みは、だいぶ見慣れたものと化した。
「? なんですか?」
相変わらずの敬語も、低音なのによく通る声も、緊張よりも心地よさを伴って百合香に降り注ぐ。さりげなく日光を遮るように立ち位置を変えた紳士を見上げて、口角を持ち上げた。
「いまの笑顔は、なにか原因があるでしょう? いつもと少し違った。なんとなく、やましかったもの」
意地悪な笑みとともに問いかけると、うぐっ、と、頭上で詰まった声が炸裂した。噴き出しそうになるのを堪えて視線を捕えていると、敵は頬を染めて白状した。
「……三つ編みがかわいいです」
ああこれね、と、両肩の上で揺れる髪をつまんで納得してみせる。君のために時間をかけて仕上げた髪型なんですよ――とは、言わない。乙女は秘してこそ乙女なのだ。かわりに満足の笑顔を浮かべて歩き出す。高校三年一学期最終日――明日からは夏休み、だ。
きちんと歩幅を合わせてくれる長身の「彼氏」を盗み見る。ぴしっと背筋の伸びた横顔はまっすぐに前を向いていた。
(相乗効果、ってヤツかしら?)
百合香が恥じらいもなにもなく大笑いを見せてからというもの、楠もよく笑うようになった。
(笑うと意外とかわいいのよ。犬みたい。なんだっけ? 外国の大型犬で……毛色が三色の……)
出そうで出ない犬種名のせいで眉間に皺を寄せていると、いつの間にか楠に見つめられていた。以前であれば心配してくれるところだが、彼もまた百合香に慣れたのだろう。慈愛の微笑を返す余裕を見せつけてきた。
「また、突飛なことを考えていますね。こうして同じ道を一緒に歩いていても、百合香さんの脳裏に広がる世界は壮大すぎて、凡人の俺には想像がつきません!」
「……褒め言葉として受け取るね」
はい!――弾むような返事に笑いが零れる。他愛ないやり取りを繰り返す二人の足並みは極めて遅く、ようやく内堀に差しかかったところであった。
「あっ!!」
暑さでより淀んだような色味の堀水を前に、大事な約束を思い出した。怪訝な表情で立ち止まった楠に直り、バッグからブツを取り出す。
「自然光がいちばん、って、佳良が言ってた。あ、それにタチアオイも元気に咲いてる!」
カメラを手にはしゃぐ百合香に、楠は何度か瞬きを返した。「姉弟そろって写真が趣味なんですか?」
ううん――短く否定し、背景にふさわしい場所を考える。うだるような暑さの中、萎れることなく大らかな花を揺らすタチアオイの群生へとカメラのピントを合わせた。
「佳良に頼まれたの。『楠先輩の自然な笑顔を取りたい。恋人である姉ちゃんがカメラマンなら激写できるはずだ!』……って」
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