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衝撃の出会いから、約一ヶ月――百合香と楠の「交際」は、下校を共にする(だけの)仲となった。塾や委員会など、互いの予定がある日を除き、週半分ほどの逢瀬である。
「それはもう『彼氏』でいいのよ!」
公開告白は同じ女子校の生徒たちにも目撃されたために、友人たちからもしつこく追及された。彼女たち曰く、百合香はどうにも淡白なので、楠くらい情熱的な相手がちょうどいい……そうだ。
(情熱的、ねえ……)
じっと見上げる百合香の視線に気づいた楠は、びくっと飛び上がる素振りを見せ、いかつい、でも、綺麗な稜線の横顔を染めた。
「な、なにか、付いてますか?」
「ううん。思い出してただけ。ここで楠くんに出会ったなあ、って。佳良――弟は、あの日、内堀沿いの花を撮影しようとしてたの」
立ち止まった場所は、ちょうど内堀横である。百合香のせいで楠が泥まみれとなった記念すべき場所は、タチアオイが満開だ。気怠げに揺れる背の高い花々は、空梅雨で開けた夏に咲き誇っている。
「この花の葵っていう字、楠くんの名前と同じだね」
「はい!……そういえば、百合香さんもお名前は花ですね。清楚な雰囲気にぴったりです。……そうか、花繋がりか……なんという偶然……!! なぜ、俺は気づけなかったのか……」
ぬおぉ、と、拳を固める彼に自然と笑みがこぼれる。胸に広がる温かな感情は幸福に裏打ちされてはいるが、甘さは控えめだ。嘘偽りのない彼の実直さが、まっすぐに百合香を見つめる眼差しが、大いなる安心感を生むものではあるけれども。
「楠公――!!」
突然の騒がしい声に、二人揃って顔を向けた。
進行方向にたむろする一行は、楠と同じ橘学園の生徒である。四~五人ほどの男子高校生はいずれもガタイがよく、運動部の生徒が多いという楠のクラスメイトなのだろう。
「いいなー、彼女と下校なんて!」
離れた位置から一人が大きな声を上げると、他の数人も盛大に囃し立ててきた。小学生以来となる「男子の悪ふざけ」に、百合香は赤面してうつむくしかないが、楠は違う。ライオン顔負けの咆哮に、男子たちは笑いながら走り去っていく。
「あ」
静かになった道の先に、一人だけ残った男子生徒がいた。楠と大差ない長身で、長い手足が目を引く。太い黒縁眼鏡の奥で、くっきり二重の瞳が一つ瞬いた。
「まっつん!」
「久しぶり。……邪魔したな」
短く呟くと、彼は軽く手を上げて背中を向けた。キビキビと歩く後ろ姿、真っ黒の短髪、黒縁眼鏡が似合う怜悧な顔立ち……。
一ヶ月ほど前、佳良が撮った写真に彼の姿を認めて驚いた。
松田玲士は、少年時代の面影を残したまま、百合香の前に現れた。
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