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理由
「何故生きるのか」
そう問われた時、私はなんて答えるだろうか。
食事をするのは、腹が減るから。
息をするのは、しないと苦しいから。
眠るのは、眠くなるから。
"生きるため"の行為も、実際はもっと単純だ。
生きるために、何かをしたことがあっただろうか。
今まで漫然と生を浪費してきた私にとって、「生きること」は目的ではなく結果に過ぎないのだ。
「死にたい」と思ったことは何度もあったが、「生きたい」と思ったことはなかった。
それはきっと、私にとって「生」は平等に与えられるもので、「死」は不平等なものだから。
一般論とは真逆の言い分なのは百も承知だが、私はどうもそう思えてならない。
産まれ落ちた瞬間、きっと人は誰しも平等だ。
その瞬間の先に、等しく「人生」が存在する。
だけど、死にゆく時、人はきっと不平等だ。
死が訪れる瞬間は、勝手にその人の人生を決めてしまう。
人生は平等。だから誰にでも幸せになるチャンスがある。
でも不平等な死が、そのチャンスを奪っていく。
理不尽な世界だ。
生きる意味も理由もわからず、いつ訪れるかも分からない不平等な死を待ち続けなければならないのだから。
それでも私は息をする。
それは決して生きるためではないけれど。
「何故生きるのか」
そう問われた時、私はなんて答えるのだろうか。
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