1.蛍

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 前髪を整えると、大きな瞳がよく映えて、根暗そうな雰囲気が少しだけ緩和された気がする。全体的にばさばさだった髪も、傷んだ毛先を軽く切るだけで、随分良くなった。 「……ーーとう」 「あ?」  不意に固く閉じられていた蛍の口が動いて、微かに聞こえた声に目を見開く。驚きと、小さすぎる声量で聞き取れなかったが、聞き取れないでいると、もう一度口が動く。  耳を澄ますと、今度はちゃんと、『ありがとう』言ったのが分かった。 「…………おう」  不覚にも、なんだか感動してしまった。  しかも律儀なのか何なのか、こいつがしっかり目を見て言ってくるもんだから、いやに照れ臭い。  流れてしまった妙な雰囲気を吹き飛ばすため、目線を逸らし、態とらしい咳払いをひとつして、頭をがしがしと掻きむしった。 「……光源氏の真似事です?」  ふと庭の方から姿を現したのは、前髪が初々しい一人の少年だった。生意気な目が特徴の、数えで十四になったこのクソガキは、沖田宗次郎という。ここ試衛館道場の門弟である。  面倒なやつが来た、と思わず溜息が出る。つーか、何だよ光源氏って。 「んな趣味ねえよ」 「じゃあ誰なんですか?その子。土方さんが連れ込んだんじゃないの」  じとっと目を細める宗次郎。どうやら先程の光源氏がどうたらというのは、紫の上と結びつけたらしい。馬鹿らしくて笑える。  まず、こいつは事あるごとに俺を女誑しだなんだと言いたがるが、まったくの誤解だ。女の方から寄ってくるんだ。  阿保か、と宗次郎の嫌味を鼻で笑って一蹴した。 「聞いてねえのか?」 「聞いてません。俺ずっと道場にいましたから」  たしかに姿が見えないとは思っていたが。服装と汗で濡れた髪から察するに、剣術の稽古でもしてたんだろう。  こんなひょろっちい見た目だが、宗次郎の剣の腕は一級品だ。会った当初はただの泣き虫の弱虫だったくせに、もともと才能があったらしく、本人の努力も相俟って、今では試衛館の門弟の中では一、二を争う腕前なんじゃないかと思う。だとしても俺には敵わないが。  ちなみに、末っ子だった俺が子供の相手に耐性があるのも、こいつが由縁である。 「勝っちゃんが拾ってきたんだよ。身寄りがねえからって」
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