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デッド・オア・アライブ
死が二人を分かっても、ゾンビとして共に過ごす。雨野の決意は固いようだった。ゾンビ研の中でなら、きっともっと生きることが出来るのに。ユミは何だか哀しくなる。
ゾンビ研の目撃情報によると、ニナは医学部棟を彷徨っているようだった。
「もし雨野がニナを探しに医学部に行くのなら、私たちもこの機に実行したい作戦がある。」
阿久津は農学部3号館に雨野たちを呼んでいた。3号館の部屋では、医学部の聡子が捕らえたゾンビを愛しそうにいじめている。
「見て。このゾンビ君に防腐剤を打ってみたの。素敵よね。良い身体してる。ほら、お腹触ると、ウーウーって。ゾンビは面白いなあ。」
ゾンビで嬉々として遊びながら、聡子は言った。彼女もまた狂っているとユミは思った。
「聡子さん、もう良いから。実験を見せてくれないか。」
阿久津が指示する。
「オーケー。見てて。ゾンビ君はねぇ、人間だけじゃなくてモルモットにも反応するんだ。可愛いよね。でもこっちのモルモットを見ても何も言ってくれない。まるで見えてないみいに。何でか君分かる?」
聡子がユミを指差して聞いた。
「いえ、何ででしょう。」
「えっ、何?君、ワールドウォーZは観てないのかな?あれは傑作なのになあ。仕方ないなあ。このモルモットはもう殆ど死にかけなんだよね。というのもさっき私が致死量ギリギリのモルヒネを打ったからなんだけど。つまりね。ゾンビウイルスは死にかけの身体には反応しないって訳。ゾンビ君は死んでるのにね。可愛いよね。」
聡子が説明することには、その映画のようにゾンビは死にかけの生き物には興味を示さないので、薬で死にかけの状態を作れればゾンビの群れの中を平然と歩くことが出来るのだということらしい。
「素敵だよねぇ。ゾンビ君たちと共存出来るんだよ。」
そして聡子は既に人間を死んだように見せかける薬を作っていたのだという。具体的には、人間の盲腸にある細胞だけを対象にして、細胞の寿命を決めるテロメアを極端に短く出来るのだという。これによってほぼ健康体でありながら、ゾンビの目には瀕死に映る状態を作り出せる。
「聡子はまた嫌な薬を作ったものだな。私は耐えられないよ。ニナがゾンビになっても私をスルーするだなんて。」
雨野が身震いして見せるが、ゾンビ研のメンバーは聞こえないふりをした。
「その薬が、ニナのいる医学部棟にあるんだ。もし雨野がニナを探しに医学部棟に行くなら、我々も同時にその薬を取りに行く作戦を実行するのが最もリスクが低い機会だと考えている。」
つまり、ニナに噛まれてゾンビになりたい雨野を囮にして、薬を回収するという作戦らしい。阿久津は人格者だが冷徹なところがあるようだ。
「それなら私も行きます。」
ユミは言った。雨野にはここまで連れてきてくれた恩がある。雨野がゾンビになってしまう前に、恩は返しておかねばなるまい。
「良いねぇ。良いねぇ。ユミちゃんも、もしゾンビになっちゃったら私が防腐剤をぶち込んであげるからね。」
「医学部棟へはこの農学部キャンパスから陸橋を渡って直ぐの建物から入ります。屋上から梯子を掛けますので、雨野さんは上からニナさんを探して下さい。ユミさんは雨野さんの援護、ゾンビたちが上に向かう隙を見て、阿久津さんと聡子さんと私は2階の研究室で薬を回収します。」
佐々木が作戦を説明した。研究机には物騒な銃器が並んでいる。
「これはどうしたんですか?」
「工学部の研究員が対ゾンビに備えて3Dプリンターで製造していたものだ。弾丸には薬剤を込めることが出来るようになっていて、ゾンビの動きを止める例の痺れ薬を使う。私たちは銃の扱いに慣れている訳ではないが、頭を打ち抜けなくてもこれで何とかなる。もう一方の弾は防腐剤入りだから、ニナと、ゾンビになった後の雨野に撃ってくれ。」
それぞれの弾をユミが受け取る。その弾で雨野を撃ち抜くところを想像すると、ユミは心臓がキュッと苦しくなるような気がした。
「聡子さん。ゾンビを人間に戻す薬って作れないんですか?」
雨野がニナを死ぬほど好きなのだとしたらそれは仕方ない。でもなるべくなら生きて愛して欲しいとユミは思った。しかし現実のゾンビワールドは厳しい。
「それは無理だなぁ。だってゾンビ諸君は死んでるんだから。生と死の境界は跨ぐべからずだねぇ。」
生死の境のすれすれを行く薬を作った聡子が残念そうに言うのだった。
※ ※ ※
ユミと雨野は屋上に待機をしていた。梯子を渡った先にはゾンビの群れが押し寄せるはずだ。それを掻き分けながら雨野はニナを探すのだろう。ゾンビのニナが雨野に噛み付いて離さないでいるうちに、雨野もゾンビ化していく。雨野はそれが文学的で甘美な瞬間だと言うが、ユミには全く理解しかねる。
「ねぇ。ニナさんのことは忘れて、私と生きる道はないの?」
耐えきれずユミは雨野に聞いた。答えは分かっていたけれど、聞かずにはいられなかった。
「ありがとう。本当はそうした方が幸せなのかもしれないね。ゾンビカルチャーがこれほど人を惹きつける理由の一つは日常と非日常の逆転なんだ。西洋ならサトゥルナリア祭とか、日本ならハレとケだね。ゾンビ映画で生き残るのは、日常で抑圧された人々なんだよ。私もゾンビ研もゾンビ世界の方がよっぽど生きやすい。しかし私はどうしてもニナを忘れることが出来ないんだ。」
「そっか。ねぇ、私も日常が抑圧されていたように見える?」
「君は素敵だしそうは見えないけれど。生きてると色々あるだろうからね。」
いずれにしても、もうこの世界は元の世界でないのだ。
雨野は独り医学部棟の屋上に立った。ゾンビを金属バットでなぎ倒しながらニナを探す。ユミは梯子の向こう側から狙撃して援護した。聡子の薬は良く効いてゾンビは動きを止めた。すると突然雨野がバッドを下ろした。目の前には女子大生らしきゾンビがいた。きっとあれがニナだと分かる。ゾンビたちに囲まれながら、雨野とニナは一歩づつ近づいていく。その姿を見て、その瞬間を雨野が甘美だと言ったのがユミにも少しだけ分かるような気がした。
もう医学部棟の階下では阿久津たちが薬を回収しただろうか。ユミは防腐剤入りの弾丸をニナの太ももに命中させた。ニナは一瞬よろめいたが、また次の一歩で雨野に近づいた。
二人の距離がまた一歩、一歩と縮まっていく。ユミは再び心臓が締め付けれるのを感じた。手元には防腐剤の弾と痺れ薬の弾がそれぞれ残っているのを確かめた。
そこでユミは気付く。ユミにはゾンビ化した雨野の心臓を防腐剤で撃ち抜く以外に、もう一つの選択肢があった。ユミの銃口は雨野とニナの間に振れて定まらない。ユミの頬に涙が伝わる。ユミは遂に弾丸を銃に込めた。
階下では薬を持ち出すゾンビ研の面々がユミに合図を送っているが、世界は静かだった。
パン。乾いた発砲音は生と死との間を確かに分かつように聴こえた。
了
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