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鈴木さん
朝早くから、田中は不審そうにパソコンの画面を見つめていた。きのう出たばかりの最新の適中率が表示されているのだが、百パーセントとなっている。つまり、わが社の天気予報はすべて当たっているということになる。自社の技術には自信を持っていたが、いくらなんでもこれはおかしい。
「適中率、すごいな」
田中は部下の佐藤を呼びだして言った。口調には、どういうことだ? との疑問をにじませている。佐藤は言い訳をするように答えた。
「はい、私もチームの者と一緒に何度か確認しましたが、間違いありません。最近の予報は完全に適中しています」
それから佐藤は息を吸い込み、まわりを見回すと田中に顔をよせ、ささやくような声で付け足した。
「ほぼ、一か月前からです」
こんな時に縁起でもない冗談を言うな、と佐藤を叱ろうとしたが、そのかすかに青ざめた顔を見てなにも言えなくなった。
一か月前、顧客担当の鈴木がトイレで首を吊った。遺書には、はずれた予報に対する顧客からの激しい苦情に耐えかねてとあった。田中を含め、社の上層部は彼女ひとりが苦情の矢面に立っていたのは知っていたが、人手不足のためと、なんの利益も生まない苦情処理に関わるのに積極的になれず、なにもかも彼女にまかせていた。それがあの悲劇を生んだ。
その後、お決まりの噂が流れているのは田中も知っていた。夜中に鈴木が使っていたパソコンが勝手に起動するとか、トイレで泣いている姿を見たとかだ。彼は時間がたてば消えていく類のくだらない話だと思っていた。
しかし、佐藤までそんな馬鹿な話をするとは。ひとつ言っておかないといけないかもしれない。
「あの件は私も残念に思っているし、業務改善にも努めている。だからちゃんとした理由をつきとめてほしい。それにオカルトじみた戯言は亡くなった方に失礼だぞ」
佐藤はまじめな顔でうなずいた。
「はい。私もそう思っておりますが、データはデータです。適中率百パーセントはエラーではありませんし、そうなったのは約一か月前からです。偶然でしょうが」
「なにか心当たりは?」
「他に一か月前にあった変化と言えば、計算時間を借りている業者を替えたくらいです」
「しかし、百パーセントをたたき出すほどの優秀なコンピュータなのか? ドイツのは」
「いいえ、変更の目的はコストでしたから、能力はほとんど変わっていないはずです」
ふたりは他にも様々な可能性をあげては打ち消した。どう考えても説明できない。
「とにかく、こんな数字は上には提出できない。私のところで止めておくから原因追及を頼む。最優先で。三日以内だ」
期限を切ったところでなにも浮かんでは来なかった。調査に専念させるためと、変な噂がひろまらないように小会議室を確保してそこで作業を行わせている。しかし、初日と二日目の進捗報告はだらだらと長かったが、要するに、事態の解明が一歩も進んでいないとしか書かれていなかった。明日が三日目だ。田中は覚悟を決めた。ありのままを上にあげて全社的な調査に切り替えよう。
その夜、田中は変わった夢を見た。鈴木がパソコンに向かって作業をしている。キーボードをたたき、長文を入力しているらしいが画面はよく見えない。
夢は、鈴木がこっちを見てにやりと笑ってメモを差し出して終わった。メモには鈴木の社員番号とパスワードが書かれていた。パスワードは彼女の出身地の名物料理の名前だった。
翌朝、小会議室に顔を出すと、佐藤が情報管理の担当者と一緒に鈴木のパソコンを持ち込んで作業していた。嫌な感じがした。その担当は適中率百パーセントの異常統計を知っており、佐藤とともに調査をしている者だった。
「おはよう」
挨拶をしてもふたりとも返事をせず、手招きをする。田中は佐藤の肩越しに画面をのぞき込んだ。
そこには長い文章があり、冒頭で鈴木と名乗っていた。
「ひどいいたずらだな。それとも侵入されたのか?」
「いいえ、実はわれわれ二人とも昨夜おなじ夢を見たんです」
佐藤が青い顔で言った。その顔は、田中がパスワードの料理名を口にすると色を失った。情報管理の担当者はもう一度侵入の形跡がないか確認してくると言って出て行った。しかし、本当はこの場にいるのが耐えられなくなった様子だった。
「その文章の内容は?」
「告白です。自分のしていることの。なぜ言いたくなったかは分かりませんが」
田中の声もすこし震え気味だった。佐藤が画面の単語を指さしながら、つっかえつっかえ説明する。
「地縛霊?」
「ええ、自殺した者は成仏できずにその場に縛り付けられるのだそうです。で、鈴木さんはそうなったのだと書いてあります」
「それで? 坊さんでも呼んでほしいのか」
「それについてはなにも。ただ、予報がはずれないようにしていたとあります。もう苦情は聞きたくないからと」
「どうやって? 天候の操作なんてできるのか」
田中は昨夜の夢もあり、もうばかばかしいとは思っていなかった。昔習った古典の授業を思い出したが、天候を操作できるほどの霊であれば、相当の怨みを飲んだに違いない。
「いいえ、鈴木さんのやり方はこうです」
そう言って、佐藤は文章中の言葉を二つ反転させた。
『多世界解釈』『平行宇宙』
田中はその後の文章に目を走らせたが、内容が頭に入ってこない。いや、理解したくない。
「大学の物理で聞いたことはあるが、まさか」
「否定できません。適中率百パーセントは事実です」
「じゃあ、予報にそって天候を変えているんじゃなくて、予報の通りの天候の地球がある宇宙に移動させているのか。われわれを」
「そう書いてあります」
「朝一なのに、酒がほしいな」
「私もです。代わりに濃いコーヒーでどうでしょう」
再調査、さらに外部の業者を入れた調査でも侵入の形跡は発見されなかった。田中はすべての結果を上層部に報告した。この結果を提出するにあたり、場合によっては腹を切るつもりだった。第三者から見ればばかばかしいにもほどがあり、業務遂行能力を疑われても仕方がない。それでも、叱責は自分だけにとどめようと考えていた。
しかし、上層部はその報告をすんなり受け入れた。話しているうちに分かったのだが、鈴木の夢は上も見ていたらしい。そして、当面は事情を知る者はこれ以上増やさないこととなった。
さらに、上はこの事態を怖れるよりも利用するつもりだった。適中率百パーセント。これはどう転がしても莫大な利益を生む。会議室では、投資や投機計画が動き始めようとしていた。田中の報告は、その勢いを強めただけだった。天候を変えているのではなく、予報通りの平行宇宙に移動しているのであれば、気象データのつじつまが合わなくなって混乱が起きることはない。他社から見れば、非常に正確に予報をする技術を持った会社としか見えないだろう。
もうひとつ、その会議で例のトイレは使用禁止にされた。一般社員の間には、あの話は本当だったんだとさらに輪をかけた噂がひろまった。だが、真相は、気味悪がっただれかが清めの塩をまいたり、ありがたいお水を頂いてきたとか言ってふりかけたりして鈴木を成仏させないためだった。
そう、ずっとここにいてほしい。と田中は思った。もう怖くなんかない。子供の進学もある。家のローンもある。みんなそうだ。会社は利益を上げ、社員も潤う。理想的じゃないか。ありがたい、ありがたい。
手を合わせようとして、はっと思いとどまった。これは事情を知るみんなに徹底しないといけない。どんなに感謝しても手を合わせちゃいけない。
できるだけ長く怨霊でいてもらわないとな。
田中は自分の明るい未来を想像しつつ、成仏について調べ、できるだけ遅らせる方法の検討を始めた。
(了)
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