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猫
「お前は、どうしたい?」
夜、自分の通っている学校の屋上で、170cmはある長身の女性に俺はフェンスに背中を強かに打ちつけられ、所謂壁ドン(フェンスドン?)状態だった。
いや、ただの女性だったら良かったんだが…。
「どうした。私の顔に、何かついているかな?」
顔、というか、頭に……。
女性の頭には、猫の耳らしきものがあった。背中からは尻尾のようなものも見える。
「貴方は……猫なんですか?」
瞬間、女性は俺の首に左手を持っていき、首を締めた。
「ヴ…グ……」
俺はその時場違いにも、この女性は左利きなのだろうか、と考えていた。
「そうだと言ったら…どうする?」
俺の首を締めながら、楽しそうな顔をして聞く。
「グ……」
しかし、俺は答えたくとも声を出す事が出来ない。
「おっと、すまない。すっかり忘れていたよ。」
そう言いながら、首を締める手を緩めるが、決して離す事はない。
「それで、お前の言った通り、私が猫だったらどうするんだ?」
「耳を触りたいです。」
「…………それだけか?」
「え、まぁ欲を言うなら、というかあるなら肉球も触りたいです。」
「私の体とか顔とか見て思うことは?」
「そうですね…爪が結構伸びてるので綺麗に切りたいです。あと髪とかもっと綺麗に整えたいです。」
「そういう事じゃないんだが……ほら、私にいやらしい事をしたいとか。」
「…………貴方が望むならやぶさかではないですけど…。」
「やめろ、私が欲求不満の変態みたいじゃないか!」
「違うんですか?」
「違う!」
女性は溜息を吐くと、俺の首から手を離した。
「お前はどうやら、三大欲求の一つが欠けているらしい。」
「確か睡眠欲と食欲と性欲ですよね。確かに人より若干睡眠欲が多いと思いますけど性欲だってちゃんとありますよ。エロ本だって普通に買います。」
「お前のエロ本事情に興味はない。」
「じゃあ聞かないで下さい。」
「聞いてない!」
「あれ、そうでしたっけ?」
先程よりも盛大な溜息を吐くと、女性は目を合わせるために腰を屈めた。
「再度問う、お前はどうしたい?」
「……………死にたい。」
「なら、今すぐ殺してやろうか?」
「あ、それは結構です。」
「は?」
キョトン、とした顔をする女性に、やはり猫みたいだな、と考えていると。
「………何故だ?死にたいのだろう。」
「はい。確かに死にたいんですけど、俺のその勝手な考えに貴方を煩わせるのは申し訳ないと思いまして、というか、それで死んだ後に罪悪感とか感じるの嫌なんで。」
「…お前、結構身勝手だな。」
「初めて言われました。」
「そこはよく言われます。じゃないのか…。」
「いやいや、身勝手だとかよく言われてたら、それはもう身勝手じゃなくてエゴイスティックですよね。」
「………まぁ、いい。つまり、お前は一人で死にたい訳か。」
「はい、そうです。」
女性は屈めていた腰を戻すと、俺が自然と
少し見上げるようになってしまう。(俺の身長は168.7cmだ。)
「じゃあ、なんで私を呼んだんだ?」
「呼んだ?」
名前を呼んだ覚えはないし、そもそも名前を知らないのだが……。
「………名前をですか?」
「違う、呼んだって言うのは召喚したのかって意味だ。…………まて、お前が私を呼んだんじゃないのか?」
「えっと………分かりませんけど、呼んだ覚えはないです。」
「はぁぁぁ!?」
「うおっ、近い近い。」
いきなり顔を近付けてくるので、思わず両手で押し返してしまった。
「お前、まず私が何者分かってないのか?」
「……猫?」
首を傾げながら言うと、またもや盛大な溜息を吐かれてしまった。解せぬ。
「私は猫魈。妖怪でな、妖怪の中でも私は強い力を持っている。故に、霊力は強力だ。だから、私を呼ぶには、それ相応の霊力や魔力がいるのだが……本当に私を呼んだ覚えはないのか?」
「はい。」
「…………………血は流したか?」
「血?…………あ。」
そういえば、と思う。フェンスの上に登って飛び降りようと(俺が屋上に来た理由はそもそもこれである。)思って、フェンスに手を掛けた時、運悪く掌を切ってしまったのだ。
「という事はありました。」
「その時、何を思った?」
「え………。」
その時…その時………。
目の前が真っ暗になるような感覚、その瞬間感じるのは、確かな憎悪。
『死ねよ。』
俺も思ってるよ。
『なんで生きてるの?』
ホントにな。
『お前に価値があるとでも思ってるわけ?』
思ってるわけないじゃん。
そう、誰かが自分に向ける憎悪を感じる。
それと同時に、微かな、本当に微かな、自分が誰かに向ける憎悪。
『この世界は、存外私達に優しいのよ?』
そう言って笑う保険医に、思わず嗤ってしまう。
保険医は言っていた。自分も昔、少しだけ虐められていた期間があったと、そして、その期間は死にたくて死にたくて仕方がなかったらしい。しかし、そんな時に今の旦那と出会い、自分は救われた。
だから、世界は存外優しいらしい。
(ああ…ホントに……)
反吐が出る。
それからもペラペラと自分が虐められていた事を話しながら、俺に紅茶を勧めてくる。(勿論飲まない)
その話から分かった事は、保険医が虐められていたのは約半年で、憂さ晴らしの虐めで、物がよく無くなって、母の形見を川に投げられた時は本気で自分も川に飛び込もうと思って、でも最終的には今の旦那に出会った。そんな、ハッピーエンドの話。
どうやら、保険医は勘違いをしているらしく、自分は俺の救世主だと思っているのかもしれない。
俺は別に虐められていない。俺は憎悪を向けられているのだ。
憂さ晴らしの暴力ではなく、確固たる憎悪を込めた暴力なのだ。
そして俺は、それを受け入れている。
そして死にたいというのは、別に俺が辛いからとかじゃない。俺に死ねと言いながらも、誰も殺さない。だから、誰かに殺されてしまう前に俺は自分を殺すのだ。
だって、誰かに殺されるという事は、俺の人生が俺ではない誰かに強制終了されるという事。
そんなのは絶対に許せない。誰かに死ねと言われて、それに賛同はするが、殺さしてくれと言われても賛同しない。
俺はおそらく、俺が一番可愛いのだろう。
だから、俺は保険医の薄っぺらい同情を向けられるのに虫酸が走るのだ。
だから、俺は憎悪を向けたのだ。
だから、保険医は死んだのだ。
そんな、文字に起こすと長い回想を、頭の中では2秒くらいで通り過ぎた。
その時、思ったのは………。
『死ぬのか……。せめて、誰かに見送られて死にたかったな。』
自分に同情しない。綺麗事を言わない。俺に憎悪を向けさせない。そんな誰かに。
そうして、自分はいつの間にか現れた女性、基猫魈により、背中を打ちつけたのだ。
「とまぁ、こんな感じです。」
「重っ…一気に霊力持ってかれたみたいになったわ………。」
「え、なんかすみません。」
「いや、別にいいんだけど…。」
まさかの4度目の溜息を吐き、再度こちらに向き直った。
「とにかく、お前は無意識だとしたも、お前は私を召喚した。つまり、お前は対価を払わなければならない。」
「対価?」
「そうだ、お前は、私に何を差し出せる?」
ニヤリと、妖怪らしく(他に妖怪を見た事はないが)笑うと、辺りを火が包んだ。
「安心しろ、これはお前が逃げないようにしているだけだ。害は与えない。」
それはつまり、逃げようものなら燃やす、と言う事では……。
「対価って言われてもな…俺は今から死ぬ気だし、諦めるって手はないんですか?」
「それはない。召喚=契約だ。お前が対価を払わなければ私は還れないし、還る気はない。」
「んー……あっ!じゃあ貴方が決めて下さい。」
「は?」
名案だと言う風に猫魈を指さしながら言った。
「………それでいいのか?」
「はい。」
「そうか…………じゃあこうしよう。」
そう言うと、猫魈は少し距離をとり、俺と対面する形になる。
目を閉ざしながら、左手(よく見ると先程よりも爪が伸びている)をスッとこちらに向けた。
「私、名を猫魈。真名を儚花。今、この時から、寿形 柊樹と契約を結ぶ。」
ゆっくりと、目を開ける。青色だった目は紅くなり、漣の様な静かな目だった。
「望みは死、対価は生。この血を持って、このに契約は成立した。」
伸びた爪で自分の掌を刺し、血を流す。その血が、いつの間にか屋上の地面に出来ていた金色に光る印に落ちた瞬間。
「っ!!」
体がドンッと押し潰される様な感覚がし、実際体は地面に倒れた。
「ガッ…ハ……」
口から血が溢れ、上手く息が出来ない。鼻からしようと思っても、どうやら鼻血も出ているようだ。
「おうおう、大丈夫か?」
顔を覗き込んでくるが、その顔はニヤニヤして楽しそうだ。
「ハッ……、最悪…だよ……ゴハッ…」
本格的に血が無くなり始めたのか、目の前が霞み、猫魈の顔もよく見えなくなってきた。
(ああ…やっと死ねるな……。)
と、思っていたのだが。
「残念だな、お前はまだ死ねない。」
「は?……なんで……。」
かすれかけの声で言うと、猫魈はこれまた楽しそうに言う。
「私は契約によりお前の死を見届ける。お前の望み通りな。だが、その対価として生きろ。言っただろう?望みは死、対価は生だと。」
ケラケラと、声を上げて笑う。
落ちていく意識の中で思うのは、猫魈は何故着物を着ているのか、妖怪だからだろうか、今更きちんと猫魈の姿を見たための場違い甚だしい疑問だった。
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