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「じゃあ」 「ま、まだあるのかな?」 「ん、これで最後だよ」 わたしはそう言って、一冊の手帳を取り出した。 「それは……もしかして……」 あなたはそこまで言いかけてから言葉を止めて、ちらっと、わたしのほうを見た。様子をうかがうように。 あなたはそういうところ、あるよね。自分からはちょっと言いたくないってことなんだろう。甘えっ子みたいで、ちょっとずるい仕草だ。 「そう、二人の予定を書き込んでいたスケジュール帳だよ。懐かしいでしょ?」 夏になったら海へ行こう。九月の連休にはどこか旅行に出かけよう。二人の記念日には、何か特別なことをしよう…… そうやって、二人で過ごす特別な日、未来の予定を書き込んでいた、幸せの詰まったスケジュール帳。 三年分の予定を書き込めるようになっているけれど、残念ながら、途中で止まってしまっている。続きが書けないほど、ビリビリに引き裂かれてしまっているから。 「二年半前だったよね。あなたが突然、『他に好きな人ができた。別れてほしい』って言い出したのは」 「……うん」 「ショックだったなあ。まさか、ずっと一緒の気持ちだと思っていたあなたが、そんなことを言い出すなんて、って」 わたしはまたしても、心の平衡感覚を失いかけた。でも、カッターナイフで腕に刻み付けた誓いが、わたしを押しとどめた。 「でも、大好きなあなたが決めたことだからって、何も言わないことにした。笑って見送ることにしたんだよ」 そう、わたしは成長して、同じ過ちは繰り返さなかった。あなたの決断を疑ったり、取り乱して迷惑をかけたりはしなかった。 その代わり、このスケジュール帳は徹底的にビリビリになり、原形をとどめないほどになってしまったのだけれど。 わたしが「何があってももうあなたの言葉を疑わない、傷つけるようなことはしない」って、五年前のあのときに宣言してから、あなたは、だんだん、その誓いは本当なんだって理解してくれていった。  たまに、他の女の人にふらふらっと引き寄せられていっては、バレる。あなたは謝り、そして、瞳を潤ませながらわたしを見る。そしてわたしが、怒らないで、もうやってほしくないなって優しく諭す。わかった、もうしないよ、そんなときいつもあなたはそう言って、その後同じことを繰り返す。 このときには、わたしももう理解していた。 あなたは、そういう人なんだと。わたしという恋人がいても、ふらふらせずにはいられない人なんだと。わたしが腕に傷をつけてまでした誓いがあるから、バレても前みたいに傷つけられかける心配はないと踏んでいるフシがある人なんだと。そもそも、五年前の先輩女性社員との一件も、もしかしたら本人の証言するような全面的な被害者ではなかったんじゃないかとも思う、その後の所業を見ていると。 今はもう使えないスケジュール帳だって、そもそも二人でつけようって言っていたのに、結局最初の頃以外は全部、わたしがひとりで書き込んでいた。 慌てて調達したコップや歯ブラシ、彼は喜んで使っていたけど、自分で買い替えることはしなかったし、その後ほぼ住み着いた状態だったのに、家賃について言及することも、一度たりともなかった。 いや、そもそも、何かプレゼントを買ってもらったという記憶も、初めてのデートの安物のお守り、ただひとつだけだ。 ……それでも。 「今思うとね、やっぱりわたしの選んだ行動は間違ってないって思えるの。……だって、こうして、やっぱりあなたは私のもとに戻ってきてくれたんだもの」 「本当? ……それなら、よかった」 ほら、そうやってきっちりと微笑んでみせるところ、ブレないよね。 本当に、どうしようもない人だなあ。 さんざん振り回されたし、さんざん振り回したにもかかわらず、「それならよかった」なんてへらへらっと言えてしまうの、とんでもない図太さだよね。 それでもあなたの姿を見ると、その言葉を聞くと、その笑顔を向けられると。 「もう、どこにも、行かないよね?」 「うん、もちろんだよ」 うん、たぶん、そんなことないと思う。 きっとまたすぐに、ふらふらと別の誰かに惹かれていくかもしれない。 でも、いいの。 最終的に、わたしのところに戻ってきてくれればね。 他の誰のもとに行こうと、きっとその先々で、いずれあなたの本性にみんな幻滅するでしょうから。 わたしくらいしか、こんなダメダメなあなたを、受け止められはしないでしょうから。 ねえ、覚えてる? 七年前のわたしが、物凄く緊張しながら、あなたに告白した言葉。 「たとえあなたがどんな人でも、わたしの気持ちは変わりません。ずっと一緒にいたいの」
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