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「ねえ、覚えてる?」
「今度は、何だい……」
わたしが取り出して見せたのは、何の変哲もない、カッターナイフ。
「これは……」
「ヒントは、五年前の九月、だよ?」
あなたは黙って考えている、でも、わかりやすいヒントも出したし、もうとっくに思い至っているのかもしれない。口に出さないだけで。
「これはね? あなたが職場で先輩にたぶらかされたときに、わたしが持ち出したカッターナイフです」
そう。
五年前、あなたが入社したばかりの職場で、先輩女性社員の誘惑にふらふらと誘い出されそうになったときのことだ。
今ならこうして話せるけれど、あのときは、本当に目の前が真っ暗になって、真っ赤になって、自分が自分じゃなくなったようで、大変だったなあ。こんな刃物まで、持ち出してきちゃったしね。
さっき取り出して見せたあなたのコップも、このときに思いっきり投げつけたから、あなたの首元の壁に当たって、割れちゃったんだよね。
あなたが、自分は誘われただけだ、あやうく騙されるところだった、乗ってしまいかけて申し訳ないと言ってくれて、わたしはようやく、冷静さを取り戻したの。
「……あのときは、本当に、ごめんね?」
「ううん、いいの。誤解はもうとっくに解けたんだから」
額に汗をにじませながら、すまなさそうな顔をするあなたに、わたしは笑顔を向ける。
そう、あなたは悪くなかった、たぶらかされただけだったんだもんね。
わたしのほうこそ、早とちりして取り乱してしまって、あなたに心配をかけちゃったから、反省してるの。
だから、このカッターナイフで、自分の腕に傷をつけたんだ。
もう間違えて、あなたに切りかかったりしないようにと、戒めを込めて。
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