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本堂の周囲には、更なる紫陽花たちが並んでいた。本堂の脇に併設された庫裏には縁側があり、そこから境内の庭が一望できる。
その縁側へまっすぐ向かうと、忌一は細かい水滴を払っておもむろにそこへ座った。その横へ私も無言で座る。
「この紫陽花の紫色を見ていると、CMのことを思い出すなぁ……」
知らぬ間にポツンと呟いていた。
「CM?」
「私ね、広告会社に勤めてるの。そこで私が企画したCMに、ラベンダーを使ったのがあってね」
私の勤める会社は大手広告会社で、TVに流れるいろいろなCM映像を手掛けていた。私は物心つく前からCMに興味があり、自分の好きなCMが大概その会社で作られていると知ってからは、その会社へ入社するのが悲願だった。
勤務する社員には有名大学出身者が多く、その中でも私は特に将来を有望視された高学歴の社員だった。一年目から即戦力として働き始めたが、そこには過酷な運命が待ち受けていた。
上司が学歴コンプレックスを持つ男性社員で、仕事のノウハウを教えるどころか何かと揚げ足を取って、モラハラをするのだ。大学名を逆手にとり「〇〇大学ではこんな当たり前なこと、わざわざ教えてくれないかぁ!」などと。
そして元々詰め込み過ぎなハードスケジュールの上に、「〇大卒ならこれくらい朝飯前だよなぁ!」などと次々に案件を振られ、毎日のように企画の〆切が襲うようになった。上司の上司が管理状況を心配すれば、「これも彼女を育てるためですよ」とその男は最もそうなことを言う。
日々アイデアを絞り出そうとするが、焦れば焦るほど浮かばないもので、企画が練れるまでは帰れないと、毎日のように終電ギリギリまで社内で粘る日々が続いた。
社員は元々男性が多く、たまにいる女性社員は芸大卒の優秀な人間が多かった。センスの塊のような彼女らには近寄りがたく、誰にも窮地を相談出来ずに、私はより一層孤立を深めていった。
そんな中、私の企画が唯一クライアントに手放しで喜ばれたのが、永遠に続くラベンダー畑をドローンで撮影したCMだった。
「でもその手柄は全て上司に取られた。少しも労っては貰えずに……」
自分が企画したと主張しようものなら、「お前はクライアントに媚びを売っているのか」と逆に叱られる始末だ。
そこまで語ると知らぬ間に唇を噛みしめ、膝の上でギュッと両手に力を込めていた。忌一は一部始終を静かに聞きながら、それでも庭の紫陽花からは目線を外さずに、「さっきはゴメン」と呟く。
「何のこと?」
「君がいないと会社が回らないことないなんて、無神経なこと言ったなと思って。美久里さんは凄く頑張ってたのに……」
「……」
自然とまた視界が歪む。先ほど借りたハンカチを取り出し、彼に気づかれないよう静かに目元を拭った。
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