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気が付けば、雨雲からは幾筋もの光芒が降り注いでいた。先程よりも速い速度で雲が風に乗って流れている。唐門から見えた時よりも、明らかに紫陽花の彩度が増していた。
鳥の甲高い鳴き声が響き渡り、暫く静かに紫陽花を鑑賞していると、庫裏の奥から何者かの近づく気配があった。
「何じゃ……誰かと思えば。忌一、お前さんか」
忌一は振り向いて会釈する。縁側に現れたのは、この久縁寺の住職だった。
「久しぶりじゃな、元気でやっとったか」
「はい。おかげさまで」
「それでこちらは……わしへの依頼か?」
住職はじっとこちらを見据えた。その鋭い眼差しに、思わず忌一の背に隠れながら「依頼ってどういうこと?」と訊ねる。
すまなそうな顔で忌一が振り返ると、彼のTシャツの左袖からニュルンと鰻のような頭が飛び出した。咄嗟に「きゃっ!!」と悲鳴を上げて飛び退くと、今度は忌一のTシャツ左胸の小さなポケットから、全長十センチくらいの小さな老人が縁側へと降り立ち、「お前さんを成仏させるということじゃな」と言う。
「何なのこれ? 忌一君、あなた何者なの? 成仏って何のこと?」
すると住職は、「何じゃ……この娘、無自覚か」と溜息をつく。
「あぁ。今朝ホームで出会ったので連れてきました。彼女とは八年前にも一度会ってるんだけど、あの時は怪しまれて無視されたんだよね……」
恐る恐る「何……言ってるの?」と口走ると、下の方で
「お前さん、もうとっくに死んでおるんじゃ。恐らく自殺でな」
と、老人が断言する。おとぎ話の花咲じじいのようなおめでたい恰好をしている割には、言うことが辛辣だ。
「私は今日、三日間の休み明けで出勤するためにあのホームにいたんだよ!? 自殺なんかするわけ……」
「じゃあ、今日は何月何日かわかる?」
「そんなの…今日は十二月の……」
(あれ? 何で十二月なのに紫陽花が咲いているの?)
その時初めて、自分だけが冬物のコートを着ていることに気づいた。忌一は半袖のTシャツだし、住職は薄手の作務衣を着ている。
「ねぇ、今年って平成何年? ねぇ!!」
「お嬢さん、平成はもう終わっていてな。今は『令和』というんだ」
その言葉に、ある光景が脳裏でフラッシュバックし始めた。
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