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「ねぇ、俺のこと覚えてる?」
唐突に背後から肩を叩かれ、そう声をかけられた。駅のホームで、見知らぬ青年に。
振り向いたその瞬間、シュオオォォォォという音と共に私の髪をこれでもかと乱す暴れん坊の風が背中を吹き抜ける。何両も連なる列車がホームへ滑り込み、徐々に速度を落として定位置へと停車した。
プシュウゥという音と共に等間隔で並ぶ車両の扉が開き、数人の乗客が降りた後、待ちきれないとばかりにホーム中で待機していた人々が次々に乗車する。
先程まで通勤客で溢れかえっていたホームは、ほんの数秒の間に人々を車両へと収容し、自分と声をかけてきた青年の二人だけを残して発車した。
改めて彼をまじまじと見る。歳は二十代半ばから後半くらいで、同世代の人間がスーツを着こなしている中、彼の恰好はTシャツにGパンとかなりカジュアルな服装だ。が、その姿には全く見覚えがない。
(朝っぱらから新手のナンパ?)
しかし彼の表情はそれ特有のニヤついたものでもなく、どこか心配そうにこちらを見つめている気さえする。
「人違いじゃ?」
「覚えてるわけないよな……」
そう言って彼は肩を落とす。その間にも、先ほど一掃されたはずのホームには、新しい通勤客が次々と並び始めていた。
(私はともかく……この人は今の電車に乗らなくて良かったの?)
このホームに到着してから、何度も電車を見送ってばかりいた。乗らなくてはいけないとわかってはいるのに。
自分は何度目かのことだからいいとしても、そんな私に声をかけたこの青年は、今の車両に乗らなくてもよいのだろうか。
「具合が悪そうじゃのう」
いきなりしわがれた老人のような声が聞こえた。明らかに目の前の青年の声とは違う。
どこから聞こえたのか辺りを見渡しても、それらしい老人の姿は見当たらなかった。ホームには次々と新しい通勤客が増えているが、老人と呼べるような年齢の人間は、そもそもこの時間帯をあまり利用していないのだ。
「あのさ、少しだけ休憩しない?」
自分だけにしか聞こえない声だったのか、それとも気のせいだったのか、彼は特に気にする素振りもなく、私の腕を掴んで少し離れたところにある階段下を指差した。そこには木製のベンチと、その横に自販機が並んでいる。
「でも今から出勤しなきゃ…」
「この時間じゃもう、完全に遅刻なんじゃない?」
そう言われ、咄嗟に肩掛け鞄の中の携帯を探すが見つからなかった。家に置き忘れてしまったのかもしれない。
最近は特に忙し過ぎて、誰かとメールや電話をやり取りした覚えが無いので、存在自体どうでもよくなってしまったせいだろうか。
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