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「ねぇ、覚えてる?」
ふわ、と浮かんだシャボン玉のような言葉が夕空を映し出す。宙を彷徨うそれは、ゆっくりと寂れた屋上に落ちて爆ぜた。
「何を」
「一年の時の文化祭」
「……さぁな」
今日は文化祭の話か、と壁に背を預けたまま嘆息した。
屋上の錆びたフェンスの隙間から街を見下ろした女子高生――小林キリカの本日の議題は文化祭らしい。昨日は入学式だったよな、とぼんやり振り返れば、長い前髪に隠された双眸がこちらを向く。
「何の接点もないのにいきなり一緒に委員やるだなんてさ、ちょっと驚いた」
「別にそうでもないだろ。ただ、くじ引きで決めただけだし」
「……冷めてるね」
キリカが力なく唇を歪ませる。フェンス前の段差に腰かけた彼女は、少し皺の入ったプリーツスカートの上に乗せたパズルピースをそっと掴む。何の絵も描かれていないそれは、彼女の真っ白な指につままれて、僅かの間だけ夕焼けをその身に映した。
「それ、つまんなくないのか」
「ミルクパズルのこと? 退屈じゃないわ。絵のないこれらを完成させるために、形をしっかり記憶しておくのは楽しいから。覚えるのって、大事じゃない?」
「……まぁ、そうかもな」
毛先が傷んだ漆黒の髪が揺れるのをぼんやり見つめて、適当に返事をする。その間にも、キリカはひとつ、またひとつとパズルピースを拾い上げては、薄汚れた混凝土の上に置かれた額に純白を詰めていく。
「それで、文化祭の話だけど。思えば、まともに会話したのがあの時初めてだったよね」
「……どうだったかな」
ソイツと目が合わないように己の影を見つめて素っ気なく返す。
「夜遅くまで二人で残ったりとか、一緒に計画練ったりとか。あぁ、そうだ。前日に遅くまで残って看板の仕上げしたのとか楽しかったよね」
独りよがりのような思い出話が白に吸い込まれ、額に収まっていく。灰色の混凝土さえ、何もない真っ白に染っている。そんな気さえする。
「……そんなにいい思い出だったのかよ」
「もちろん。長谷くんとの思い出だしね」
「……」
す、と背筋を指先で撫でられた心地だった。肌が微かに泡立つ。溶けた飴のようなその声が、じっとりとまとわりついてくる。
「でも、大変だったんだよ? 長谷くんって人気者だからさ、他の女子たちにあーだこーだ言われちゃってさ」
「あー、うるさいもんなアイツら」
「そう言ってやらないでよ。みんな長谷くんが好きなだけなんだからさ」
カチリ、とまた一つパズルピースがはまっていく。キリカの顔には絵に描いたような精巧な笑みが貼りついている。優しい言動の裏には、何か底知れぬ暗闇があるような気がしてならなかった。
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