ひと夏の失せ物

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 午前7時30分。霧も晴れてきて景色がよく見渡せるようになった。近くから遠くへ連なる山々は深い緑色で美しく、目の前に広がる広大な田畑は、生まれも育ちも東京の僕にもどこか懐かしさを感じさせた。 「……おかーさーん! おかーさーん!」  時子さんの家の庭に出て、早速スケッチを始めていた僕は、聞き覚えのある少女の声に手を止める。  僕がここに来て、もう2時間近くが経過していた。  それなのにあの少女は、まだ母親を探しさまよっているというのだろうか……。  声のする方へ視線をやると、田んぼの向こう、すぐそこの山へ続く道でキョロキョロと周りを見回す少女の姿があった。  僕は少女の元へ走る。元々運動が得意な方ではなかったので速く走れるなんて思ってはいなかったけれど、昔のように全力疾走出来ないのが何だか悔しかった。 「君! 朝からずっと、お母さんのことを探しているよね?」  情けないことに少し息を切らしながら、僕は中腰になって少女に問いかける。 「わたしのお母さんを知ってるの!?」  少女は噛み付くようにそう言って、何かに縋るように僕の左腕を掴んだ。  その腕はびっくりするほど細く、僕の腕を握る力は弱々しい。目は虚ろで焦点が合っておらず、髪も伸ばしっぱなしでボサボサだった。  よく見ると服もパジャマのままで、靴も履いておらず裸足のままだ。  ……もしかして虐待……いやネグレクト?  僕の頭にある恐ろしい仮説が浮かぶ。 「ねぇ、お父さんはお家にいる?」 「お父さんは最近会ってないから……」 「栄也」  少女の声を遮って、後ろから声をかけられた。見ると時子さんが険しい表情で立っている。 「時子さん。この子、母親を探しているみたいで……」 「おばあさん、私のお母さんを知りませんか!?」  少女は時子さんにも訴えかけるように聞いた。 「お母さんは朝早くからお仕事に出かけたよ。夜になったら帰ってくるから、お家で待っていようねぇ」  時子さんはいつも通りのゆったりとした声でそう言った。 「そうなんですか? 分かりました、ありがとう」  少女は不安は残るが納得したといった様子で頷くと、僕たちに礼儀正しくお辞儀をし、くるりと回れ右をして去っていった。 「……ちょっと()ぃ」  少女を見送った時子さんは来た道を戻りながら低い声で言った。
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