ひと夏の失せ物

6/8
前へ
/8ページ
次へ
「……お母さん、まだ見つからないの?」  虚空を見つめるような少女に、僕はできるだけ優しく問いかける。 「……もうずっと、お父さんもお母さんも、わたしを1人にして、会いに来てくれないの」  少女は俯いてかぶりを振った。 「いい子だねって言ってたのに……ずっと一緒だよって、お母さん言ってくれたのに!」  少女は感情を取り乱して、今にも泣きそうな顔をする。 「大丈夫、落ち着いて……」  僕が少女の背中をさすってやると、彼女は少し落ち着いたようだった。 「やっぱり、わたしは悪い子だったのかな……病気になんかなっちゃったから、お母さん、私のこと嫌いになったのかな……」  ぽつりと呟いた少女。  病気……重いものなのだろうか? 「そんなこと……」  ない、なんて言いきれなかった。僕はこの少女の母親を知らない。会ったことも話したこともないのだ。  いくら母親とはいえ人間だ。病気になって手がかかる娘を、面倒に思い嫌になる可能性だって否定できない。 「……そうだ。ねぇ、だったらお兄さんがわたしと一緒にいてよ。ずっとここに、わたしのそばにいてよ」 「……え?」  縋るように僕の右腕を握る少女の手は1週間前のあの弱々しさからは考えられないほど強く、そして氷のように冷たい。  ……逃げないと。  本能的にそう感じた。この少女と一緒にはいられない。 「ごめん、僕は今日、帰らなきゃいけないんだ」 「なんで? なんでお兄さんまでわたしから離れるの?」  少女の手を解こうとすると、彼女の爪が僕の腕を引っ掻く。 「いっ……」  引っ掻かれた部分からすっと赤く血が滲んでいた。 「酷い、そんなの酷いよ。わたしに優しく話しかけてくれたでしょう!? あれも嘘だったの? お母さんみたいに、優しいふりだけだったの!?」  少女は泣き叫びながら、先程引っ掻いた僕の傷口に、また爪を食い込ませてきた。 「い、痛いよ……ちょっと落ち着いて。爪……爪立てないで……」 「何しとる!」  恐怖と困惑で抵抗することすら難しくなってしまったその時、聞き慣れた声が鋭く耳に届く。 「と、時子、さん……?」  少女は時子さんの大きな声に驚いたのか、僕の腕をぱっと離すと怯えたように走り去った。 「栄也……忠告は散々したじゃろ?」 「……すみません」 「着いて()い。傷、見せな」  時子さんは背を向け、家に向かってゆっくりと歩き出す。静かに怒っているようだったし、僕の無事(軽傷はあるものの)を安堵してくれているようでもあった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加