第1話「ブスと変人」

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第1話「ブスと変人」

市立中学校の昇降口、通りかかった男子生徒たちが、周りに聞こえるような大きな声で話している。 「なー、あの子、めっちゃ胸大きくない?」 「でも、めっちゃブス(笑)」 聞こえないフリをして、久美子は上靴から外履きに替える。段差から下りたとき、ひとつ、胸がたぷんと大きく揺れたのが自分でもわかる。 久美子は中学一年生でDカップあった。一般的に特別大きいわけではないが、中一でその大きさの女子は少なく、思春期真っただ中の男子からは、常にジロジロ見られていた。久美子は胸を隠すように猫背気味で帰っていく。 校庭では、野球部が守備練習をしている。バットがボールを打つ音、ボールが地面を転がる音がする。「いくぞー」「もっかいお願いしまーす!」など、威勢のいい声も止まない。 この暑いのによくやっていられるなぁと久美子はその横を、邪魔にならないように通り過ぎ、校門を出た。 前方には、伊勢湾が広がる。丘の上に建てられたこの学校は、景色だけはよかった。海の上にはいくつか大型タンカーが漂い、その先には三重の鈴鹿山脈が連なっている。 七月も半ばになり、もうすぐ夏休み。夏の大会を目標に、練習に精を出す生徒もいるが、めんどい、ダルい、やる意味がわからないと、授業後の時間を自由気ままに過ごす生徒がこの学校は多かった。 久美子は家に帰ると誰もいないことをいいことに、ソファに寝っ転がり、ローテーブルにメロンパンとドーナッツを並べる。飲み物は牛乳を温めてココアを作った。 夕方のドラマの再放送が始まった。相変わらず生田斗真はかっこいい。筋肉に見とれながら、クーラーの効いた部屋でおいしいものを食べる。久美子の唯一の幸せを感じる瞬間だった。 ドーナッツを完食したところで、ガチャと玄関の開く音がする。 「やば…」 久美子の母親が帰ってきた。買い物袋二つをダイニングテーブルに乗せ、リビングから、庭に面している窓の外をチラっと見る。 「帰ってたんなら、洗濯物入れといてよ」 「………うん」 久美子は視線も合わせず、低い声で返事をする。 久美子の母親はフルタイムで看護師として働いている。父親はいない。二人だけの母子家庭だ。 「あんた、部活は?」 「んー…」 「ちゃんと行きなさい。バスケットシューズ高かったんだで」 「………」 久美子は母親と仲が良いとはいえなかった。特別何かあるというわけではない。母が仕事で忙しいため、家事をやらされるのがウザかったり、裕福とはいえない生活がつまんなかったり。でも、結局は学校があまり楽しくないことへの八つ当たりや、ただの反抗期だったりする。 久美子の母は冷蔵庫を開け、買ってきた品を入れていると、顔を曇らせた。 「あ、牛乳ない。あんた飲んだでしょ?テレビ見てるだけなら、買ってきて」 「はぁー…。わかったよ」 久美子は渋々財布とエコバックを持ち、徒歩八分ほどのスーパーに向かった。 店の入り口を入り、すぐ目に入った安売りのお菓子を吟味する。 「ぅおおおぅっ!!」 何だろうと振り返ると、足元にころころとサバの缶詰めが転がってきた。すぐ近くで中学生くらいの男の子がたくさんの缶詰めを腕に抱えながら、散らばった缶詰めを集めている。久美子は足元に転がってきた缶詰めを手に取ると、数歩歩いて男の子に無言で手渡した。 「あ、ありがとうございます!」 男の子が勢いよく顔を上げた。久美子は腰を曲げてかがんでいたので、かなりの至近距離で目と目が合った。純粋そうなクリクリした目が、嬉しそうにこっちを見ていた。子どもっぽい声や動きに反して、身長は高そうだ。肩幅もある。しかし、どことなく細い印象の男の子だった。少し見つめてしまい、久美子は軽く会釈して去ろうとする。 「かわいい!」 「え?」 私に言ったのかな。そんなこと、この年になって言われたことはない。もしかしたら、缶詰めにプリントされたサバのキャラクターのことかもしれないが…。去るに去れず、固まっていると、また何かぼそっと呟かれた。 「あんざんがた…」 「ん?」 言葉が聞き取れなかった。しかし、男の子は改めて言い直すことはなく、ペコペコ何度も頭を下げる。 「あっ、えっと、ありがとう、ございましたぁ!!」 激しい動きでまた缶詰めが落ちそうなだ。久美子は恐る恐る言った。 「あのぉ……よかったら、これ、使いますか?」 持ってきたエコバックの内ポケットに入っていた予備の袋を出す。折りたたまれたペラペラな布製の袋は、保険の案内か何かを入れるような使い捨てのものだ。すでに何度も使い、下の方は黒く汚れている。 「え、でも…」 「これ、いらないのなんで、返さなくて大丈夫です」 「ありがとうございます!!」 久美子は袋を広げ、持ち手を持ち、左右に広げた。男の子は目の前に出されたそれに、腕に抱えていたものを入れた。サバ缶の他にもツナ缶やレトルトのカレー、カップラーメンなどが入っていく。災害対策のまとめ買いだろうか。 「ありがとうございます!」 男の子はエコバッグを受け取り、ぴしっと深いお辞儀をして、小走りで去っていった。不思議な男の子の姿を、久美子はなぜか目で追ってしまった。 翌日、久美子はバスケ部の練習のため、授業が終わると体育館に行った。しかし、一時間もたたずに出てくることになる。 「ブース、もう部活来なくていいから」 久美子は後ろ向きで、後退りするように、体育館のドアから出された。三人の女子が久美子の肩をさらに押す。 「あんた、運動神経悪いし、デブだし、地味だし、なんでバスケ部なんか入ったの?」 「あはは、その顔マジウケるー(笑)」 「ブスが近寄んなよ。あたしもブスに見られるじゃん」 「生まれたときから、負け組決定だね!」 「ブスは一生幸せになんかなれねーよ(笑)」 久美子は何も言い返せずにうつむいていると、肩を強くどんと押される。よろよろと体育館の外の廊下に出され、尻もちをついた。久美子の水筒やタオルが頭の上を通り越し、廊下を超え、地面に落ちた。久美子を押し出した女子たちは、笑いながら去っていく。この一部始終を、一人の男子が見ていた。 「…大丈夫か?」 見られてた!と声のする方を見ると、がっしりした体格で、野球のユニフォームを着た男子が歩いてきた。 「優大(ゆうだい)か…」 見られたのが優大でよかった。久美子は少し安堵の表情を見せる。優大はタオルと水筒を拾いあげると、パッパッと砂を払い、久美子に手渡した。 優大は久美子と同じ小学校出身だった。家も近く、優大の家は焼肉屋を営んでいるため、よく食べに行ったりして、仲はいい方だと思われる。 「あいつらも、フツーにブスだよな(笑)」 「も、って、私がブスなのは否定しないんだね」 「………」 ツッコミをいれるも、それ以上怒ることもなく、久美子は言った。 「いいよ、別に。私、陰キャラだし、ブスだし、取り柄もないし。目立つ子たちの多いバスケ部入ったのが間違いだったわ」 「あんなたいして練習もしてない部活、行かなくていいじゃん」 「そだね」 優大と話していると少し気が紛れた。もうあんな部活行くもんか! 優大の柔らかい声がまた久美子を呼んだ。 「久美子、暇になったなら野球部手伝ってくんねー?人手が欲しいんだよ」 「えー、野球部?私、野球そんな詳しくないし、それに厳しいでしょ?無理無理!」 「うちはそんな厳しくねーよ」 「私、ブスだし…ごめんね。水筒とか拾ってくれてありがと、じゃ」 優大はまだ何か言いたそうだったが、久美子は無理矢理話を切り上げ、その場を去った。 翌日。授業が終わり、友人のかよと、しほに宿題一緒にやらないかと声をかけた。 「ごめん、部活あるから」 「あたしも」 「そうだよね」 だからといって、久美子は他に時間潰す友達を作ろうとは思わなかった。 すぐに帰宅するか、時間を潰して部活してる風に見せるか考えながら、ちんたら鞄に教科書やノートを入れていく。視界の端にやたら図体のデカい男子が教室に入ってくるのが見えた。顔を上げると優大だった。 「よっ」 右手を挙げ、挨拶をしてくれるが、よっに対して返す言葉がわからず、久美子はヘラっと笑った。優大は手に持っていたタッパーの蓋を開け、久美子の机に置いた。 「久美子、これ、うちのかーさんが作ったやつ。食べやー」 中には小さくカットされたガトーショコラが入っていた。 「食べる食べる!優大のお母さんのガトーショコラ好きなんだよね!」 タッパーの側面にそって爪楊枝が入っていた。それをつまみ、一口でパクっと頬張る。 「おいしー!」 「久美子、マネージャーやってよ」 二つ目に手を伸ばしていた久美子は、大口開けて止まった。優大は久美子に向かいあうように、前の席の椅子、に反対向きで座る。 「またその話ー?先に食べさせといて卑怯じゃん」 「明日、試合があってさ、西中となんだよ。結構強くてさ、記録録りたいんだけど、俺も試合出るし、久美子やってくんねー?」 「うーん…」 「バスケ部、もう行かねーんだろ」 「えー、うん…」 「俺ん家の焼き肉食べ放題チケットつけるわ」 うーんと唸っていた久美子はふぅと一息吐いて、優大を見た。 「優大には世話になってきたしね。じゃ、ちょっとだけね!」 「サンキュー!じゃー、スコアのつけ方とか教えるから、明日八時に向山球場…わかるか?小六んとき、マラソン大会で行ったとこ」 「うん、わかる」 「んじゃあ、そこの入り口んトコ集合で。あ、これ全部食べていいぞ」 タッパーを差し出され、久美子は遠慮なく受け取る。食べものに釣られてしまった。まぁ、でも優大が喜んでくれるなら、やってもいいかな。不思議と嫌な感じはなかった。
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