第10話「一押し」

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第10話「一押し」

ついに夏の大会が始まった。去年は三回戦敗退だったうら中。今年の目標は五回戦進出。ベスト8に入ることだった。その中でも、勝ち進んでくるであろうおに中。去年の三回戦で負けた相手だ。おに中に勝つ!というのも、だおたち二年にとっては大きな目標になっていた。 一、二回戦は対戦相手が運よく、強くないところで、順調に勝ち進み、夏休みに入った。大会の日程は、試合と試合の間に、一日から数日の予備日がある。天候が悪かったときのためと、休養日の意味合いがあるのだが、じっとしていられないうら中野球部員たちは、いつもと変わらないような練習をしていた。 全体での練習が終わり、自主練習の時間になった。三年生の先輩たちは、塾があるからと先に帰っていく。他のメンバーはやる気満々なのか、このメンバーでいるのが好きなのか、大抵残って練習をしている。 少し休憩をすると、一年生たちはバットを握り始めた。すると突然、恭矢が片岡を呼んだ。 「片岡」 「はい!」 「投げてやる。バッターボックス入れ」 投げてやる。つまり、恭矢が片岡のバッティングピッチャーをやってやるということだった。恭矢が打撃練習ために投げるなんてことは、滅多になかった。ほとんどは自分の練習のために投げ、バッティングピッチャーはだおがしていた。 片岡は一回戦でスリーベースヒット、二回戦でホームランを打っていた。期待されてるのか、たまたま機嫌がいいのか。 「うぉおおお!お願いします!」 恭矢の思ってもみない言葉に、片岡は目を輝かせ、急いでヘルメットを被り、バットを握った。 「準備できました!お願いします!!」 ピッチャーマウンドで待っていた恭矢が顔を上げてニヤッと笑った。 「フライでもゴロでも、前に飛んだら、俺、イチオシのエロDVDくれてやるよ」 「う、うっす!」 さすがにそれくらいはできるだろう。てゆーか、恭矢のイチオシってなんだ? だおや他の一年生たちは離れたところに並び、片岡を見守った。久美子もその隣に並ぶ。 「恭矢がバッピなんて、珍しい」 片岡はバットを構え、ドキドキしながら恭矢を見た。恭矢がグローブの中でボールを握り、両腕を上げ、頭の後ろで一度止める。恭矢の綺麗なフォーム、目力、気、それに対面すると、次の動作を忘れてしまいそうになる。 投げた!と思った瞬間、通りすぎた。キャッチャーの位置の置かれたバッティング練習用のネットにボソッと音をたて、ボールが収まる。 「はえぇぇー!!」 「そこそこ打ちやすい速さだろ?」 恭矢の球にビビる片岡。だおが横から片岡にアドバイスをかけた。 「落ち着け。ちゃんと見てるか?」 「目、つぶってたかもっ!」 「それじゃ、打てねぇじゃん(笑)バッティングセンターで打ったことある速さだぞ」 「はいっ!」 だおに声をかけられて少し落ち着きを取り戻したようだ。再びバットを構えると、さっきと変わらない速さの球が飛んでくる。また当たらない。 五球投げてもらったところで、すべて空振りか見送りだった。 「当たんねー!!」 「あと、三球な」 そして、その三球もあっさり終わった。 「ありがとうございました…うぅ…」 その姿に他の一年生もビビりだす。 「恭矢ー、次、俺よろしく」 いつの間にか、だおがヘルメット被って、バット担いでいた。 「あ?」 「いーじゃん、たまには投げてくれよー。お前のエロDVDはいらねーから」 「ったく、一打席分だけだぞ」 「ふーん、じゃ、俺、捕ろうかなー」 プロテクターとマスクを付けた優大が現れた。今までネットを相手に投げていたので、ちえ子はなぜ?という顔で優大を見た。それに気づいた優大と目が合う。 「いい球見ると、捕りたくなんの」 そういうものなのか。そこへ、逃げるように片岡が、一年たちのところに走ってくる。 「どーだった?」 「怖い!速いは速いんだけど、それよりも、恭矢先輩そのものが怖い!!」 「俺なんか絶対打てねーな」 どんすけが笑う横で、ヤモリは悔しそうな顔をした。自分も恭矢先輩に相手して欲しい。 恭矢は優大相手に数球投げ込み、だおは素振りをする。それが、軽々しく見えなかった。ちょっとしたバッティング練習していたはずなのに、なぜか異様な空気に包まれる。 帰ろうとしていたバレー部員や、近くで走っていた陸上部員がそれに気づき、足を止め、遠くから見ていた。 「何が始まんの?」 「殺し屋恭矢と変人藤崎の対決だって」 恭矢もだおも運動神経がいいことで、学年内では有名だ。体育祭のクラス別対抗リレーでは、二人ともアンカーを努め、盛り上がった。球技大会のバスケ部門の決勝戦は、体育館に人が入りきらないほど生徒が押し寄せた。それ以外にも、それぞれ個性的という理由で目立ってもいるが。 だおが恭矢に叫ぶ。 「よっしゃ!俺はいつでもいいぞー!」 「んじゃ、いくぞ」 恭矢は澄ました顔から一転、試合で見せる殺し屋の目になった。その威圧感に遠くで見ていた久美子たちまで背筋を凍らせる。 しかし、バッターのだおは、怯むどころか、いつもふざけた顔程遠い、真剣な顔つきになった。久美子や後輩たちは息を飲む。 「す、すげー!恭矢先輩とだお先輩の対決!」 「こえぇ~」 「久美子先輩、どうなると思いますか?」 「えぇー…わかんないよ…。ぶっちゃけ、どっちが強いんだろう…」 だおが優大を見ながら、言う。 「優大、ついでに審判もよろしく」 「ボール球なんか投げねーよ」 恭矢の言葉に、だおはそうこなくっちゃ!と一度笑った。そして、恭矢を見る。 グラウンドが静けさに包まれた。誰もが音を出すことをはばかられる中、恭矢が左脚をザッと音を立て、後ろに下げる。両腕を上げ、胸の位置に下げ、腕を振りかぶった瞬間、パァーンと音をさせ、優大のミットにボールが収まった。 「ひぃぃ~」 「片岡より、断然はえーじゃん…」 「ストライク」 優大が恭矢にボールを返した。だおはバットの構えを一度ほどく。ほんの一瞬、目だけ笑ったような気がした。 二球目、だおがバットを振った。当たったボールがコーンと跳ね、優大の後ろに転がった。 「おぉー!」 周りで見守る者の息を吐く音がする。ただのファールだが、当たっただけでもすごいのだろう。片岡は目を丸くしている。 三球目、またファールだった。恭矢はふっと、はっきり笑った。だおもそれに応えるように笑う。余裕があるわけじゃない。どこか苦しそうで、でも楽しそうな、不思議な顔だ。マスクの下でよく見えないが、優大も同じ顔してるのかもしれない。なんか、羨ましいな。 四球目、ファールだった。 「あぁー…」 誰かの声が漏れる。久美子は、ピリピリ感に飲まれる一方で、心のどこかでホっとしている自分がいることに気づいた。まだ勝負が終わりじゃない。もう一球、楽しませてくれる。 五球目を投げる前、優大のサインに恭矢が首を横に振った。一回振り、二回振り、さらにもう一度。恭矢の口が小さく開いた。あれ、と言っているようだが、はっきりわからない。確認するように優大がサイン出すと、恭矢は大きく頷いた。 「なんですか?」 「わかんない」 後輩たちが小さな声で聞いてくるが、久美子も優大のあのサインは初めて見る。 だおが構える。恭矢がボールを握る。優大が待つ。静止したまま、しばらく視線をぶつかり合わせる。三人の間だけ、別次元の時が流れているようだった。 そしてまた、恭矢が足を下げ、腕を上げ、投げる。だおはバットを振っていった。バッターボックスの手前で球がぐいっと下に曲がる。だおは顔を歪めると、僅かに肘を引いた。バットがボールを捉えると、恭矢の真横を低いライナーが飛んで行った。 「あっ!」 「クソッ」 「いえーい!センター前ヒットォー!」 だおは勝ったというような笑顔でガッツポーズをする。 「ちげーよ!今のはセカンドフライだ。な?ヤモリ」 「はい!捕ります!」 ポジションがセカンドのヤモリがすぐさま答えた。ヤモリの反射神経なら捕れるかもしれない。 「つーか、変化球かよー」 だおが声を漏らした。久美子は変化がよくわからなかったので驚いた。 「えっ!?何だったの?」 「カーブ」 「恭矢先輩投げれるですか!?」 「すげぇええええ!!」 「変化球も勝負のうちだろ」 恭矢は普段、変化球はチェンジアップしか投げていなかった。変化九は肩、肘に負担をかけるためだ。大会に向けて、こっそり練習していたのだろう。 だおは恭矢に言った。 「サンキュな」 「おー」 マウンドから歩いてくる恭矢にヤモリが駆け寄る。 「恭矢先輩、俺も、お願いします!」 「明日な、ヤモリ」 少し残念そうな顔をするも、約ヤモリははい!と返事をする。 「優大」 「あぁ」 恭矢は優大を手招きし、どこかへ歩いていく。きっとだおに当てられたことを踏まえ、反省会だろう。 久美子はだおにタオルを渡した。 「だおちゃん、どーだった?」 「すっげー楽しかった!!」 翌日。恭矢は後輩四人を集めた。 「欲しいやつ持ってっていいぞ」 「いや…」 「これは…」 「うーん…」 恭矢一押しエロDVDを前にちえ子、どんすけ、ヤモリはドン引きしている。片岡ですら、嬉しそうな顔をしていない。 「マニアックすぎるというか…。俺の好きなジャンルからは、かけ離れているというか…」 DVDの内容は詳しくは説明できないが、みんないらないようだ。 「何だよ。わざわざ持ってきてやったのによ。女優も別に悪くないだろ?」 「いや、まぁ、悪くないけど、内容が…」 「むしろ、これでどう興奮すればいいか教えて欲しいっす」 「遠慮しときます」 「………………………じゃ、じゃあ、とりあえず、試しに1枚見てみます…」 恭矢の機嫌を取りたかったのか、ちえ子が並んだ中でもソフトそうなタイトルを手に取った。家にDVDプレーヤーないから見れないけど。 「遠慮せず持ってけよ!」 ヤモリが全部かき集め、ちえ子渡した。 「そうだ!大人の階段上れ!」 「いや、こんなん持ってるの母親に見られたら、泣かれる…」 「じゃ、恭矢先輩、バッティング練習お願いします!用意します!」 「俺も!」 ヤモリたちはその場から逃げ出すように、道具を取りに向かった。 この日から、恭矢はたまにバッティングピッチャーをするようになった。
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