第12話「準決勝」

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第12話「準決勝」

地区大会六回戦だ。準決勝である。次の決勝も勝ち、優勝すれば、県大会へ進むことができる。 対戦相手は去年破れた◯◯中。去年とメンバーが多少入れ替わってはいるものの、五回戦までの成績をみると相変わらず強いチームだ。猛練習による隙のない守備と鍛え抜かれた精神力。三年生を中心とした、経験豊富なプレーが冴える。久美子たちにとっては、五回戦までは互角程度のチームとの戦いだったが、今日は格上の相手だった。 うら中部員はすでに試合会場に着き、ウォーミングアップを済ませていた。 いつにも増し、恭矢はピリピリしていた。優大も口数が少ない。それが伝わっているのか、一年生たちも少し表情が強ばっている。特に、他人を気にしすぎるちえ子はガチガチだった。その様子に久美子も飲まれそうになるものの、優しい声で話しかけた。 「ちえちゃん、靴紐、ほどけてるよ」 「あ!」 ちえ子は指摘され、初めて気づいたようで、慌てて靴紐を結ぶ。 「ヤモリはさっきから、何ウロウロしてるの?」 ヤモリはへへと頭をかいた。 「みんな緊張しすぎ!ほら、深呼吸、深呼吸」 一年たちは久美子に背中を撫でられながら、すーはー、すーはーとゆっくり深呼吸した。 「せんぱーい、俺も撫でてください!」 だおが寄ってきたので、後輩たちのついでに背中をなでなでする。実は、こっそり緊張していたようで、こわばっていた。何度か撫でると、少し柔らかくなる。だおは最後に息を大きく吸い込む。 「…よっしゃ、やるか!」 だおのかけ声と共に、ベンチ前に、全員が円になる。上半身を傾け、お互い顔を見る。久美子は円の外でその光景を見守っていた。だおの声が響く。 「野郎どもぉぉおお!モテたいかぁ!」 「モテたぁい!」 「彼女欲しいかぁ!?」 「欲しいぃぃぃ!!」 「リア充したいかぁあああ!?」 「したいぃぃ!!」 「今から、世界一カッコいい男になるぞぉぉおおお!!」 「おー!」「うらぁ!!」「はぁぁい!」 各々自由に叫び声をあげると、円は散った。久美子は恥ずかしそうに、ベンチに座る。試合前に煩悩まみれな様を他の人に知られないことを祈るが、たぶん客席まで聞こえてるだろう。 審判が整列を促した。久美子はだおの背中を軽くぽんと叩く。 「はい、いってらっしゃい!」 「いってきます!」 久美子に見送られ、選手たちはグラウンドに向かった。整列し、挨拶が済むと、審判が叫ぶ。 「プレイボール!」 うら中は守備からだ。それぞれの守備位置に散る。 ピッチャーは恭矢。一試合目からずっと一人で投げ続けている。キャッチャーは優大。ファーストがどんすけ。セカンドがヤモリ。サードがちえ子。ショートがだお。センターが片岡。ライトとレフトは三年生の先輩が努める。控えがいない九人ギリギリのチームだ。それでも、ここまで戦い抜いてきた。 恭矢はこの日も好調だった。矢を射るようなボールが、次々に優大のミットに収まっていく。先頭バッターを三球三振に仕留めると、内野陣が恭矢に声をかけた。 「っしゃ!いいぞー、恭矢ー!!」 「恭矢先輩、ナイスピッチ!!」 恭矢はチラリと目線を向け、声を受け取った。 二番バッターもあっという間に三振に終わった。バッターの手元でよく伸びる球にかすりもしない。 「あーぁ、今日もヒマだなー」 片岡がすっかり気の抜けた顔で小さく呟く。そのとき、カーンとバットがボールを飛ばした。 恭矢が振り返った目線の先はだおがグローブを構え、天を仰いでいた。それを見るなり、恭矢はボールがキャッチされるのを待たずに、ベンチに向かって歩いていった。 「アウト!スリーアウト、チェンジ!」 審判の声が響く。遅れて走ってきただおが、ベンチ前で恭矢の背中をぽんと叩いた。 「お前帰るの、早くねっ!」 「あ」 特に意味のないやり取りをしながら、うら中は攻撃の準備を始める。久美子が一番打者の先輩に、バットとヘルメットを手渡しながら、嬉しそうに言った。 「三人余裕って感じでしたね」 「こりゃ、今日もイケるかもな」 しかし、恭矢は驕ることなく、ベンチに座った。 「ま、一順目だしな。つーか、俺ら打てんのか?」 ピッチャーマウンドに視線を送ると、相手校のピッチャーが投球練習をしていた。そこそこ速い。また、チーム内にピリリとした緊張が走る。 一番バッターの三年生はあっという間に三振になってしまった。それを目の前で見ていた二番バッターのヤモリが顔を強ばらせながら、バッターボックスに向かう。近くで打順を待っていただおが叫んだ。 「ヤモリ、肩に力入ってんぞ!大丈夫だ!恭矢の球で練習してきたんだ!!打てるぞ!」 「はい!」 ヤモリの体から、少し力が抜けた。実際、恭矢の球よりは遅し、顔も怖くないし、性格も悪くなさそう。打てるかもしれない 三球目、ヤモリのバットがボールを捉えた。しかし、打ち上げてしまい、セカンドフライになる。落ち込んで帰ってきたヤモリに、だおはまた声をかけた。 「タイミング合ってきてたな。でも、その前、ボール球振ってたぞ」 「はい!」 三番打者の三年生がフォアボールで一塁に行く。 四番だおの打順だ。ふーと大きく息を吐きながら、バッターボックスに入り、バットを構える。いきなり小チャンスだ。 「だおちゃん!がんばれー!」 ベンチから久美子の声が響く。二球目、打球が二遊間を抜けた。三年生の先輩は二塁に、だおは一塁に行った。 「やったぁ!!」 ベンチの声援にだおが顔を向けるも、イマイチという顔だった。タイミングをズラされ、悔しいようだ。 五番の恭矢が打席に入る。結果はキャッチャーフライとなり、チェンジとなった。 ベンチに戻り、守備の準備をしながら、だおが恭矢に話かけた。 「内角のカーブ?」 「あぁ、結構、曲がった」 「初めから変化球もバンバン使ってくるつもりか」 恭矢がニヤリと笑う。 「じゃ、俺も使ってくかな。優大」 「ちょっとずつな」 二回表。四番相手にも恭矢も好投だった。キャッチャーフライに打ちとると、次の五番、六番も何もできずに終わった。手元でよく伸びる豪速球に、相手校は見送りばかり続いていた。 うら中の打線も不調だった。相手ピッチャーの変化の大きいカーブに翻弄されていた。 二回裏で片岡が三塁打を打っても、次の打者は打ち取られ、得点に繋げることはできなかった。 その後も、お互い単発では安打を出すものの、得点に繋げることができず、〇-〇のまま、四回裏も終わろうとしていた。 ベンチに隣同士で座る久美子とだおは、ちえ子がキャッチャーフライでアウトになると、うーんとういうような声を同時に漏らした。 「あとちょっとで得点できそうなんだけどねぇ」 「カーブにも手こずってるけど、キャッチャーが上手いよね。スキがないっていうか…。うち、盗塁、二回も阻止されてる」 久美子の持つスコアを覗いていただおが、ふと顔を上げ、久美子を見た。 「くーちゃん、お腹大丈夫?痛い?」 「え?あ、ううん!ちょっとだけね!さっき痛み止め飲んだから大丈夫だよ!腹巻もしてるし…」 無意識にお腹に手を当てていたのを見ていたようだ。確かに鈍く痛いが、耐えられないほどではない。 「痛くなったら、無理せず休んでね」 「ありがと」 試合中にマネージャーが選手に心配されるなんて、情けない。しっかりしなきゃ!と気持ちを入れ直すように、大きな声援を送った。 試合が動き出したのは五回表。相手チームの七番が三塁打を放った。ワンアウトランナー三塁。 内野は優大に集まるようなジェスチャーをされ、ピッチャーマウンドに集まった。 「スクイズかもしんねーけど…今ままでの八番の様子見ると、自信があんのか、打ってくる可能性もあるから。どっちにしろ、前進守備で」 「はい」「ラジャー」 それぞれの守備位置に戻り、八番バッターが打席に入った。優大が言っていた通り、バントの構えはない。打つ気か、直前でバントの構えをし、当ててくるか。 サードランナーは今にも走り出しそうなくらいの雰囲気だ。脚も速く、三年生で経験豊富な選手だ。間近にいるちえ子は打者の出す緊張感に飲まれていた。グラウンドにいるのは、自分のチームの人数の方が多いはずなのに、まるで、そんなもの関係ないように、ランナーはただ、バッターを信じている。 三球目、恭矢の外角のカーブがバットに当たり、サードのちえ子のところにぽーんとボールが飛んでいく。グローブを構え、ボールを待つ。ボールが飛んでくる。なぜか思う様に体が動かない。硬い。グローブの中に、一度は入るも、ぽろっと落としてしまった。慌てて、右手で拾い上げ投げようと構えるものの、ランナーはすでにホームベースを踏んでいた。〇-一になる。 「何してんだ!バカッ!」 「すいません!」 恭矢に怒鳴られ、ちえ子は涙目だ。だおは少し苦笑いをしながら、チーム全体に声をかけた。 「どんまい!どんまい!まだ五回だ!落ち着け!ちゃっちゃとチェンジにして、取り返すぞ!」 はい!とチームメイトたちの声が響く。しかし、恭矢はイラついた顔のままだ。 久美子は、ベンチに戻ってきたら、慰めてあげようと苦笑いしながら、スコアにエラーの記録をした。 ワンアウト、ランナー一塁。前進守備から、少し後ろに下がる。五回でうら中は〇点。ミスがでたこともあり、これ以上打たせずに終わらせたいところだ。 初球、九番バッターの打ったボールが二遊間を抜けようとしていた。一塁ランナーが走り出す。だおがものすごい早さで追い付き、ダイビングキャッチする。ランナーが二塁ベースまで迫ってきていた。深めに守っていたヤモリがセカンドに入るために走り出す。ヤモリ、来い!どだおの声が聞こえてきそうだった。ヤモリはだおの方を見ながら、いつ投げるのか、グローブをユラユラさせがら走った。ヤモリがベースに着く絶妙なタイミングでだおがぴっと投げた。 「アウト!」 「ファースト!」 優大の声にヤモリは振り返り、ファーストに投げる。 「アウト!チェンジ!」 時間にすれば、数秒の出来事だった。アウト二つ取り、チェンジとなる。 「うぉおおおおぅぅぅよっしゃぁああああああああ!」 ヤモリが叫んだ。未だ、心臓がばくばくしている。合わせられるか一か八かだった。だおが満面の笑みで背中を叩いた。 「ダブルプレーだな!!ヤモリよく来た!」 「だお先輩の気迫に吸い寄せられました」 スライディングしたランナーはいけると確信していたのか、すぐに立ち上がれず、膝を着いたまま、渋い顔で去っていくだおを見ていた。 ベンチに戻ると、恭矢もヤモリを小突いた。 「やるじゃねえか」 「う、うっす…!」 恭矢が褒めるなんて珍しいことだった。ヤモリはムフフとはにかむ。まぁ、半分以上はだおのおかげだが。だおのボールをキャッチして、素早くファーストに投げれたのもすごいと、自分を褒めた。 久美子も笑顔で選手たちをを迎えた。 「この勢いで逆転しちゃおう!」 活気を取り戻したチームの中で一人、ノりきれずにいたちえ子の肩をぽんと叩いた。 「ちえちゃんも、チェンジになったんだし、切り替えて!ね?」 「は、はい…」 久美子は少し心配そうに後輩の背中を見つめながら、スコアカードが挟まれているバインダーを持ち、優大のところへ行った。 「優大、恭矢の投球数、次の回の一人目のバッターで、七十球にいきそう」 「うーぃ。…恭矢にしては投げさせられてるほうだな」 「そうだね。結構ファールで粘られてる…」 「まだ疲れは出てねーけど、そろそろ得点してーな」 五回裏、うら中の攻撃が始まる。バッターは二番のヤモリからだ。 だおは打席の準備をしながら、相手ピッチャーを眺める。 「あのピッチャー、コントロール落ちてきたな…」 「そうだね。二球に一回ボール判定だよ」 久美子がスコアを見ると、四回あたりから、ボールを表す●の記入が増えてきていた。今もまた高めの球を、キャッチャーが腕いっぱい伸ばして捕球した。すまないという顔をするピッチャーに、キャッチャーは大丈夫と大きく頷き、返球する。 相手のチームは全体的にピリピリしている。勝とうという気合いが充分あった。しかし、それについていけてないものも、チラホラ見かけられた。ピッチャーもその一人で、周りのプレッシャーに押され気味である。疲れが出てきているのもあるだろうが、正直いっぱいいっぱいなところをキャッチャーになんとか導かれているようだった。 「だおちゃん、次だよ!」 「はいっ!」 じーとピッチャーを眺めていただおが走っていった。 ヤモリ、三番バッターの先輩も打ち取られ、ツーアウトランナーなし。 だおの打席だ。前回の打席で打てはしたものの、単独の二塁打で終わってしまったので、この回はなんとしてでも点を取りたかった。 初球、甘く入った球をだおは見逃さなかった。絶妙なタイミングでバットを振る。打球が勢いよく伸び、レフトとセンターの間に落ちる。だおは二塁を蹴った。 「三塁いけるぞ!」 「だおちゃんがんばって!」 久美子は叫ぶ。だおは余裕で三塁に到達し、久美子たちにガッツポーズを送った。 「よっしゃ、スリーベース!」 「すごーい!」 久美子は大きく拍手をしながら、ぴょんぴょん跳んで喜んだ。チームメイトたちも大興奮だ。次のバッターの恭矢も笑顔を見せながら打席に入る。 「さっさと、久美子んとこまで返してやるよ」 恭矢はだおにサインを送る。だおはニッと軽く笑った。 一球目、ボールが恭矢の体ギリギリにいく。寸でのところで恭矢は避けたものの、チッと舌打ちしてピッチャーを睨んだ。ピッチャーはあからさまにびくっと怯え、目を泳がせる。落ち着けというように、キャッチャーは大きくうなずき、返球する。 二球目、ボールは高めに入り、ツーボールとなった。だおは腰を落とし、キャッチャーを凝視した。神経を研ぎ澄ませ、周りの声援も何も聞こえなくなる。 三球目、ピッチャーが投げる。今度はストライクに入り、キャッチャーは大きくうなずいた。その瞬間、だおは走り出す。動き出したランナーが、キャッチャーの視界の端には入るものの、腕はすでに振り、ピッチャーにボールを投げてしまっていた。ピッチャーがキャッチすると、慌ててキャッチャーに投げる。しかし、ボールはキャッチャーの頭のはるか上に飛ぶ。腕を思い切り伸ばしなんとか捕球すると、腕を振り下ろす。だおがホームベースにヘッドスライディングしていた。 「セーフ!」 「すげぇぇえええ!!」 「よっしゃぁあああ!!!!!」 単独ホームスチール成功だった。ホームベースの上で手をバタつかせ喜ぶだお。恭矢はサインと違うことをされたことと、リスクのあるプレーに不機嫌そうな顔だ。 「てめー、俺、フツーに打つつっただろ!無理やり走ってくんな!」 「このチームは意表つかなきゃ、点取れねーと思ったからよ!」 「あぶねーだろ!」 「恭矢なら、避けてくれると思って」 「ったく」 だおはいえーいと両手を上げ、ベンチに帰った。部員たちの歓声が迎える。久美子はだおの全身に付いた砂をパッパッと払う。 「だおちゃん、怪我ない?」 「うん!」 「よかった。単独のホームスチール初めて見た!でも、よくあんなのやろうと思ったね!」 「相手ピッチャー、焦るとボールが上に反れちゃうの発見したから。んで、キャッチャーは返球するとき、必ず大きくうなずくんだ。ピッチャーは恭矢怒らせて焦ってたし、キャッチャーが大きくうなずいた瞬間走ったんだよ」 「へー、すっごーい!」 つまり、焦ってピッチャーがキャッチャーに投げると、上に反れ、それに釣られるようにキャッチャーも腕を上げ、捕球する。ホームに滑り込むランナーへタッチするまでの時間を利用して、盗塁を仕掛けたいうことだった。後輩たちがキラキラした眼差しでだおを見ていた。 「だお先輩がそんな頭脳派だったとは…」 「たまたま気づいただけだよ」 「だお先輩の足の速さがあってこそですよね」 「すげー!俺もやりてー!」 一-一、同点に追いついた。一気に、チームが活気づく。 「よっしゃ!次で逆転してやろーぜ!」 「おー!」 「あ、恭矢先輩打った!」 忘れていたように、部員たちはグラウンドに目をやる。いつの間にか、恭矢が一塁にいた。 六番の片岡も続き、ツーアウトランナー一、二塁になった。 ここで、おに中のピッチャーが交替した。もう一人のエースである、三年生がマウンドに上がった。今までマウンドを守っていたピッチャーより、球が速く、実力のあるピッチャーだ。ここで、流れを断ち切りたいのだろう。 次の打者である優大がファーストフライを打ち上げてしまい、スリーアウトとなった。追加点にはならなかった。 「優大ぃぃぃぃぃぃ!」 「バットには当たったんだけどなぁ」 優大ならしょうがないかと久美子は苦笑いする。今大会、未だヒットなしだ。実は、優大は打てない優秀なキャッチャーだった。リードやこの後の試合展開など考えているから、集中力が持たないのだろう。たぶん。 一-一、同点になり、六回表。うら中の守り。 おに中のベンチ前では、円になり、作戦の指示を確認していた。ほどなくして、よっしゃ、行くぞぉ!と円がバラける。 先頭バッターは一際体の大きな選手だった。 久美子はスコアで、この選手の今までの成績を確認した。バントで失敗して打ち上げ、アウトになっていた。他にも、守備ではセンターフライをエラーしていた。一年生で技術はつたないものの、体が大きいため、レギュラーに入っているのではと久美子は憶測を立てた。先輩たちの気合いがプレッシャーなのか、顔が緊張気味だ。 大柄な一年生に投げられた三球目、内角に入った球が二の腕に当たった。 「うわ、痛そぅ…」 一年生は当たったところを、押さえながら、すぐに一塁に向かった。 「チッ、よけろや」 恭矢の悪態がベンチまで聞こえてきそうだった。実際、避ける素振りは見られなかった。痛い思いをしてでも塁に出たかったのだろう。 ノーアウトランナー一塁。次のバッターが打席に入った。バットを構えるやいなや、大柄な一塁ランナーは積極的に盗塁をしかけにいく。恭矢の牽制球が飛んでくる。 「セーフ!」 その姿が、久美子には少し異様に見えた。この選手は脚はどちらかと言えば遅かった。今も恐る恐る塁から離れているように見える。盗塁に自信がなければ、あまり動かないほうがよいと思うのだが…。つい、だおの盗塁と比べてしまうが、体を扱いきれていないような感じだ。 粘ったバッターが打った四球目。一塁ランナーに当たりそうになりながら、跳ねていった。 「ひっ!」 「行け!」 相手校の一塁ベースコーチの声が響く。一塁ランナーは打球を避けるため、リズムを崩しながら、懸命に二塁に走った。その様子に、久美子としては間に合うかギリギリに感じた。 ヤモリがワンバンしたボールを捕った。 「セカンド!」 優大の声がヤモリに届く。ヤモリの視界には、セカンドのカバーに入っただおが、ベースを踏み、ヤモリの送球を待っていた。 ヤモリは整わない体勢のまま、力を振り絞り、先輩にボールを投げた。 間に合わない!と焦った一年の大柄なランナーは脚を伸ばし、スライディングでベースに突入した。恭矢の目には、ランナーのスパイクがだおの方に向いているのが見えた。砂埃が舞う中、だおが地面に崩れ落ちる。 「だおちゃん!」 久美子は思わず立ち上がる。だおが立っていない。倒れている。久美子は震える脚でベンチから二、三歩、歩み出た。だおのそばまで駆け寄りたいところだが、制服を着たマネージャーがグラウンドに踏み込むことはできない。 「アウト!」 審判の声が響く。だおはグローブにボールをキャッチしたまま地面に横たわり、痛そうに顔を歪めていた。 「だお!」「だお先輩!」 いち早く駆け寄っていた恭矢が、だおの顔を覗きこむ。 「だお!大丈夫か!」 「…………っ……」 いつものだおなら大丈夫!とすぐ返事をするのに、しない。声が出せないほど痛むのか、無言で恭矢の服を握りしめる。久美子は手で口を覆い、震えていたが、すぐに救急箱を取りに走った。 恭矢は立ちすくんでいたランナーを睨み、怒号を飛ばした。 「おい!てめぇ!野手の方にスパイクの裏向けて滑り込んできただろ!反則だぞ!わかってんのか!?」 「す、すいませんっ!」 ランナーに詰め寄り、今にも殴りかかりそうな恭矢の前に、ヤモリとちえ子が割ってはいる。それでも、恭矢の怒りは収まらない。 「恭矢先輩!落ち着いて!!」 「狙ってやったのか!?」 「ね、狙ってなんか、ないです!」 「ふざけんな!素人かよ!」 「恭矢先輩!!」 「審判!見てただろ!」 「恭矢、手伝え」 優大のひどく冷静な声に、恭矢は怒鳴るのをやめた。優大がだおの肩の下に体を入れ、運ぼうとしている。恭矢は睨んだまま優大とは反対の肩に体を入れた。だおは二人に支えられながら、ベンチに一旦返った。 「だおちゃん!」 久美子は今にも泣き出しそうな顔だった。だおは、あははと苦笑いをしてみせるが、額に冷や汗がすごい。 ベンチに座らせると、優大が左足のスパイクと靴下を脱がせた。それだけで、だおの顔は歪む。 「う…いってぇ…!」 「ひでぇな…」 足首が赤く腫れていた。一年生たちもだおの周りに集まり、覗き込んだ。みんな顔が青ざめた。 「はやく病院行ったほうがいいですよっ!」 優大はどうしたらいいのか固まってしまっていた。一年生たちがパニックになり、騒ぎ出す。 「でも、病院行くってことは代わりの選手、出さなきゃいけないんですよね?」 「代わりって、いないけど」 「じゃーどうなんの?棄権?」 うら中に控えの選手はいない。だおが今すぐに病院に行くということは、棄権するということになる。だおは、下を向きながら、ぽつりと言った。 「俺、やるし」 「続けるの?無理だよ!」 久美子が叫ぶ。こんな痛そうな顔して、プレーなんて無茶だ。 一年生たちの後ろで見ていた三年生の先輩たちが優しい声で言った。 「だお、もしも、俺らの最後の試合だとか思って無理してるなら、気にすんなよ。準決勝まで来れただけでも十分だよ。な?」 「あぁ、ゲッツーやって、ホームスチールやって…いい試合だったじゃん。楽しかったよ」 三年生の先輩たちは顔を見合わせ、だおに笑った。 「だから、ありがとな。もうこれで…」 「逆です。俺が先輩たちにお礼言うほうです!先輩たち、受験勉強したいのに、人数足んないから、試合来てもらってるし」 「こっちこそ、ろくに練習参加できてないのに試合出させてもらってるし…」 もう試合は十分楽しめたとだおを無理させないよう話を仕向けていく先輩たち。しかし、だおは真上を向くと、叫んだ。 「やりまぁぁああすっ!」 「だおちゃん!?」 「アスリートに怪我はつきもの!これくらいで、試合終わらせられっかよ」 だおをは立っていた恭矢を見上げる。 「恭矢、もう二度とランナー出さねーんだろ?」 「…あぁ」 「前に飛ばさず、全員三振にするんだよな?」 「あぁ」 「で、お前らはヒット打ちまくってくれるんだろ?」 チームメイトたちの顔を見ながら言った。 「は、はい!」 「じゃ、俺立ってるだけでいーじゃん。ヨユー、ヨユー。あと一点ありゃ、勝てるんだぜ!勝ってやろーじゃん!」 久美子は悲痛な顔をする横で、一年生たちが拳を握った。 「俺に任せといてください!」 「ホームラン打ちます!」 「勝ちましょう!」 それまで沈黙を貫いていた優大は、やっと口を開いた。 「わかった。んじゃ、ポジション替えんぞ。先輩方、どちらかショート入れますか?」 「え、あぁ、じゃあ、俺行くよ。内野やってたし」 「お願いします。だおはセンターな。先輩、もし飛んで来たら、フォロー願いします」 「おっしゃ!」 部員たちにまたやる気の炎が燃え出した。止めようとしていた三年生までも、止められないなら、勝つしかないと気合いを入れ直した。 久美子一人、何もできず、泣きそうな顔でだおの脚を見つめていた。 「くーちゃん!テーピングして!」 だおが横から明るい声で言った。久美子は唇を噛み締め、涙をこらえながら、だおの足にテーピングをする。 「そんな泣きそうな顔しないで。はっ!足臭すぎるから!?」 「んもう、確かに臭いけど!!今はそんなことじゃなくて…だおちゃんのこと心配で…。続けて、もっとひどい怪我になったら、どうするの…?」 「………」 「昨日、誕生日プレゼントに試合勝ってねとか言ってたけど、あれ、もう違うから。怪我してない万全の状態での話だからね」 頭に少し重みを感じ、を優しく撫でられる感触に、久美子が顔を上げるとだおが笑っていた。 「うん。…あと、ちょっとだけ、ね。すぐ、終わらせてくるから」 だおはグローブを取ると、センターに向かった。久美子はと胸ポケットを右手で握りしめた。四つ葉のクローバーを生徒手帳に挟んで入れていた。どうか、これ以上何もありませんように。 ワンアウトランナー一塁で試合が再開する。 恭矢の銃弾のような豪速球が飛んでいく。優大が、こっえーっと小さな声で呟いた。 あっという間に、バッターをすべて三振に抑え、チェンジとなった。 ベンチに戻っただおは、汗を拭きながら座る。 「恭矢ナイス」 「おぅ」 「親友が怪我させられて、ガチギレしちゃった?」 「ちげーよ。替わりがいねーからだ、バカ」 だおはふぅーと長く息を吐いた。拭いても拭いても、額の汗はなくならない。それを見て、久美子はポケットから、生理痛用の痛み止めを取り出した。 「これ、だおちゃん。痛み止め。気休めかもしれないけど」 「ありがとう」 久美子から水を注いだコップを受け取り、薬を飲みこんだ。 六回裏。だおの怪我のことを考えると、早く勝ち越し点を取り、気持ちに余裕を持ちたかった。 だおに怪我を負わせた選手は交替したようで、別の選手がセンターに入った。 うら中は交替したばかりのピッチャーの、慣れていない球筋に思うように打てなかった。何もできず帰ってきたどんすけ、ちえ子が情けないとベンチで顔を歪ませる。 「だお先輩すいません…」 「まだ試合負けてねぇぞ!泣きそうな顔してんな!」 「はいっ!」 久美子はもう、勝つことはどうでもよくなっていた。無茶なことせず、早く治療をして欲しかった。棄権が気に入らないなら、早く試合が終わって欲しい。うら中が点を入れられないなら、延長になってしまうなら、相手チームに点を入れられ、試合終了して欲しいとさえ思った。 結局、うら中は一人、フォアボールで出塁するも、得点を入れられず、チェンジとなってしまう。 七回表、恭矢はセンターに打球を飛ばさせることなく、無得点に抑えた。ここまで約九十球、一人で投げ抜いた。だが、試合はまだ終わっていない。 一-一、七回裏、うら中の攻撃。 「なんとしてでも、ここで点を取って、試合を終わらせるぞ!」 「はい!」 だおも、チームメイトもそれはよくわかっていた。延長戦をやる余裕はない。 打席は三番の三年生からで、運悪く、次がだおだ。ベンチを出るだおに恭矢がヘルメットを被りながら言った。 「おい、俺がホームラン打つから、お前、なんもすんなよ」 「おう。頼りにしてるぜー」 だおはバッターボックスに向かって、歩き出そうとした。 「だおちゃん!」 今までずっと黙っていた久美子がだおの背中に叫んだ。 「…無茶しないでね」 だおは、顔を少しだけ、久美子に向くと小さく頷いた。そして、ゆっくり歩いてバッターボックスに向かった。 三年生の先輩はアウトになり、だおの打順になる。バッターボックスに入っただおを見た相手ピッチャーは、バツの悪そうな顔で、帽子を深く被り直した。 初球、甘い球が飛んできた。バッターなら、絶対見逃せない球だ。だおは迷わずバットを振った。長打コースだ。だおはバットを転がし、走りだす。左足を踏み下ろした瞬間、激痛でガクンと崩れかける。 「っ!」 久美子は息を飲み、口元を両手で覆って立ち上がった。膝の上に置いてあったバインダーとボールペンがガラガラと音を立て、落ちる。だおは歯を食いしばり、一塁ベースまで走り切った。本来のだおの脚なら、二塁まで余裕で行けたはずだ。 「打たないって言ったのに…」 「だいぶ、キツそうだな…」 久美子の隣で優大も顔をしかめる。 落ちたままのバインダーとボールペンを、横にいたちえ子が拾い上げる。久美子はそれに気づいていないのか、だおを見つめたままだ。ちえ子はそのまま、ボールペンを握り、つづきを記入した。 一塁で次の動きを待つだおの額は、ものすごい脂汗だ。唇を噛み締め、右足に体重をかけてなんとか立っているという様子だった。 恭矢は舌打ちをしながら、バッターボックスに入った。 「チッ、あのバカ…」 「恭矢、ホームランでよろしくー!」 だおがわざとらしく明るく叫んだ。恭矢は言われなくとも、という表情でバットを構え、ピッチャーを睨んだ。そして、だおは、一歩、二歩といつもより控えめではあるが一塁ベースから離れた。 「やだ、盗塁するつもり!?」 四番のだおが塁に出て、盗塁。恭矢がヒットを打ち、ホームに返る。今までの試合で何度も得点しているパターンだった。恭矢だって打率は悪くない。チャンスだった。 恭矢、次の片岡が過ぎれば下位打線で、今までの成績からみると、期待が薄くなる。できることなら、少しでも塁を進め、チャンスを広げておきたい。 久美子は唇を噛しめた。手が震える。心臓を誰かに鷲掴みにされて、握り潰されそうで、息をするのも苦しい。自分がプレーしてるわけでもないのに、怪我しているわけでもないのに…。 牽制球が飛び、だおはスライディングと言えるのか、飛び付くように手でベースを触りに行く。なかなか立ち上がらない。腕の力でやっと立ち上がったと思うと、また、一歩、二歩と脚を進める。そしてまた、牽制球。戻るだお。震えながら立ち上がり、また、塁から離れる。苦しそうなだおの顔。 もうやめて。久美子は心の中で叫ぶ。もうやめて。走らないで。なんでそこまでして…そんな苦しそうにするだおちゃん、見たくないよ…。やめて…走らないで…走らないで…走らないで…! 恭矢が打った。打球が三遊間を転がって行く。だおが走り出した。 「だおちゃん!走らないで!!」 その声に、だおは脚を止めた。予想しなかった指示にベンチを振り返る。優大やチームメイトたちは謎の指示に固まっていた。 「アウト!」 だおにボールを持ったグローブがタッチされる。 「どけ!」 だおがよろよろ一、二歩離れると同時に、恭矢がヘッドスライディングで一塁に突入する。 「アウト!」 塁審が言った。スリーアウトとなり、うら中の攻撃が終わった。 相手チームの内野手たちは少し混乱した様子で話しながら、引き上げていく。 「何が起きた?」 「なんで一塁ランナー止まったの?」 「指示ミス?」 恭矢は立ち上がると、ベンチにいる久美子に向かってずんずんと歩いて行く。 「恭矢!」 だおが声をかけるが、止まらない。久美子は号泣しながら、震えていた。 「久美子!おい、てめぇ!」 今にも殴りそうな勢いで、久美子の前で怒鳴り散らす。 「何大声出してんだよ!てめぇのせいで、アウトになったんだぞ!逆転のチャンスだったのに!」 「ご、ごめんなさい…」 「恭矢」 優大が恭矢と間に割って入るが、そんなことでは恭矢は止まらなかった。 「ごめんなさい、ごめんなさい…」 「何したかわかってんのか!なぁ!」 久美子はうわぁと泣き崩れるように、その場に座り込んだ。後輩たちも久美子と恭矢の間に割って入る。 「恭矢先輩、久美子先輩はだお先輩を心配するあまり思わず声出ちゃったんですよ!」 「まぁ、まぁ、延長になっただけですし、またチャンスありますって!」 「切り替えましょー」 そこへ、ヤモリに手伝われながらだおが来た。恭矢の左肩をポンと掴む。 「恭矢!俺が悪かった!」 「チッ…」 恭矢はだおの手を振り払いながら、舌打ちし、ベンチの奥へ歩いて行く。ヘルメットを放り投げた。壁に当たり、ガーンと派手な音がし、後輩たちはビクつく。 久美子を取り囲み、慰める部員たちに、ちょい失礼と声をかけながら、だおは久美子の前に膝つき、顔を覗きこむ。 「くーちゃん、ごめんね。無茶しないって言ったのに…」 久美子は手で涙を何度も拭きながら、声を絞り出した。 「…だおちゃん、ごめんね、大声だして…。だおちゃん止まって、アウトになっちゃった。点取れそうだったのに…勝てそうだったのに…」 だおは久美子の頭を黙って撫でた。 「…………っ」 だおの手に力が入り、髪がくしゅっと乱れた。ちえ子が冷却スプレーを持ってくる。 「えっと、ひ、冷やしますか!?」 「サンキュ」 だおは右脚を立て、左脚を軽く伸ばした姿勢で、靴、そしてソックスを脱ぐ。さっき以上に赤く腫れ、テーピングで隠せないほどになっていた。久美子やチームメイトたちはそれを見て青ざめる。 「めっちゃ腫れてる…」 だおは険しそうな顔で自分の冷却スプレーをかけられる自分の脚を見ていた。 それ以上、誰もが何を言ったらいいかわからず、ベンチは重い空気に包まれた。シューとスプレーが出る音と、久美子の嗚咽が響く。 だおは久美子の地面についた手を上からやさしく握った。そして、地面を見つめながら言った。 「…なぁ、みんな、棄権にしてくれないか?」 全員が驚いたようにだおの顔を見た。久美子も驚いて顔を上げると、やさしい顔のだおと目が合った。止まりそうだった久美子の涙がまた溢れ出す。頬伝い、胸にポタポタ落ちていく。だおはさらに久美子の手を握った。 優大が沈黙を破るように言った。 「賛成。相手ピッチャーにはてこずってるし、これから下位打線だ。だおが怪我した状態で、延長戦はキツい」 「何言ってんだよ。ここまで来たのに…」 離れてベンチに座っていた恭矢が前を向いたまま、視線を合わせず言う。 「しょうがない」 「準決勝だそ…あと一点ありゃ勝てるのによ…」 恭矢にしては珍しく、目の前の現実を受け入れがたいという苦しそうな声だった。三年生の先輩たちが口を挟む。 「もういいじゃん。恭矢」 「お前らは来年もあるし。高校でも野球やるんだろ?今無理して、一生響く怪我にでもなったらよくないよ」 優大の声が響く。落ち着いた、しっかりとした声だった。 「恭矢、お前が一人でここまで投げてくれたから、ここまで来れた。そりゃ悔しいよ。俺だって悔しい。でも、だおが怪我で野球できなくなったら、もっと悔しいだろ?お前だってそうだろ?」 「………」 恭矢はそれ以上何も言わなかった。優大は立ち上がる。 「決まりだ。棄権する。いいな?」 優大は自分の周りにいるチームメイトたちの顔を見つめ、確認をとった。はいと返事があり、誰も異論を唱えるものはいなかった。久美子は静かに泣きながら、やり取りを聞いていた。 だおは痛みに顔を歪めながらも、しっかりした声で、周りのチームメイトたちに聞こえるように言った。 「その代わり…その代わり、次はぜってー優勝するから!!約束する!」 「次は絶対優勝しましょう!」 だおに合わせるように、後輩たちが明るく声を出した。 優大は審判に棄権を申し出、うら中は準決勝である五回戦、不戦敗となった。 その後、だおは父親に車で迎えに来てもらい、病院へ行くことになった。 だおは優大とどんすけに支えられ、球場の入り口に止まっている車に向かう。久美子はだおの荷物を持ち、少し離れて後ろについていった。 「すいません!」 声に振り返ると、相手校の怪我をさせた一年とキャプテンらしき人が、だおのところへ走ってきた。坊主頭を深々と下げる。 「怪我、すいませんでしたっ!」 だおは背の高い一年生の肩をぽんぽんと叩き、笑った。 「スポーツ全力でやってりゃ、怪我させちまうことだってある。気にすんな」 顔を上げた一年生、にだおはまた笑顔を向ける。 「優勝してくれよ!」 「…はい!」 だおは車に乗り、病院へ向かった。
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