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第4話「試合」
夏の大会、三回戦。前回と同じ球場で行われる。
久美子は重い足取りで球場に着いた。昨日のグローブ水洗い事件のショックは大きい。
久美子は心配そうにだおに話しかけた。
「だおちゃん、グローブ、大丈夫そう?」
「昨日、気になってたグローブ買っちゃったよ!大丈夫!」
だおの顔を見て、久美子は少しほっとするが、だおの口からは大丈夫!しか聞いたことがない。信じていいのだろうか。
部員たちはすでにアップを済ませ、ベンチで試合開始時刻を待っていた。
「はぁー、今日はおに中かー」
「俺らの夏もこれで終わりか…」
三年の先輩たちは試合前から泣き言を言っていた。二、三年生は明らかにテンションが低い。久美子は優大の近くに寄ると、小さな声で聞いた。
「今日の相手、強いの?」
「あぁ。去年は準優勝だったしな」
市立鬼浜中学校、通称おに中は、オーラが今までの学校とは違った。気合が入っているというか、目付きが鋭いというか、怖そうだった。
その様子に怖じ気づいている部員が多い中、だおだけは試合にわくわくしているようだ。
「やっちゃいましょう!おに中に勝っちゃえば怖いもんなしですよ!」
チームメイトたちはそれでも、テンションが低いままだ。若干だおが浮いている。チラッと観客席を見れば、おしゃれなカッコした女子が数人いる。おそらく恭矢のピッチングを見に来たのだろう。
今日の先発は恭矢、キャッチャーは優大だ。だおは変わらずショート。打順はほとんど変わらなかったが、だおだけは、前の試合が評価され、今回は三番を任されていた。久美子は前回の試合よりも詳しく、綺麗にスコアをつけるのが目標だった。
「そろそろ時間だ」
「がんばってね!」
「うん!」
久美子は一抹の不安を感じながらも、笑顔で送り出す。だおもまた、 笑顔で応え、グラウンドに走っていく。
整列し、挨拶が終わると、うら中ナインはそれぞれ守備位置につき、試合が始まった。
あいかわらず恭矢のピッチングは好調だった。実力のあるおに中相手に、途中、何度かランナーを出しながらも、恭矢は三回まで無失点に抑えた。
一方、うら中の打線は、未だ無安打だった。ピッチャーの球速は大したことはなかったが、守備陣に隙がなかった。相当練習を重ねたであろうおに中の動きは、守備の見本とも言える完璧さで、久美子まで思わず感心してしまう。おまけに応援の声かけや送球の指示など、声が大きく、チーム全員が勝つという気合いがひしひしと感じる。
三回の裏、うら中の攻撃になり、三振で帰ってきた優大が久美子のスコアカードを覗いた。前回の試合の荒れたた斜線だらけ、文章だらけの雑然としたものではなくなり、なんとか見れるものになっている。
「今回はそれほどテンパらずにやれてるみたいだな」
「あ、うん、一応…」
恭矢が横から言った。
「んじゃ、ボールカウントも書くか」
「ボールカウント?」
「ピッチャーが投げた球がストライクになったか、ボールになったか、ストライクなら見送りか空振りか…」
「ええぇ…」
それって書き込む量がぐっと増えるのでは…。それまでは安打の記録中心で、ついでに恭矢の投球数だけを正の字で書いているだけだった。
「俺的にはそれ、結構欲しい情報だわ」
優大も遠回しに要求してくる。大変そうだが、みんなががんばってるのにできないなんて言えなかった。ただでさえ、昨日やらかしているし。
「と、とりあえず、やれるだけやってみる!」
「はい、空振りストライク、×印」
「ちょ、ちょっと待ってー」
優大と恭矢に指示を受けながら、本当に小さな欄に×印やら、〇印を記入する。
そして、ストライクである×印をたくさん書いたところで、チェンジだ。またこの回も点は入らなかった。打席を待っていただおは打順が回ることなく終わった。(912)
四回表。うら中の守りになる。
バッターが打ち上げた打球は小さく弧を描き、三遊間へ飛んでいく。だおはいつものようボールの下に行き、グローブを構えた。だおにとっては慣れた捕球。しかし、ボールをキャッチするも、掴みきれず、グローブからポロリとこぼれ落ちた。
「っ…!」
久美子は息を飲むような声を上げ、口を手で押さえた。だおは落とすと同時に右手で拾いに行き、体勢を崩しながらも一塁に送球した。
「セーフ!」
「くそっ!」
僅か数秒遅かった。
「ちっ」
恭矢が舌打ちをする。出してしまったランナーは脚が速く、積極的に盗塁を仕掛けてくるため、できるだけ塁に出したくない選手だった。
だおが恭矢すまんと声をかけるものの恭矢は視線すら送らず、無視した。代わりに優大が何か声をかける。
その後、ランナーに盗塁を許し、さらに次のバッターが長打を放ち、一点入れられてしまった。
その後はなんとかスリーアウト取ったが、恭矢の機嫌は悪いままだ。久美子は帰ってきた部員全員に向かってぺこぺこと頭を下げた。
「すいません。すいません」
状況が呑み込めない先輩が優大に聞いた。優大は苦笑いしながら答える。
「なんで柴田さんが謝ってんの?」
「昨日、あいつのグローブだめにしちゃって…。今日おろしたてのだったから、手に馴染んでなくて、エラーしちゃったんですよ」
「ったく、ブース、バーカ」
恭矢が久美子を罵る。顔は怖いが、まだ怒りマックスではないようだ。怒りマックスの恭矢はこんなもんじゃない。だおが恭矢と久美子の間に割って入った。
「おーっと、くーちゃんを責めるのはそこまでだ。取り返してくっからよ」
「前回、キャッチャーフライだったやつが何言ってんだよ」
だおはヘルメットを被り、バットを握って飛び出して行く。
四回裏。ノーアウトランナーなし。三番バッターのだおが打席に入った。
だおは初球から打ちにいった。勢いよくバットを振ると、ボールはいい音をたて、レフト方向へ落ちた。
「やったぁ!」
うら中の初ヒットだ。三塁ベースを踏んだだおが、こちらに向かってガッツポーズをした。久美子は拍手贈った。
四番の先輩がヒットを打ち、だおはホームへと帰った。うら中は同点に追いつき、一-一となる。
「だおちゃぁん…!すごいよぉ…」
久美子は感極まって今にも泣きそうだ。ベンチに戻ってきただおに、真っ先に声をかけにいく。
「だおちゃん!ありがとう!!だおちゃんが点取ってくれなかったら、試合後、恭矢に殺されるところだったぁ…!!」
恭矢が打順でいないベンチで、久美子はだおに頭を下げた。
「えへへ、でも、ホントは逆転したかったのに、これで終わっちゃったし、次も打ってくるよ!」
五回表一-一。うら中のピッチャーが恭矢から、前の試合登坂した濃い眉毛の三年の先輩に代わった。ピッチング内容の良し悪し関係なく、もともと五回から、交替するという予定だった。先輩としては調子を忘れないために、投げときたいらしい。恭矢は渋々マウンドを譲った。
ピッチャーをする三年生がいたライトには、病み上がりの先輩が入り、恭矢はベンチにいることとなった。
久美子は恐る恐る、恭矢にお茶を渡した。
「お、お疲れさま…」
「チッ、交替させやがって。クソが。つーか、あの眉毛、大丈夫なのかよ……あー、打たれた」
ここまでおに中は打てずにいたので、案外イケると思っていたのか、三年生のピッチャーは焦った表情を浮かべている。
三球目、またヒットを打たれる。それからも、連打は止まらない。あっという間に二点も入ってしまった。ホームベースを踏まれるたびに、見ているだけの久美子は胸が締め付けられるような苦しさを感じた。
「もう二点も入っちゃった。この調子だと、また点入っちゃうよ。どうにかならないの?」
「無理じゃね?やっぱ、あの眉毛じゃダメなんだよ。あの球、めっちゃ打ちやすいし、外野はノーコンでエラーばっかするし」
「そんなぁ…」
「あーぁ、これ、終わったな」
恭矢は冷笑を浮かべた。今まで抑えてきた恭矢からすれば、負けそうな焦りより、代わった先輩に対しては苛立ちのほうが強いのかもしれない。
「まだ六回だし、逆転のチャンスはあるかもしれないじゃん」
久美子はそう言うものの、心のどこかでは、もう厳しいのではと思っていた。どうにかしてあげたいが、自分にできることは何もない。ただ見ているだけしかできないことが、こんなにも苦しく、辛いことだと思わなかった。
その後、さらに二点入れられ、一-五になる。やっとのこと、スリーアウトとり、ナインがベンチに帰ってきた。
「やっぱ強いなおに中は」
「ごめん、みんな」
「気にすんなよー」
ヘラヘラとしながら帰ってくる先輩たちだったが、だおだけは真剣な顔だった。
「もう負けだな」
恭矢が皮肉ったように笑った。久美子はうつむくと、だおはキリッとした顔で振り返った。
「負けないよ!だって、くーちゃん、マネージャーやってくれるの夏大の間だけだから。もっと一緒にいたいから、絶対に負けない!」
だおの気合いとは裏腹に六回裏、うら中は無得点で終わってしまった。
一-五のまま、七回裏、最後の攻撃となる。
「打ってくる!」
この回、打席が回ってくるだおはバットを握って、ベンチを出た。
「だおちゃん!がんばれ!」
だおは久美子の方を見ると、大きくうなずいた。
だおの前にバッターボックスに入った先輩が、ヒットを打ち、ランナー二塁。
ワンアウトでだおの打席が回ってきた。同点に追い付けば、延長になり、勝利の可能性はまだ残されている。
一球目、ビシッと速い球がキャッチャーのミットに収まる。ワンストライク。二球目、ボールはバットに当たると、鋭い音をたて、ベンチ上の金網に当たった。久美子は張りつめていたものを一旦ほどくように、はぁと大きく息を吐いた。
「惜しいなぁー…」
前の試合と同じように、ファールが続いていく。ピッチャーはそれに怯まず、一球、一球、全力で投げこんでくる。だおも負けない。全部のボールをバットに当てていった。そのたびに、あー…という観客、チームメイトの声、ファール!という審判の声が続く。
久美子はだおの姿に目を向けたまま、隣に座る優大にぼそっと言った。
「ね、優大、マネージャー、続けてみても、いいかも…って思った」
「だろ?」
えへへ、と笑って誤魔化すと、久美子は立ち上がった。
「がんばれ!だおちゃん!」
またファール。心臓が痛い。うまく息ができない。喉が乾いたが、お茶を飲む気にはなれなかった。今、目を離したら、絶対後悔する。握りしめていたタオルごと、いつの間にか口元を覆い、だおを見守った。がんばれ。がんばれ!がんばれ!!
ピッチャー投げる。だおは迷うことなく振っていった。ボールが大きく弧を描き、飛んでいく。ピッチャーが天を仰いだ。
「あっ!!」
久美子は思わず、跳び跳ねた。しかし、下降したボールはセンターのミットにぽすっと収まり、ツーアウトとなる。
「あーぁ…、惜しかったのになぁ」
久美子が落ち込んだ顔をしていると、だおが戻ってくる。こんな顔しててはいけないと久美子は笑顔で出迎えた。
「だおちゃん、惜しかったね!あと少しだったのにね!」
「うん」
だおは力なく笑い、すぐに顔は背けた。ヘルメットを外したところで、審判のバッターアウト!ゲームセット!という声と相手チームの歓声が聞こえてきた。
「整列!」
「はい!」
主将の声に、だおたちはもう一度グラウンドに向かった。
その後、グラウンド整備や荷物をまとめた。試合に負け、今日で引退となる三年生の先輩たちの声は、案外明るかった。
「負けちゃったな」
「まぁ、相手はおに中だったし、十分頑張ったよ」
「だよな。四回戦まで行ったの、すげぇよな」
久美子はその様子に内心、ホッとしていた。正直、号泣でもされたら、どうしたらいいかわからない。
久美子は手伝いを一通り終え、他にできることはと見渡していると、優大に呼ばれた。
「久美子、マネージャーの仕事頼んでいいか?」
「うん」
「めんどくさい系だけど」
みんなの野球をやる姿に、マネージャーをやると決めたのだ。多少めんどくさい仕事があるのもわかっている。
「大丈夫」
「あいつ、どーにかしろ」
指差された先にいたのは、だおだった。一人で一-五と書かれたスコアボードを睨んでいる。
どうしていいかわからない久美子だったが、だおと少し距離を取ったところまで近づくと、明るすぎず、かといって暗すぎないような声で名前を呼んだ。
「だおちゃん」
だおは思い詰めた顔のまま、声を絞り出すように言った。
「打てなかった…。タイミングもだんだん合ってきてたのに…最後の球…変なとこ当たって……くっそぉ、マジ悔しいー!」
アウトになったときの悔しさが蘇ってきたのか、腰を屈め、膝に手をつき、地面に叫んだ。
久美子はこれ以上どうしたらいいのかわからずにいた。遠くで先輩たちのおーい、行くぞーという声が聞こえる。
恭矢も現れ、久美子に言った。
「おい、ブス、私がグローブ水洗いしちゃったから…とか思ってんなら、さくっと抱きしめてこい」
「えぇ?抱きしめる!?あたしが!?」
「選手を慰めるのもマネージャーの仕事。お前、野球部のマネージャーなんだろ?違ったぁ?」
「違わない!やる!ブスに二言はねーよ!」
謎の宣言をすると、さらにだおに近づいていく。優大が恭矢に聞いた。
「どういう意味だ?」
「ブスは言った言葉は取り消さない覚悟で生きてるって意味じゃね?」
久美子は両手を広げ、だおを見た。悔しそうな姿を目の前にすると、やはり、私なんかが抱きしめてもいい立場じゃないなと、広げた手を下ろしてしまう。
「……だおちゃん、グローブごめんね…」
「くーちゃんのせいじゃないよ。それ以前の問題。実力の差、ありすぎ…俺らマジ練習不足…」
だおは振り返りながら、顔を上げる。久美子の顔にたどり着く前におっぱいが目に入ってしまった。至近距離のおっぱい。柔らかそう。それ以上なかなか視線が上がらない。久美子が励ます言葉をかけるたび、おっぱいは揺れる。
「また、次もあるんだから、がんばろうよ!ね!あ、あと、これからもマネージャー続けることにしたよ。よろしくね」
「………」
「あ、嬉しく、ない?」
久美子が上目遣いで見つめていた。
「嬉しいです!!!!!!頑張ります!!!」
久美子の両手を一つにまとめ、ぐっと掴むと、かなりの至近距離まで顔を近づけた。
「絶対次は勝つから!」
「う、うん!」
さっきまでとうってかわって、目は輝いている。
「よーし、優大ん家で焼き肉食って、練習しようぜ!」
だおは突然走り出す。優大は爆笑している。恭矢は珍しく、久美子に感心の声をかけた。
「お前、すげーな。さすがブス。二言はなかったな」
「あはは…」
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