第7話「背中」

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第7話「背中」

十二月に入った。 朝練が終わり、久美子は雑巾を水道でゴシゴシ洗っていた。 同じく朝練終わりらしきサッカー部の男子二人が、久美子の胸をチラチラ見ている。 「デカくねぇ?何カップあんだろ」 「ちょっと動くだけで揺れてんだもん。やべーよ」 久美子に聞こえるほど大きな声だった。久美子はそいつらが立ち去るのを待ったが、なかなかいなくならない。誰かが横に立った。だおだ。その男子たちに向かって妙に明るい声で言った。 「見ろよぉー!俺の筋肉ヤバくね?」 カッターシャツをバッと広げ、お腹を見せる。 「スッゲー、藤崎、筋肉割れてんじゃん!」 「カッケー!!」 「だろ?胸筋も自信あんだせ!」 だおがわずかに胸をピクピク動かす。男子たちはおもしろがってだおに腹パンする。 「痛くねーし!」 「カッチカチ!」 「すげぇー!」 男子たちがふざけあっている間に、久美子は洗い終わった雑巾を手に、その場を逃げ出した。 「見てたよー。藤崎、やさしーじゃん」 「うわっ、びっくりした!かよじゃん」 突然話しかけられ、顔をみると久美子の友人のかよがニヨニヨしていた。そのまま、二人で校舎に入る。 「藤崎って案外、その場の空気悪くさせずに、人をかばうのうまいよね。めんどくさいことも、首つっこんで。やさしー」 「で、でも、だおちゃんは誰にでも優しいから」 「んー。まぁ、確かに。見ず知らずの人に手貸したり、困ってる人ほっとけないとこあるけどさ。久美子には特別やさしいでしょ?」 「え、えぇ…そう、かな…」 「だって、久美子のことよく見てるもん」 「……」 そうなのかと思い返してみるが、自分ではよくわからない。 外靴から上靴に履き替えた二人がまた並び、教室に向かう。 「久美子は優大と付き合うかなーって思ってたのに」 「えー、優大とかおっさんじゃん」 あははっと爆笑しながら、教室に入ると、それぞれの席別れた。久美子は持っていた雑巾を窓際に干した。 その日の部活が終わり、久美子がボールを拾っていると、だおが手伝い出す。 目線を上げると、恭矢と優大がグラウンドをならしているのが見える。 「…………」 久美子がボールを籠に入れると、だおも入れた。こんな寒いのに半袖で、腕が見える。たった半年のうちに、また逞しくなった気がする。力をいれなくても、浮き出た血管が、なんだか…。 「くーちゃん、お腹減ったの?」 「え?」 「何もしゃべんなくて、不機嫌そうだから。やきそばパン、俺の鞄に入ってるから、食べていーよ」 「だ、大丈夫!」 久美子は残り急いで拾ってしまう。 もう、かよがあんなこと言うから、なんか意識しちゃうじゃん。 荷物を器具庫に、久美子とだおは手分けして運ぶ。 「あ、そーだ。くーちゃん。湿布貼ってくれる?背中」 「うん。いいよ」 誰もいない部室に入るなり、だおは服を脱ぎだし、上半身裸になった。床に座り、久美子がその後ろに立ち膝をする。肩甲骨の間ぐらいが赤く、少し腫れていた。 「恭矢がさー、背中にボールぶつけやがって、クソいてぇー…」 さっき、ノックをだおが打っていたが、ついでに投げさせろと恭矢が言っていた気がする。軟球といえど、恭矢に当てられたら相当痛い。 目の前に、大きな背中がある。普段から、久美子のいる前で着替えをし、見慣れてるはずなのに、なんか緊張する。手にテーピングしてあげたり、今まで触ることなんていくらでもあったのに、背中に直接触れるって、また別、かも…。 久美子は、救急箱から湿布を手に取ると、だおの背中に触れた。 「冷たっ!」 「ごめん!」 慌てて引っ込めるが、ごめんごめん、大丈夫とだおが笑う。実際、久美子の手先は、冬の冷たい空気の中、校庭にいたため、痛いくらいの冷さだった。 だおが湿布を貼り終わるのを待っているので、もう一度、ビニールがついたままの湿布を背中につける。真ん中で切れているビニールの片側をめくると背中にはり、もう片側も同じようにした。 「ありがとー。湿布より、くーちゃんの手のほうか冷たいよー」 前に比べて、肩幅がしっかりした気がする。背も高くなった。今じゃ、久美子が見上げないといけないくらい。少しの間、眺めていると、だおが振り替えりながら、久美子の手をとった。自分の手で挟み、温める。バットを握ってできた豆があるのがわかる。 「ボール拾ってくれてありがとう」 同じように校庭にいたはずなのに、だおの手は温かい。久美子の手よりも先に、顔が赤くなる。 「………」 「………くーちゃんの手、玉ねぎのいい臭い」 今日のお弁当はハンバーグだった。 暗くなるのが早くなったため、部活は五時には切り上げなければならなかった。そのため、全体での練習が中心で、キャッチボールすらやらずに終わってしまうこともあった。 そんなときは帰り道、いつもの神社でだおは久美子とキャッチボールをしていた。優大と恭矢はいたりいなかったりだった。今日は少年野球チームのころの監督に、会いに行くらしく、神社の前で別れた。 久美子とだおが境内の中についたころは、まだ日は完全に落ちきっておらず、それなりに明るかった。申し訳程度の照明も点き、キャッチボールには支障はなかった。 久美子は玉ねぎくさい手にグローブをはめると、だおから離れた。だおの投げた山なりのボールを久美子はポフッとキャッチする。そして、今度はそのボールを握ると、だおにポーンと投げた。だおの手前でワンバンし、だおはボールを拾う。 「くーちゃん、上手になったね」 「だおちゃんが根気よく教えてくれたからね」 「ゴロとかもちょーだい」 ボールを受けた久美子は、今度はだおの足元に転がす。だおが地面にグローブを着け、捕る。久美子はコントロールはよくないが、だおにはそれがちょうどいいらしい。 「あっ、ごめん」 「大丈夫!」 久美子はワンバンや、ゴロ、山なりの球など、いろんなものを混ぜ、しばらく投げ合った。 いつの間にか日が落ち、空が紫色になる。 「ありがとう。今日はこれで終わりにするよ」 「…はぁ、はぁ、お疲れ様」 久美子は少し息を切らしながら、社殿に上がるための石階段に座り、鞄から水筒を出した。だおも隣に座り、汗を拭く。風が吹き、竹林がざわめく。静かになったと思うと、すぐ近くで、ガサッ、ガサッという音がした。久美子は思わず、だおに近づく。 「にやぁぁ」 「…なんだ、猫かぁ」 正体がわかり、肩をなでろす。ブチ模様の猫が一匹、伸びをして歩いていった。 「もう、びっくりしたぁ…。寒くなってきたし、そろそろ出るころだと思って」 「やっぱ?俺も思ってた」 「「コートの下裸おじさん!!」」 せーのと合わせてもないのに、二人で同時に同じことを言い、笑い転げる。 コート下裸おじさんとは、このあたりによくいる変質者のことだ。女性の前で、コートをはだけさせ、露出した下半身を見せ、反応を楽しむらしい。 「くーちゃん、会ったことあるの?」 「私はないけど、かよがあってね、見せられた瞬間、言ってやったんだって!ちっさ!って」 「ぜってー言われたらショック受けるわー。でも、くーちゃんはそういうこと言っちゃだめだよ。逆上してきたら危ないし」 「はーい。だおちゃんだったら、どうする?」 「えー、俺?まず、見せられるかな…」 くだらない話から、昨日のテレビの話、学校の先生の話、ついつい時間を忘れてしゃべってしまっていた。 久美子が風に体を震わせたので、だおがすとんと、地面に降り立った。 「そろそろ行こ。家まで送るね」 すでに太陽は完全に沈み、暗くなっていた。久美子の家までたった数十メートル。 家の前まで着くと、ちょうど久美子の母親が駐車場に車を止め、玄関を開けようとしていた。 「久美子、遅いよ!日が暮れるの早くなってきたんだから…」 久美子の母がまくし立てるように注意するのを、だおは声を被せるようにして割って入った。 「すいません!俺の相手してもらってたら、遅くなっちゃって…」 「俺の相手?」 「キャッチボールの!」 あぁ、というように久美子の母は納得すると、だおに向き直る。その顔はもう怒っていなかった。久美子の母だけあって、おっぱいはでかい。 「あなたがだおちゃん?」 「はい!」 「よかったら、夕飯食べてく?」 すぐに自分のせいとかばっただおが男らしくみえたのか、母親がいないのを同情したのか、久美子の母はだおを夕飯に誘った。どうしようか迷っているだおに久美子は言う。 「食べてってよ!今日、からあげなの!揚げたて食べて欲しい!昨日の夜から漬けこんどいたから、あとは揚げるだけだよ!」 「じゃあ、お言葉に甘えて…」 久美子の家は綺麗だった。男だけのだおの家が汚すぎるだけだったが、玄関に上がるだけで、靴下は汚くないか、足は臭くないか気になり、躊躇してしまう。それに気づいたのか、久美子が、シャワー浴びる?とまで言ってくれた。 「あ、足だけ洗おうかな…砂とかついてるかもしれないし…」 タオルを貸してもらい、風呂場で足を洗わせてもらう。ホントは全身砂がついてないか心配だが、そこまで洗う勇気はなかった。 浴室から出ると、すでにいい匂いが立ち込めていた。そろり、そろりとダイニングに向かうと、制服にエプロン姿の久美子が菜箸を持って、コンロに向かっていた。 「だおちゃん、そこ、座ってて!すぐできるから!」 「うん」 ダイニングテーブルに座り、そわそわと部屋の中を見た。久美子の母は洗濯物を取り込み、ベランダから部屋の中に戻ってくる。すぐに、キッチンに行き、夕食の準備を手伝った。 数分後、おいしそうな食事が湯気をたてテーブルに並んだ。揚げたてのから揚げ、ひじき煮、チョレギサラダ、肉じゃが、ふろふき大根、炊き込みご飯。だおは目を輝かせた。家で誰かと食べるできたての食事。随分と久しぶりだ。だおは、からあげを頬張った。 「おいしい!」 「ホント!?」 「うん!サクサクで!」 「遠慮なく食べてきゃーね」 「ありがとうございます!」 だおは勢いよく食べ出した。それを見て久美子の母も満足そうに目を細める。 「久美子から、よー聞いとるよ。野球、がんばってるんだってね」 「はい!」 「こうやって夕飯、食べてっていいからね」 「そろそろ鍋とかしたいんだけど、二人だと余らせちゃって、次の日も鍋、また次の日も…ってなっちゃうんだよね」 「邪魔じゃないなら…」 「やったぁ!じゃあ、明日ちゃんこ鍋ね!」 それから、野球部の話やだおの好きな食べ物の話、久美子と母の話、三人でしゃべり続けた。 久美子は食べ終わると、さっそく何を買い物してくるかチェックを始めた。 「もう、暗くてわかんない!」 廊下のクローゼットを開け、卓上コンロを探していた久美子。 「電気つかないの?」 だおが顔を出した。背の低い踏み台に乗った久美子が背伸びして、棚の中を漁っている。 「電球切れちゃって、届かないから、替えてないの」 「俺が替えるよ!」 「いいの?ありがとう!」 久美子は替えの電球を渡すと、だおが難なく照明に手を伸ばす。廊下がぱぁっと明るくなる。久美子の母が拍手する。 「ありがとう。助かったわ。やっぱり男手必要ねー」 「他にもなんかして欲しいことあったら、やるんで!」 無事卓上コンロを見つけた久美子は、今度は包帯を手にしていた。 「じゃ、お母さん、包帯の巻き方教えて!優大がね、手首がどーの、こーの言ってたことあったんだよね。だおちゃん手貸して、練習させてよ」 「いいよ!」 だおが差し出した右手を久美子は手に取り、看護師の母に教えてもらいながら、包帯を巻いていく。 だおはそれ以来、ちょくちょく久美子の家で夕御飯をご馳走になっていった。
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