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右足の親指と人差し指の付け根を、一匹のアリが這っている。
屋上の縁に座って足を揺らしながら、最上壮太はそのかすかな感触に「俺がエサにでも見えているのだろうか?」と思った。
そんなどうでもいい思考を巡らしていると、隣で同じようにして座るハナエが、
「ねえ、覚えてる?」
と訊いてきた。
「なにを?」
言って、最上はハナエを見た。
ハナエはとても美人だった。言い寄る男が絶えないほどに。だが本人はどこ吹く風で片っ端から男たちをフり続け、彼らが絶望する様を楽しんでいるようにさえ見えた。
「契約のこと」
「……覚えているさ。忘れるわけがないだろ」
最上の言葉に微笑んで、ハナエは眼下へ視線を落とした。
「やっぱり、高いよね」
「恐怖を感じるものなのか?」
「当たり前でしょう。誰だって死ぬのは怖いよ」
「化け物でもか?」
「……イヤな言い方するね。さすがに傷つく」
ビルから見下ろせるスクランブル交差点では逃げ惑う人々を身の丈三メートルほどの化け物が襲っている。すでに地獄と化した一帯を、最上は無表情のままに見つめた。
「これで何体目だ?」
「八人目ね」
ハナエは、化け物たちを「何体」ではなく「何人」で数える。奴らがもとは人間だったことを知っているからだ。しかも、そのすべてが顔見知りだったから。
「一体、どれほどの人間が化け物になっちまったんだ?」
「さあ? 言い寄ってきた人の数なんて、いちいち数えてない」
「罪深い女だな」
「罰はちゃんと与えられた。何度も何度も死ななきゃならない」
「奴らはお前に出会って、すべてを無茶苦茶にされた」
「……お喋りはここまでね。じゃあ」
言ってハナエが飛び降り、しばらくして遠くに見える地べたに血色の花が爆ぜる。
途端に心臓に痛みを感じ、最上は喘ぎながらビルから転がり落ちた。
落ちながら、最上は考える。「なぜ俺はこんなことをしているのか?」と。答えなどないのかもしれない。これは運命だ。自らこの役割を受け入れたとはいえ、後悔ばかりが脳裡を過ぎる。
苦悩の中、身内から発した炎に最上は包み込まれた。そして何事もなく着地した最上だったモノは、炎に灼かれる顔を、肉塊と化したハナエだったモノへ向けた。
「アワレナノハ、オレカオマエカ……」
視線を戻し、最上だったモノは、裂けるほどに口角をあげた。
アリの感触はもう無かった。
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