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「俺ギターやってたんだよ」
春野は赤身肉をトングでひっくり返す。
肇は口に運びかけた箸を止める。箸とタンで挟んだネギが皿にパラパラと落ちた。
せっかく焼肉屋に来たというのに、腹の中がざわつき食欲が失せる。こうもユウジと共通点が多いと気色が悪い。
網の上で肉から脂が浮き出す様を見ながら春野は続けた。
「兄貴がバンドやっててさ、ハマってしばらくやってたけど、もう触ってないかな」
「ふうん」
皿に入れられた肉をもそもそと頬張る。安さを売りにしている店の割に美味だった。すんなり噛み切ることができ脂っぽくない。
「俺はキーボードやってた」
「ん?」
「バンドで、助っ人で、キーボード弾いてた」
飲み込んだ肉が喉に詰まるような気がして水を流し込む。アプリで出会った相手に、バンドをやっていたことを話したのは初めてだった。
「マジで?今もやってんの」
春野は身を乗り出す。
「バンドが解散して今はやってないけど、たまにピアノ弾いてる」
「へえ、でもなんか楽器やってそうな感じする」
「そう?」
春野は肇の手を掴んできた。
「手ェキレイだし、手首細いし」
春野の指先が、肇の袖の中に潜って手首を伝う。淫猥な手つきに背中がぞくりとした。
肇と目が合うと、ニコリと人懐こい笑顔を見せる。しかし、手はテーブルの上で重ねられたままであった。
「ね、この後どうする?」
春野はゆったりと目を細める。その気なのはわかっていた。肇もセックスを目的としてこの場にいる。
だが
「・・・カラオケでも行く?」
と聞いていた。もし肇が相手から同じことを言われれば心の中で舌打ちをしているだろう。
「いいよ」
春野はそんな事を微塵も考えていないような顔で笑っていた。腹の内は、本人にしか分からないが。
カラオケの個室に入ると、肇の心臓は強く脈打ち始めた。2人きりの空間に息が詰まりそうになる。無難でメジャーな歌を選び、適当に歌う。ユウジが、腹から声が出てりゃなんとかなると言ってたのを思い出しながら。
春野は歌も堪能であった。肇は素直に「上手いじゃん」と感想を送る。でも、ユウジの方が、と無意識にユウジとの比較が始まってしまい、春野の歌を遠くに聞きながらデンモクを眺めていた。
ふと気がつけば静寂が訪れており、春野も肇の隣に座っていた。
手を伸ばし、肇の後頭部に手を当てて顔を近づけてくる。ユウジに酷似した顔が、視界に広がっていく。思わず顎を引いてしまって、額がぶつかった。
「意外とガード固いね」
春野は可笑しそうに口の端を上げる。肇の髪をゆっくりと撫で、優しく抱きしめる。表情は穏やかだが、肉食獣に間合いを詰められてきているような心地だった。
「キスしよ」
春野は顎の先端を持ち上げる。
「ここで?」
とまたしても肇は春野を拒んだ。どんだけカマトトぶってんだと自分に呆れる。さっさと唇を重ね、身体を差し出しあって、快楽に溺れてしまいたかった。
しかし、ユウジに似た顔を見ていると、胸に靄がたちこめる。春野とセックスをしてはいけないような気がした。
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