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次の日、店に行くとロッカー室に行く途中で織田と鉢合わせた。蛍光灯が灰色の廊下に大きな陰を作る。織田は巨躯の天辺から何か言いたげに目線を送ってきた。
返事を待っているのだと直感した。しかしまだ考えがまとまらず、挨拶だけ交わしてすれ違う。
「ユウジ、引っ越すんだってな」
織田の言葉に肇の体が引き止められた。
「忙しそうだな、カホちゃんまた預かって欲しいってさ」
「そ」
今日もピアノはお預けだな、と落胆する。ユウジも帰りが遅くギターを弾く暇がなさそうだ。最後にユウジと演奏したのはいつだったか。
あのなあ、と織田はスキンヘッドをなでつける。
「ユウジ離れしろよ、いい加減」
「なんだそれ」
「ユウジだって、お前のことなんだかんだ考えてんだよ。付き合いが長えからな。俺達にとっちゃ、お前は弟みたいなもんだ」
「それじゃ嫌だ」
「付き合うっつっても義理の兄貴と弟だろ?」
「付き合う気はない。ノンケだし。無理だろ普通に考えて」
それは肇が一番身に染みて感じていた。
また、ユウジと離れて暮らせば疎遠になるのが目に見えている。カホがいなければ、肇の姉が亡くなった時点でユウジとは赤の他人だったのだ。
せめて、自分が納得いくよう振る舞いたかった。
今までと何も変わらず、一番近くにいる赤の他人として。
これ以上踏み込んでくれるなと視線で牽制を張れば、織田はため息だけ残して店頭に出て行った。
不穏で慌ただしい日々が続く中、肇が久しぶりにセックスをすることになったのは、ある日曜日の夜だった。
三月の夜は昼間の陽気をすっかり取り払って、素知らぬ顔で冷たい空気を漂わせていた。
しかし肇がいつも着ているファー付きのモッズコートはさすがに季節外れで、パステルカラーで装う街からは浮いている。
春の色に浮き足立つ街並みから離れて、年中いつでもけばけばしいネオンに彩られたホテル街に足を踏み入れる。
素っ気ない白色のLEDに照らされたホテルの自動ドアの前で、ホテルの名前を確めた。
中に入ってすぐ、部屋のパネルから少し離れたところで、逞しい体つきの、三十代くらいの男がスマートフォンを弄っていた。
近付いて目印のカート・コバーンのプリントシャツとジーンズ、刈り上げた黒髪を確認する。
「落合さん?」
アプリでの名前を呼ぶと、黒目がちな大きな目がこちらを見た。大きな身体の割に小さな声で、はい、と応えて
「"鈴木"さんですか?」
と肇がアプリで使っている名前を呼んだ。
「部屋どこでもいいですか」
肇がパネルの前に立つと、「え、いきなり?」と落合は動揺する。肇は不快そうに顔を顰める。ホテルで待ち合わせするよう決めたのは落合だ。しかし詰めよる時間がもったいないと1番安い部屋を選んで、突っ立っている落合をそこに連れ込んだ。
靴を脱いで部屋のドアを開けると、キングサイズのベッドがすぐ目の前で待ち構えていた。
落合は少したじろき、視線は部屋の中をさまよう。
「もしかしてラブホ初めて?」
「あ、はい・・・」
落合は筋肉に包まれた身体を少しだけ縮める。
「どっちが上になる?」
「ど、どっちがいいですかね」
「俺はどっちでもいいけど。リバだし」
「・・・あ、あの、俺、言わなきゃいけないことがあって・・・」
落合はもごもごと口の中で言葉を転がす。聞きとれず内容を聞き返す口調が荒くなる。肇はセックス以外で時間を取られるのが嫌いだ。
落合は、俯いて絞り出すように言葉を吐き出す。
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