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「あの、こんなこと言うのなんだけど、通報しないでください・・・」
「は?」
「傷害でマエがあるから、バレたらもう終わりなんです。会社にもそれがバレそうで・・・」
前科あると知って背筋に冷たいものが伝う。
下手をしたら殺されていたかもしれないと思うと、唇が乾いて無性に水が飲みたくなる。
冷蔵庫に向かうと、山田はまた怯えるように肇から離れた。そのくせ視線は外さない。
こちらを伺う野生動物のように、一定の距離を保っている。
「俺にはテメエみたいなシュミはねえよ」
肇は苛々しながら吐き捨て、小さな冷蔵庫を開ける。中は小さな自動販売機のような仕組みだ。小銭を入れ、ペットボトルが入った扉からミネラルウォーターを取り出す。
キャップを開けると同時に、山田が言った。
「殴るのは、好きなんかじゃない」
「はあ?」
「そうしないと、セックスできないから。
こ、怖くて」
肇は益々苛つきを募らせる。相手を殴っておいて、それで反撃をされるのは嫌だという根性が気に入らない。
「気に入らねえな」
やはり帰ろうと服を手に取る。
「鈴木さんは、なんであんな事出来たんですか?」
山田は、少しだけ肇に近づいた。
「あんな殴られて、犯されそうになってんのに、なんで体が動くんスか、声がでるんですか」
「そういう風にヤルって言ってたし。
あとムカついたから」
山田は目と口を震わせ、俺もアンタみたいだったらよかったのに、と唇を噛んだ。
身体に残る深い傷跡と山田の言動に、過去に何かしらトラウマになるような出来事があったのだろうと肇にも推測できた。
しかし、それを聞いてやっても肇にはなんら関係がないし、わざわざ優しく聞いてやるほど肇はお人好しではない。ただ、
「何があったか知らねえけど、殴られて悦ぶようなヤツ探せよ。俺はもうごめんだ」
肇にとってはマッチングアプリで会った人間は、良くも悪くもセックスの対象でしかない。山田のような人間であっても。
性癖は人それぞれだということをよく理解している為、ただそういう人間なのだと受け入れるのみだ。
山田は驚きを顔に貼り付けている。
「いるんスかね」
「お前世の中にどんだけ変態がいると思ってんだ」
「相手をボコって、動けなくしてからしかセックスできなくても?」
「それがテメエのセックスなんだろ。俺にはついていけないけど」
「そっか。俺、ずっと俺だけ頭おかしいんだって思ってた。そっか・・・」
その発想はなかった、と山田は目に涙をいっぱい溜めていた。
それからゴシゴシと目をこすって、
「鈴木さんて変態なんスね」
と、どこかさっぱりした顔つきで言った。
「お前に言われたくねえよ」
肇の言葉に、山田は力なく笑った。
結局ホテル代は無駄になった。セックスはしなかったからだ。
ホテルから出ると山田は
「メシでも食いにいきませんか。奢りますよ。その、迷惑かけたんで」
「いいよ。金ねぇんだろ」
自分も対して持ち合わせがないのは黙っておいた。山田は再び頭を下げるしかなくなった。
「・・・すみません」
「お前はセックスの方なんとかしておけ」
「カウンセリングには通ってますよ」
金がある時だけ、と山田は目を伏せる。
「やっぱりちゃんとしたセックスしたいスよ」
「じゃそれまでドMを探しとくんだな」
そっちも難しそうスね、と笑う。
「どっちにしろ、金稼がないと。仕事頑張ります」
「勝手にしろ」
山田はどこか晴々とした表情でもう一度肇に謝って、それから帰っていった。
肇は駅の改札を潜らず、券売機の近くのベンチに腰を下ろす。
相手がいなくなると、無性にセックスがしたくなってきた。諦めて家に帰るか、それとも再びアプリで相手を引っ掛けるか頭を悩ませる。
しかし、そういえば、とあることが頭を掠める。地図アプリで場所を確認すればまだ営業していた。
肇は立ち上がり、久々にハッテン場に足を運んだ。
end
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