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「俺、アルファケンタウリから来たんだ」
と、彼が言った。私はふうん、とやる気もなく相槌を打った。大学時代から使っている座卓の上には二人で食べつくしたコンビニのお惣菜のパックと、チューハイの缶の残骸。そろそろ寝る時間だろう。
「アルファケンタウリってわかる?」
「地球に一番近い恒星じゃなかった?」
私の知識はちょうど本棚の一番端に据えられたベストセラーのSF小説からのものだった。私が買ったのを、彼も読んだのだろう。そうはっきり決めたわけではないけれど、一緒に暮らし始めてから、私たちはなんとなく本棚の中身を共有している。紙の本のいいところはそれだ。見られたくないものは電子書籍。そういう使い分けをするようになった。
「俺アルファケンタウリの知的生物なんだ」
酔いが回っているのか、ちてきせーぶちゅ、に聞こえる。
「へえ」
「それで三十年前地球に向かって出発した」
「なんで?」
「他の知的生物を探すため」
三十年前、ってなんだと思ったけど、確かアルファケンタウリまでの距離が四光年ぐらいだったことを思い出す。光速は越えられない設定らしい。
「そんで二十六年前に地球についたの?」
「うん」
「へー」
私は缶に四分の一ぐらい残ったレモンサワーをちびちび飲む。二人とも缶のレモンサワーが好きで、新商品はだいたい買って試してみる。これは甘めで軽くて私好みだった。彼はもうちょっと酒っぽい味のやつが好きだ。
「聞いてる?」
「聞いてる。知的生物見つけてどうするの」
「うん」
うん、ってなんだよ。もう話すネタが思いつかないのかと顔を見ると、彼も私を見ていたので目が合った。口を開いて、一旦閉じて、それからまた開く。
「知的生物を、見つけて……」
「はい」
「それで……一緒に暮らして、家族になって、死ぬまで添い遂げる」
「うん」
うん、ってなんだよ。と、さっき思ったことを自分にも思うけど、他に言葉が出てこなかった。両手でぬるくなった缶を握りしめると、ぺこ、と、小さな音が鳴る。
「結婚してください……」
え。
ぺこぺこ、と、缶がへこむ。どう答えよう。迷っているうちに、彼はゆっくりと瞬きをして、それから座椅子に座ったまま寝た。
「寝るの……」
と言いながら、ちょっとほっとして笑った。
二人の関係は、いつの間にかそういう時期に差し掛かっていたらしい。ゆっくりレモンサワーを飲み干して、座卓の上を片付けて、歯磨きをした。それでも彼はまだ眠っていた。
「おーい」
呼びかけても起きないので、タオルケットをかけてやる。部屋の中にアルコールの匂いが残っている気がして、換気をしようと窓を開ける。ふと思って、ベランダに出てみた。まだ酔っているので、なんだか感傷的な気分になっていた。
初夏の都会の空は、ほとんど星なんか見えない。空気が濁っているのか、街が明るいからか。アルファケンタウリはもちろん見えない。そもそももっと南のほうに行かないと見えないのか。
ぼんやりした灰色の空には、小さな星がひとつふたつ。あの儚い光も、多分一等星だろう。どこか、信じられないぐらい遠い場所で、信じられないぐらいの熱量で、輝いていて、でも私の目には、ほんの小さな光にしかならない。私の頭では想像できないぐらい世界は広くて、私が知っているだけでも、世界は広くて、人間は数えきれないぐらいたくさんいる。そういう中で、自分の望む誰かを探して、結びつく。
感傷的すぎる。ちょっと笑って部屋に戻ると、タオルケットをすねにひっかけて、床に伸びていた。
「新婚旅行は、アルファケンタウリが見えるところにしようよ」
小声でそう提案すると、低いいびきが返ってきた。
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