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「いらっしゃいませー!」
「いらっしゃい!」
「いらっしゃいませ~」
いつもの挨拶のあと、同時に「あれっ!?」っと3人がこぼす。
そして俺の後ろから、ひょこっと顔を出したマナたんを見て、みんなニヤニヤしたのだった。
ちがう。違うんだ。
大将が「いらっしゃい!今日は二人連れとは嬉しいねぇ!ゆっくりしてってな!」といつも通りに言うもちょっとにやけている。
隣にいるアカリちゃんは……当たり前だけどいつも通りににこやかに佇んでいた。
「マツムラさぁん、ここ何がおススメですか~?」
マナたんは甘ったるい声で俺に聞く。
「あれ、お酒って飲めるっけ?」
「んー。あんまり?オレンジジュースでもいいですか?」
「飲みたいの飲みな」
「じゃあ、私オレンジジュースで!」
「俺はハイボールでお願いします」
大将は気持のいい笑顔で頷いてアカリちゃんに注文を回す。
「はいよ!ありがとね!オレンジにハイボール1つずつ!」
「はい!じゃあこちらおしぼりになります。どうぞ」
アカリちゃんからおしぼりを渡される。笑顔があんまりにも普通すぎて……やっぱりここにしなきゃよかったって思った。しかしもう後の祭りだ。
その後は正直、マナたんと何を話したか気もそぞろすぎてあんまり覚えてない。
けれどその中でも気付いたことがあった。マナたんにとってフジムラの印象はこちらが考えていたよりも悪くはないらしい。
なんだ、別に俺じゃなくて良かったわけか、と普通ならガッカリするところだけれど今の俺にしたらこのまま彼女とうまくいってしまう展開のほうが困るので内心ホッとした。
こりゃあ案外、フジムラの良い部分をもっとちらつかせたら結構簡単になびくかもしれない。
俺は会話の先をうまくフジムラの方へ振ろうと、仕事や上司たちの話も含めながらとにかく喋り、いつもよりついお酒を飲み過ぎてしまった。
* * * * * * * *
「マツムラさん、帰れますか?」
アカリちゃんが心配そうに言う。
俺は結構悪酔いしてしまったみたいだった。時間も時間だしマナたんを送っていかなければと思い、彼女にお手洗いをすすめていなくなった間に会計を済ませていた時だ。
「え~~大丈夫っす。まだイケます」
「それだめでしょ。ほんとに平気?……って彼女がいるから大丈夫か」
「彼女じゃないっすよ!」
「はいはい。そうかもしれないけど、そういうことは彼女に聞こえない声で否定すること。そうじゃなくても聞こえたら失礼ですよ」
アカリちゃんにピシャリと言われた。
そうだ。飲んでる時も常連に冷やかされたとき、会社の後輩だとちゃんと言ってある。(その後も必死にフジムラを売り込んだし、真面目な仕事の話もしたし。)
「……アカリちゃん、彼女のこと、どう思う……?」
酒に酔ってたとは言え、聞くつもりなかった言葉が口をついて出てしまった。
そんな俺の考えをどんな風に捉えたかも知らないままに、アカリちゃんはいつも通りの接客態度で言ってくれた。
「イイ子じゃないでしょうか?年齢は私とそんなに変わらないと思うけど、なんかあどけなくて可愛いと思う」
「そう……」
俺、何聞いてんだろ。ほんと、馬鹿だなぁ。
そっか。俺、ただの客なんだし。何を勝手に気になって厚かましいこと聞いちゃってんだろ。
会社ではモテてるほうなのにこんなダサいこと、我ながら引く……と思ったときに化粧を直したマナたんが戻ってきたので、何となく後ろ髪を引かれる思いで店を後にした。
駅へ向かう間マナたんは、ああいう感じのお店初めて入りましたとか、マツムラ先輩のお気に入りのお店に連れてってもらえて嬉しいとか、フジムラ先輩とも今度ちゃんと話してみようかなとか喋っていて、俺は笑いながらうんうんと頷いてたけれど話の内容なんて右から左へ流れてくばかり。
心のどこかで、試さなきゃよかったって思いが廻る。
その心は駅に近づくたびにだんだんと重たくなって広がっていった気がした。
俺、ほんと、どっちにもサイテーじゃん。このままじゃ。
もう……言ってしまおう。
「マナたん!!!」
「!!??あっ、はい!??」
「すんごく申し訳ないんだけど、先帰ってて!会社に忘れ物した!」
「え!?あ、はい……でもついてきましょうか?」
「大丈夫!酔っぱらってないし!」
「でも……」
俺はマナたんの肩をつかみ向き合う。
マナたんはすんごく驚いて俺を見つめる。唇がピンク色にぷるぷると光っていた。
この子、帰るだけなのに口紅塗り直してたんだよなぁ……ほんと、俺サイテーだからやめたほうがいいよ。
一緒にいるのに全然違う子のことで頭いっぱいな男より、ちゃんと君の事見ててくれる男のほうが絶対に幸せになれるから。
「フジムラが今度、飯誘うと思うから行ってやって!あいつすげー仕事できるし話せば面白くてイイ男だしスポーツマンだしかっこいいから!社内の誰からも人望が厚いイイヤツだから!!じゃ、俺会社戻るから、改札まで送ってあげれなくてごめんね。気をつけて帰ってね!」
もう有無を言わせない勢いでまくしたてると、案の定彼女は圧倒されたのか「はぁ……先輩も、気をつけてください……」とポカンとしながら頷いたので、それを見て「今日はありがとね。ごめんね。」って言って引き返し……走った。
とき屋へ向かってとにかく走った。
酔ったままで走るのなんてほんとにするもんじゃない。
危ないし絶対だめなの分かってるんだけど、でもとにかくアカリちゃんの顔が見たかった。
アカリちゃんに会える夜は幸せな気持ちになれる……なんて独りよがりなの分かってる。
そもそも客のくせに勝手に片思いして、そのわりにはデートさえ誘えないとか、これじゃあただのキモい客Mだ。
そのくせ、俺をちょっと好きアピールしてる女の子を分かって連れてくるとか……キモい上にサイテーだな!どんだけ俺、自分の事イイ男だと思ってんだよ!
とにかくキモい客Mで終わる前に、ちゃんと言わなきゃだめだろ俺!と、自分をいじめ抜いた思考で走って……とき屋へついた。
……が。
もう店は暖簾が下がってなくて、店じまいしていた。
え?え?早くねぇ?もうこんな時間なの?と思ったけど、時計見たら本当に店じまいの時間になってた。
でも入口の格子間のすりガラスから光が透けているので、アカリちゃんはまだいるはず。
俺はドアをそっと開けた……すると、泣きながら話す声が店内から聞こえた。
泣き声に胸をドキリと突かれた気がして、思わずドアを開けるのをとどまって様子をうかがってみる。
泣いてるのは……アカリちゃんだった。あと、おばさんも何故か泣いていた。
そして、アカリちゃんの手を握りながら言っていた。
「アカリちゃん。ほんとにね、もう本当の娘みたいって思ってるの。だから、もうアカリちゃんも幸せになってほしい。好きな人ができたらそれでもいいんだから。若いんだし、新しい恋しないと、タカフミも悲しむから」
タカフミ?誰だ?
俺が聞いて良い話じゃない感じがしたけれど、一度気になってしまった以上、だめだと思いつつも俺はそのまま動けずにいた。
アカリちゃんは泣きながらうつむいて、言った。
「……でも、このお店に、いたいんです」
「もちろん、アカリちゃんがいいんならここのお店にいてもいいよ。私たちもうれしい。だけどね、あの子のことは忘れてもいいの。アカリちゃんの人生を縛り付けておくのは、私たちも辛いわ」
「私が望んでここにいるから、いいんです……でも、私……」
ますますアカリちゃんが涙ぐむ。どういうことなんだこれ。
かたくななアカリちゃんに、今まで黙っていた大将が喋った。
「アカリちゃん。俺たちもタカフミがアカリちゃんと結婚して、すぐ事故であんなことになるとは思わなかった。だけど、だからってその後もこうして一人でいさせるわけにはいかないよ。
もし、誰かを好きになって一緒になりたいって思っても、タカフミにとっても俺たちにとっても悪いことじゃないし、タカフミは望んでない。誰かを好きになることを、自分を責めなくていいんだ」
「好きな人がいるんなら、その人のこと、我慢しなくていいのよ」
「俺たちも、アカリちゃんは生きてる人だからこそ、ちゃんと生きてる人を大事にして、幸せになってほしいって本当に思ってる」
「……お義父さん……お義母さん……」
俺は……わずかな時間ながらも知ってしまったその関係に、言葉を失った。
……――アカリちゃんは大将夫婦にとって、本当にある意味で娘だったのか。
察するに、大将夫婦の息子さんと結婚して……事故ですぐ……俺はアカリちゃんと本屋で会った時の会話を思い出した。
『今年でまる6年ですね。私も、あのお店のお客さんだったんですよ。で、色々へてあのお店でお世話になってます』
『あそこお昼もやってたんで、よく食べに行ってたんですよ』
……そっか。そうだったんだ……。
え、でも好きな人って……。
考えようとしたとき、ガララッ!とドアが開いた。
俺はびっくりして顔を上げると、大将がいた。
そんなつもりはなかったにしろ、立ち聞きしてしまったことには変わりなくて、俺は何て言っていいか分からず固まってしまった。
大将の向こう側ではアカリちゃんとおばさんがびっくりしたようにこっちを見ていて、俺に気付いたアカリちゃんはサッと涙をぬぐった。
「す、すみません……俺……」
「今の、聞いてたか?」
「……はい……入ろうとしたら、聞こえて……すみません」
「とりあえず入んな」
「……はい」
大将に促され店内に入る。
どうしよう。俺、ここへ戻ってきたのは……考えようとして、やめた。
もう、何だっていい。
アカリちゃんがどんな気持ちでいようが、誰と結婚してたってかまわない。
俺はまだ涙目のアカリちゃんに近づいていった。
おばさんも大将も口を挟まず見守ってくれている。
アカリちゃんの目は涙を拭いてもまだうるうるしていて、顔が真っ赤だった。
そして思いっきり頭を下げて、言った。
「第一印象から、決めてました!!!!!
俺、アカリちゃんが好きです!!アカリちゃんが誰を好きでもいいです!!
今度、俺とデートしてください!!!!
俺の事、見てください!!!!!」
思ったより声がでかくなってしまって、言い終わったらシーンとしてしまった。
アカリちゃんは、どんな表情をしているんだろう。怖くて顔があげられないし、目も開けられない。
本当はもっとカッコいい言葉があったかもしれない。
けどあの話を聞いて思ったのは「幸せにしたい」それだけだった。
だから、かっこ悪くてもゼロ地点の今からその先へ進むには、なりふりかまわずに言うしかなかった。
「……ほんとに?」
「……え?」
顔をあげるとアカリちゃんは、信じられないと言ったように両手で口を覆って、うるうるした目で見つめていた。
一瞬、俺も意味が分からなかったけど「ほんと、です……」と答えた。
するとアカリちゃんのうるうるした目から、きらきらした涙が溢れ出した。瞬きして、大粒の涙が頬にこぼれる。
そして、とぎれとぎれながら言ってくれた。
「……わたしも、マツムラさんが、好きです」
「……ごめんなさい……お義父さん、お義母さん。わたし、マツムラさんが、好きです」
「……私も……あなたの事が好きなんです……」
目の前で起こっていることが奇跡なんじゃないかって思った。
でも、きっとアカリちゃんは亡くなった旦那さんの事を今すごく考えていて、自分を責めているんじゃないかって気がした。
そうしたら大将がアカリちゃんに近づいて、肩に手を置いた。
「ごめんなんていいんだ……よかったじゃないか。それでいいんだよ」
「そうよ、アカリちゃん。よかったじゃない」
おばさんもアカリちゃんに寄り添って肩をさする。
俺はその光景を見て……何だか喉の奥がキュウッと痛くなって、涙が出てきてしまった。
この三人が家族一人を亡くしてから、どういう思いを抱えたまま今日まできたのか。
アカリちゃんも大将夫婦もお互いの事を本当の家族以上にどれだけ大事に思っているのか。
どんな気持ちでアカリちゃんは亡くなった旦那さんの両親の傍に寄り添っていたのか。
……今日、俺とどんな気持ちで喋ってくれてたのか……。
みんな、優しいのに切ない。そして、何よりアカリちゃんに悲しい気持ちをさせてしまった。
そう考えたら温かくて申し訳なくて胸がいっぱいになって、涙が出てきてしまった。
俺が鼻をすすったら三人ともこっちを見て、まず一番に大将が笑った。
「なんだ、お前も泣いてんのか」
「俺……俺、アカリちゃんのこと」
「頼む」
「……え?」
大将とおばさんが、改まって俺に頭を下げた。
「アカリちゃんのこと、幸せにしてやってください。お願いします」
「私たちが言うのは違うかもしれないけれど、アカリちゃんは本当にすごく素敵な子です。どうか、よろしくお願いします」
頭を下げた大将夫婦にアカリちゃんの涙がますます溢れる。それを見て、心はもう決心していた。
「……俺はアカリちゃんを幸せにしたいです!そのつもりで、今日は戻ってきました。……全部ひっくるめて、アカリちゃんが、もっと好きになりました。幸せにしますから、付き合ってください!!!」
一緒になるなら、俺は絶対にこの子がいい。
もうきっと、はじめから好きだった。
どんな問題があろうが、どんなに一人でアカリちゃんが悩んでようが関係ない。
俺がアカリちゃんと一緒にいたい。傍にいてあげたい。
そんな気持ちでいたら、涙顔のアカリちゃんは大将夫婦のところから離れて俺の傍へきた。
もう顔は涙でぐちゃぐちゃで、鼻も耳も真っ赤で、かわいかった。
そんな可愛いアカリちゃんが勇気を出して言ってくれた。
「……私のほうこそ、こんな私でよければ……どうぞよろしくお願いします」
涙の後の、精一杯の笑顔。
それ見た瞬間、心の底から(やっぱり、しあわせだ……!)と、叫びたいほどだった。
全ての事が一度に起こりすぎて、まるでこの夜の出来事が夢なんじゃないかってくらい。
でも夢じゃなくて起こっているのは奇跡で、やっぱりアカリちゃんに会える夜は幸せな夜に違いないって、アカリちゃんの手を握りながらそう思った。
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