【たった一つの ~side:A~ 】

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【たった一つの ~side:A~ 】

この夜の出来事が夢なんじゃないかって。 でも夢じゃなくて、まぎれもない奇跡で。 彼女に会える夜は、絶対に幸せだ。 息も白くなり、季節はもう師走に入ろうとしていた。 退社時刻をすっかり過ぎて、会社から出た俺は何か食べようと思いながら駅まで歩く。 俺の働いているとこは結構でかい商社だからこの時期はどこの部署も残業になるのは仕方ないけど、さすがにこうも残業が続くと疲れる。 だからこの日だって、駅前に飯屋が何件かあるからその中でテキトーにテキトーなもんを食えればいいや、なんて思ってた。 牛丼かカレーかラーメンか、駅前にある定食屋を物色していると、今まで目に入らなかった暖簾が今日はたまたま目に入った。こう、昔ながらの定食屋的な。 新しいテナントの店が並ぶ中で、その店は昔っから建ってる木造の店で、白い麻の暖簾が下がっている。 左隅に店の名前であろう「とき屋」の文字が藍で書かれていた。 店は古そうだけど暖簾はすごく綺麗だ。多分今まで、何となく蕎麦屋かなって思ってた店かもしれない。 よし、今夜はここにしてみるか。ここならきっと焼酎もありそうだし、と考えて暖簾をくぐった。 「いらっしゃいませー!」「いらっしゃい!」「いらっしゃいませ~」 入った途端、3人の威勢のいい声に出迎えられた。 俺と変わらないくらいの年齢の女性と、元気のいい昔ながらの大将と、すごく優しそうなおばさん。 左手に8人くらい座れるカウンター席と、右手に4人席のお座敷が3つ。 中に入るとすごく賑わっていてほぼ満席。壁にはたくさんのメニューがあって、カウンター前の料理場は湯気がでたりしていて何だか温かそうだった。 「おひとりですか?」とおばさんが聞いたので、頷きつつ「席空いてますか?」と一応確認すると、「おーおー!こっち詰めるから、ほら!お前こっちこい!」とカウンターの常連らしきお客さんたち皆が気をつかって席を作ってくれた。 「みんなありがとなー!」「こちらの席どうぞ」とおばさんや大将はお客さんに声をかけて俺を席へと案内した。 なんかこういうあったかい感じ、居酒屋で感じるのは初めてかもしれない。 ドラマとかマンガの中だけかと思ってたけど、こういう古き良き?スタイルの店が守られてるって嬉しい気がする。 腰を落ち着けておしぼりで手を温めた後、壁にかかっているメニューを一通り見てから、明日は土曜日で休みなのもあるしでとりあえずビールとモツ煮とアジフライを頼むことにした。 すぐにおばさんがビールを持ってきてくれて、心の中で(おつかれさま、俺)と呟き喉を潤した。 あ~~~~、これこれ。超うまい。大人マジ最高って思う瞬間。 店内はサラリーマンの酔っぱらった笑い声で溢れてて、でもタチの悪い感じもなく、それはきっとここの店がちゃんとしているからなんだろう。 厨房に目をやると一番最初に俺を出迎えてくれた声の主であろう女の子がいた。 「アカリちゃん!これ3番さんに」 「はい!」 大将にできたての料理を渡されたアカリちゃんという子はキビキビ動いてお客さんのところへ行く。 どのお客さんにも声をかけられて、にこにこしながら上手に会話をしていく。 アカリちゃんという子はバイトの子なんだろうなって思った。そのとき、大将から声をかけられた。 「お兄ちゃん、ここ初めてだよね?今日は寒い中いらっしゃい。仕事お疲れ様」 「あ、どうもありがとうございます。ここ、ずっと蕎麦屋って勝手に思ってました」 へへへ、と笑うと、大将は何故か嬉しそうに豪快に笑った。 「ここ、俺の親父の代まで蕎麦屋だったんだ。あんたすごいねぇ。よく分かるね!」 「いやいや~」 話してみるとリップサービスがなかなか上手だ。 なんかこう、定食屋?居酒屋?の大将って寡黙なイメージを勝手に持っていたからか、結構くだけた感じに話すこの大将は意外だったし、けれどそれが不思議と嫌じゃなかった。 他愛もない話をしてたらアツアツのモツ煮と、からっと揚がったアジフライがでてきた。 モツ煮はしっかりニンニクと鷹の爪がきいててモツと木綿豆腐がぷりっとしてて美味しく、アジフライの衣はサックサクで噛むたびに気持ちが良いくらいにイイ音がしていた。 もうこれだけで俺、余裕のある週末の夜はここの店で食べてから帰ろうって気分になっていた。 「外、今日はとくに寒かったでしょう?」 アカリちゃんって子が話しかけてくれた。あたたかい笑顔の子だなと思いながら俺は頷いた。 「そうですね。手袋とかちゃんとしてないとやっぱもう寒い感じです。」 「ここのお店でよくあったまってってくださいね!」 彼女は化粧気のない顔に、肩までありそうな髪を後ろで一つに結っている。アカリちゃんもおばさんも今時珍しく白の三角巾をしていた。 これが何か定食屋っぽく感じたのかもしれない。 笑った彼女は、こっちがホッとしてしまう雰囲気だった。 その後は何品か頼んで焼酎を飲んだ。電車の時間もあるから会計をすませて店を出る準備をしたとき、大将やおばさん、アカリちゃんに他のお客さんたちまでもが「またきてくださいね!おやすみなさい!」「おつかれー!おやすみな!」と言ってくれた。 一人暮らしをしてから、誰かにおやすみなさいを言われるのも、自分が言うのもすごく久しぶりな気がした。 何気なく入った店だしたった1時間ちょっとしかいなかったのに、こんなに満たされた気持ちにされるとは。 いつも疲れきって家に向かうところだけど、今日はやけに足取りが軽かった。 それから、木曜日や金曜あたりに遅くなった夜は、その「とき屋」で飲んでから帰るようになった。 年末のクソ忙しい時期を乗り越えて、忘年会や新年会の飲み続きの時でも、飲みすぎない程度にとき屋に通った。 大将とおばさんは勿論夫婦で、子供はいないみたいだ。 そしてアカリちゃんはまるでその家の子のように可愛がられてるバイトで、やっぱり年齢は俺の1個下だった。 本当に他愛ない話しかしないけど、ちょっと遅くなった週末の夜に見るアカリちゃんの笑顔は何だか癒される。 本当は会社の人たちにもおススメしたい店だけど、何となくここは自分だけの店にしたい気がしていた。 そんなある日。 とき屋に顔を出すようになって半年。晴れた日曜日の休みに俺は都心の大型書店へと出かけた。そうしたら見知った顔を見つけた。アカリちゃんだった。 お店以外の服装のアカリちゃんはいつもとちょっと違っていて、何ていうか……すごく綺麗だった。 髪も束ねてなくてお化粧もちゃんとしている。 思わず見入っていたら目が合い、アカリちゃんは「あぁ!」ってビックリしながらも楽しそうに笑いながらこっちへきた。俺もつられて笑う。 「やだ!もう誰が見てるんだろ~って思ってたらマツムラさんじゃないですか!声かけてくれたらいいのに!」 「いや、真剣に本見てたみたいだし、休みだったから声かけられるの嫌かな~と思って」 畳んだトレンチを腕にかけて、さわやかな水色のニットと白のタイトスカートにパンプスっていう、春にぴったりな女性らしい服装が何だかいつもと違って……その、正直めっちゃ可愛かった。 だから思わず、「もし、何の予定なかったら、ちょっとコーヒーとかどうですか?」と声をかけていた。 彼女はきょとんと目を丸くして「えっ!いいんですか?」と驚いたのち、「……ちょうど今日は何もないので、お相手が私でよければ」と少しだけはにかみながら頷いてくれた。 私でよければも何も、あなたがいいんだって!と心の中で思いながら俺達は本屋をあとにした。 どこもかしこも混んでいる街のカフェの中で、運よく席にありつけて二人して落ち着いた。 座った瞬間、二人して「ふぅ~」なんて言ってしまい年寄りくさいねと笑い合ってしまう。 「普段こういうとこに来ないから疲れちゃったな~って思ってたところだったんです。いつもお店休みの日曜日はゆっくり過ごすことが多いから。お店も夜までだし、ついお昼近くまで寝ちゃうしグータラしちゃって。久々に新宿きたけど、なんか若者の街って感じですよね」 「いや、充分俺らまだ若者だから」 「そっか!いつもお店にいるから、世間の変化には疎くて。これじゃまずいね」 「そういや、アカリちゃんは、あのお店にどれくらいいるの?」 「今年でまる6年ですね。私も、あのお店のお客さんだったんですよ。で、色々へてあのお店でお世話になってます」 「てことは23から!?」 「はい。そのとき、あそこお昼もやってたんで、よく食べに行ってたんですよ。短大卒業してから元々あそこの近くでハケンOLやってて、思い切って辞めてあそこに」 「へー。思い切ったね」 「前のとこで神経すり減らしましたからね……。お給料は違うけど、でもいいんです。今がすごく幸せなので」 本当に満たされたように笑うアカリちゃん。なんか、いいなって思った。 その後はお店の事とか、食べ物のこととか色々話した。 夕飯も誘おうかなと思ったけれど、あまりにも下心と思われたら嫌だったし、そもそも俺は客の一人だということを考えると、逆に彼女に気を遣わせてしまうような気がしたのでやめた。 名残惜しい気持ちを抑えながら駅でアカリちゃんの背中を見送り、ふと気になった。 アカリちゃんは誰かと恋愛してるんだろうか、と。 そう思ったら、もしかしたら次誘うのに連絡先交換するチャンスだったじゃん!と頭を抱えたが後の祭りだ。 ホントこういう肝心なところでホント初歩的ミスやらかすのなと自分を呪う。 これはまた店に通うしか……ない。 * * * * * * * * * * 週末の夜がすっかり楽しみで、何の進展はなくともアカリちゃんに笑いかけられるたびドキドキするようになった。 案外俺ってちょろいなって自覚しながらも、半年以上の無意識無自覚の想いは自分が思っていた以上に、心のコップの中で溢れかえりそうになっていた。 「マツムラさん、今度ご飯食べに行きましょうよ~!」 会社のハケンの女の子で、すげーアタックしてくる子がいた。まぁ、今時の女子力高そうって感じがもろに出てる女の子。 今までは体よくお断りをしていたものの、明らかに分かるアピールに同僚からは「お前、一回でいいからマナちゃんと飯くらい行ってやりなよ」と、完全俺が冷たい奴と思われていた。 休憩中、同僚のフジムラとその話題になった。 「いや、でも好きじゃないのに」と答えると、同僚で一番気心の知れたフジムラから叱られた。 「好きじゃないとか、そういう問題じゃねーから。社交辞令だ」 おれは小声で「(でもあの子、一回飯食ったら絶対に次のデート決めてかかるタイプじゃん)」と言った。 「(そらそーだ。お前の事狙ってるだろ)」 「(それで飯誘うとか無責任じゃねーかよ!)」 「(マナちゃん、上司にもお前が好きとか周り固めてるらしいって話だけど)」 は!!!??こわ!!!何それ!! 俺は青ざめそうになった。女子力こわ!! そんな俺にフジムラがため息しながら、言った。 「すまん。お前に黙ってたことがある」 「なに?」 「俺、マナたん狙いなんだけど」 「は!!!???マナたん!?え!!?あれを!!??」 「てめー、マナたんのことアレ呼ばわりしたら殺すよ?」 「ごめん。え、ほんと?」 「だからマナたんがお前狙いなの、俺が困るからそこでお前に頼みがある」 「なに」 「お前からそれとなく、俺をおススメしてくれ」 「や、自分で誘えよ」 「その気のない俺に誘われても絶対彼女は来ない気がする……そこで、お前から俺のスペックを売り込んできてほしい」 「その商品価値はいかに?」 「絶対に幸せにできる男だと!マナたんが専業主婦でも全然構わないし、趣味のお稽古サロン教室のお稽古に行くのも許せる男だと!」 「(……お稽古サロン?なんだ?)まぁ、給料も俺とそこそこかわんねーし、お前頭いいしスポーツするしなにげハイスペックだよな。英語できるし。……キャラで損してるけど」 「だからソツのないキャラのお前に頼んでるんだろうが。ってことで、マジよろしく。ほんと!」 「じゃあお前もついてこいよ」 「お前は馬鹿か!お前と二人っきり~ってつもりなのに俺がいたら邪魔だろうが。それに俺の前で俺を褒めてどうする。マナたんに魂胆がばれて俺はもうワンチャンですらもう掴めないぞ」 「……コソク」 「何とでも言え」 かくかくしかじか、俺はマナたん(あ、うつっちゃった)を誘うことになってしまった。 店はシャレオツなダイニングバー。に、するわけがない。 そんな店にしたらこの子、絶対シャレオツな気分になってその気になる。ゼクシィ買ってる話とか聞かされるのは引く。それは避けたいから、できればシャレオツで女の子が好きそうな雰囲気とは程遠い店……。 今考えたら何て俺はミスをしてしまったんだろう。 俺はアホな事に、店のチョイスを「とき屋」にしてしまったのだ。 でも正直、俺が女の子を連れてったらアカリちゃんはどんな風にするんだろう、とも思っていた。 きっとお客さんとお店の人なんだから何にもなくて当たり前だし、普通なんだろうとも思ってたけど、それで彼女のリアクション見て諦めがつくならそれでもいいって思った。 けれど、それがほんとに馬鹿な選択だとは気づいてなかった。
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