披露宴クルーズの夜

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 ふいに、会場の照明が消えた。  息を吞むような女性の小さな悲鳴。しかしそれは長くは続かない。暗闇のなか、健一はあたりを見回す。何かの余興が始まるのだろうと思った。周囲の人間も同じように思っているのだろう。何が始まるのかと、皆、壇上の方へと顔を向けていた。  ふと会場の音楽が消えていることに気が付いた。BGMは管弦楽の生演奏だったが、今はそれが止まっている。船のエンジンの低い音がわずかに聞こえていた。  照明はすぐにはつかなかった。  スタッフたちが妙に慌てていることに気が付いた。「停電だ」「本当に?」、誰ともなく、ざわめきが聞こえる。改めて周囲を見回す。常に灯っているはずの非常口を示す灯りまでもが消えていることに気が付く。空気が緊張している。その緊張が徐々に高まっていることに、焦りにも似た不安を覚える。緊張の糸が最大限に張られ、今まさに途切れるかと思われた瞬間、じっ、という音と共に照明が回復した。まばゆさに目をしばたたせながら、安堵の溜息をつく。  健一はすぐ隣にいる麻子を気遣うかのように見やった。しかし麻子の瞳は、壇上の方を見つめ、凍り付いている。「どうした」と声をかけようとしたまさにその時、遠くの席から甲高い悲鳴が響いた。悲鳴は、一度では収まらなかった。人々が騒ぐ声に、壇上で何かが起こったことに、健一はようやく気が付く。  赤。  壇上を見た健一の目に飛び込んできたのは、赤い色彩だった。 赤い華が咲いている。  何故か一瞬、そう思った。だが、それは錯覚。  壇上に設えられたテーブルの向こうに座る新婦。その新婦の白いドレスが今や真っ赤に染まっている。そして銀色のナイフ。ナイフは赤の中心に突き刺さり、彼女の心臓を貫いている。ナイフは深々と新婦の胸に突き刺さり、その根元からはいまだに新たな血が噴き出ている。  友人である新郎が、大声で新婦の名前を呼んでいる。しかし、彼女はうつむいたまま、動かない。 「殺人だ!」 「早く医療班を!」  何百人もの観客が見守るなか、駆け付けてきた医療班(豪華客船にはもちろん医務室がある)のスタッフたちが、新婦を取り囲んだ。その外側ではマスコミたちが、スクープ現場に居合わせた幸運を喜びながらこっそりと写真を撮っている。 「信じられない」  麻子が言った。 「ああ」  健一が答えた。もちろん健一も麻子も、このような事件に巻き込まれたことは一度もなかった。豪華客船、パーティー、そこで起こる殺人事件。まったく量産型のサスペンスドラマではあるまいし。目の前の光景を作り物のように思うが、彼の鼻孔はたしかに、生臭い血の臭いを嗅ぎつけた気がした。  新婦の生死は健一の場所からはよく分からない。しかし彼女を取り囲む人々の顔を見る限り、彼女の生存は絶望的だ。  船内放送が流れた。招待客は船のデッキに移るようにとのことだった。人々はざわめきながら、デッキの方へとつながる扉へ向かっていく。  健一と麻子も立ち上がった。扉へ向かおうと思ったが、その前にもう一度壇上の方へと目を向けた。健一の目に入ったのは、新婦を取り巻く人々の輪から少し離れたところで呆然としている旧友の白い顔だった。  高校生の頃の記憶が蘇る。  いてもたってもいられなくなり、健一は人波に逆らって壇上へと向かった。麻子が彼を止めようとしたが、彼は止まらなかった。 「宅間」  雲の上のように思えていた壇上へはあっけなく辿りついた。旧友に声をかけたその時、ふと健一は違和感を覚えた。  今、新郎の宅間は壇上に設えられたテーブルの前の椅子――新郎席――にぐったりと座っている。そのすぐ隣――席の間は三十センチほどだろうか――には新婦の血で真っ赤に染まった新婦席。今、その席の主は、テーブルのわきの床に寝かされている。  健一が覚えた違和感は、二人の前の席のテーブルだった。そのテーブルの奥行はゆうに1メートル以上ある。そしてそのテーブルの上には、華やかな飾りつけや、豪華な料理がところ狭しと並んでいる。  新婦を刺すためには、このテーブルを越えなければならない。  しかしテーブルの上の装飾や料理は整然としており、乱された形跡はまったくなかったのだ。暗闇のなか、犯人はどのようにテーブルの上の物に触れずに彼女を刺したのか。  後ろから周りこんで刺したのであれば、すぐ隣にいる新郎の宅間が気が付かないはずがない。唯一の可能性として考えられるのは、宅間が犯人もしくは犯人と共犯であるということだ。しかし。 「ああ、健ちゃん、来てくれたんだね」  呆けたように健一を見上げる宅間の姿を見て、彼が犯人なはずはない、と健一は確信した。彼は確かに起業し社会的に成功することが出来た人間だ。けれども決して、人を殺せる人間ではない。 「宅間君、大丈夫?」  健一の後ろから麻子が訊いた。 「ああ、佐藤さんも来てくれてたんだ。うん、僕は大丈夫。でも」  宅間は急に震えだした。 「どうして、どうして……」  遠くの方で、「駄目だ、もう息をしていない」「瞳孔も開いている」といった声がする。その声が届いたのか、宅間の目から涙があふれる。健一は何も言えずに彼の肩に触れた。  いつの間にか宅間を取り囲む人の数が増えていた。  健一が顔をあげる。彼の元に集っていたのは、高校時代の友人たちだった。映画研究部の面々だ。高校時代から二十数年のときを経て、顔つきも体形も変わった者が多かったが、悲劇に見舞われた友人を見つめる瞳は、かつての青春時代と同じ色をしていた。  しばらくの時間、かつての友人たちは無言で、同じ時を過ごした。  やがて宅間は場の責任者を名乗るスタッフに呼ばれ、別室へと向かった。  残された者たちは、言葉少なく、その惨劇のあったホールを後にした。けれども、健一の頭からは先ほど感じた違和感――犯人はどうやって新婦を刺したのか――が引っかかって離れなかった。
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