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23時30分。
私達はひしめき合いながら潮干山の麓に集合した。揃って大仏を見上げる私達の頭上に、舞い踊る影達がいる。それは蝶の群れだった。大仏のライトアップ用の照明を反射し、蝶達の翅は鮮やかな朱色に輝いている。しかも、普通の蝶ではなく、人間の大きさほどもあろうかという巨大蝶……それらが何千頭と夜空を埋め尽くしていたのであった。
――ようやく来たようですね。
私の頭に声が響いた。その声は、やはり私の声によく似ている。そして、当然の如く、その声は私の周りの「私」達にも届いているらしく、皆、一様に驚愕と困惑の表情を浮かべていた。
――まずは、私が誰であるか、貴方達は何者なのか、説明をしましょう。人は私を「大仏」と呼ぶが私はホトケではない。私はこの街を守護するカミです。貴方達はカミの複写物……つまりコピーです。
声は語り続ける。
――明日が訪れたとき、この世が終わります。今日は世界が崩壊する一日前です。それは天変地異や災害とは違う……この世界の物理法則を司る時空が湾曲し、次元と次元の境界が消滅するのです。
大仏……いや、カミの声と共に、私達の脳内に混沌として、かつ、爆発的な「崩壊のイメージ」が一気に流れ込んできた。だが「イメージ」と言ってもかたちや色を持つ映像では無い。それは五感では再現不可能な概念の集合体であり、それこそがまさに私達が探し求めていた「明日の事」であった。
――私はカミなのでこの街の人達を世界の崩壊から守護しなければならない……そのため、街の住人達を一人残らず、現在の時空とは異なる安全な次元へと転送することに決めました。
カミの語りは淡々と続き、私達の頭蓋骨の内側に反響する。
――しかし、住人達の次元転送にあたり、今日の次元と明日の次元のバランスを取る必要があります。そうでないと転送前に住人達が次元と次元の狭間に落下してしまうおそれがある。そのため、私は、この街の全住人の質量と同一の質量分の私の複写体を製造し、今日のこの街に送り込みました。それが貴方達です。
私達はぽかんとしてただカミの言葉を受信していた。カミの言う事に全く理解が追いついていかない。
――貴方達が不可解に思うのも無理はありません。私は貴方達に私の保有情報を複写しませんでしたから。私はカミなので私が記憶する情報量は限りなく無限に近く、さらに各々の情報は深淵で複雑に結びつき合っているため、記憶情報を一部でも切り取って複写するというわけにはいかなかったのです。
カミは、神様らしく厳かに言った。
――貴方達に「明日の事」に関する記憶情報を与えなかった代わり、私は貴方達に情報共有媒体機能を付加しました。もちろん街の住人のひとりひとりには、私が自ら「お告げ」という形態で「明日の事」を事前に伝達していました。私の元々の信奉者達・ライライヨヨによる十年にわたるこの街での布教活動の結果、この街の住人は一人残らず、皆、「お告げ」を受信する精神的な準備を完了していましたから。しかし、ひとつだけ問題がありました。「次元転送」に関する情報は言語での理解域を超えた「超言語情報」のため、各人の理解度に偏りが生まれ、円滑な転送処理の阻害要因となる可能性があったのです。そこで、街の住人達が、カミの複写体である貴方達と会話し、言語化不可能な「明日の事」を既知の事実として確認する、という行為を実行することにより、超言語情報共有機能が正常に作動し、住人全てが均一な情報を共有しあう事に成功しました。ご協力いただき、ありがとうございます。
カミから唐突に感謝を述べられて、カミのコピーである私達は、何が何だかまだ今ひとつ分からないままに、ただ圧倒されてフムフムと首を縦に振った。
時刻は、23時55分になっていた。
――さぁこれで無事に準備が整いました。私も守護神としての役目が果たせます。これより街の住人達を「明日」の次元に転送します。
そう言って、カミ……いや、カミの概念を形状化した偶像は、コンクリート造りだったはずの巨大な両腕を左右に広げた。長い衣の袖が柔らかそうにふわりとたなびく。空を覆う蝶達もカミの動作に呼応するように翅の羽ばたきを早めた。上へ下へ、左へ右へ、前へ後ろへと、まるで大波に揉まれるかのように動き回る。
よく見れば蝶達の二枚翅の真ん中にくっついている体の部分は全裸の人間だった。カフェで私に話しかけてきた女子高生も、横断歩道で出会ったお爺さんも、公園で縄跳びをしていた少年も、裸の背中に朱色の美しい翅を生やし、恍惚とした表情で、今日最後の「こちらの次元」での飛行を楽しんでいるかのようだった。
23時59分。
カミの像がぶくぶくと泡を立てて膨張し、破裂し、内部から目映い光が放たれた。しかし、音は一切無かった。無音の中でカミの光の奔流が全てを……私達以外の全てを包み込み、溶かし、蝶達を呑み込んでいく。
23時59分59秒。
全てが消えた。私達を残して街の全てが……光も、そして闇さえも、無となった。住人の次元転送処理が完了したのだ。
そして、0時0分0秒。
世界は崩壊した……はずだった。
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