極月

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承然和尚は、僧房の居間で僧衣に着替えて、寺の中庭に出た。もうあと一時間ほどで今年も終わろうとしている。  空気は、冷えるほどに澄みわたっていて、承然の気持ちを凛とさせた。  海に向かった中庭のへりの方には、古びた鐘楼堂があって、彼はそこに向かって歩を進める。  お堂の屋根の四隅は、幾分せりあがって天に向かって伸び、吊るされた撞木が半分、四方の柱によって区切られた空間からはみ出ていた。これといって特徴のない鐘楼堂ではあるが、ひとつ他のそれと比べて決定的な違いがあった。  そこには鐘が無かった。  承然がこの寺を継いだ時、既に鐘楼堂は、もぬけの殻だった。  鐘は、もう半世紀以上も前からこのお堂からは無くなっていた。太平洋戦争の際に、ときの軍部から供出を強要されて、鐘は溶かされ、ただの鉄となり何処へと行ってしまったのである。  お堂を戦前の姿に戻すことは、この寺を継いだ承然の使命であり夢でもあったが、思うように資金が集まらず、どうやら果たすことはできずに終わりそうであった。  承然は、吊るされた撞木のかたわらに立った。  眼下は、深夜だというのに家々の灯りに満ちて、光の靄となって町なみを照らしている。  彼は合掌した後、撞木を括り付けた太い紐を手に持ち、何もない空間を突いた。  重々しい響きが承然の胸の中にひろがって、余韻を保ちながら消える。  鐘は無くても、除夜の儀式はできる。いやむしろ、この土地に住む人々の煩悩を今年中に取り払うために、除夜は行わなくてはならない。承然は律儀にも、そう考えていた。  いつの頃からか始めた独りっきりの除夜の儀式ではあったが、今年は特に紐を握りしめる手に力が入った。  コロナ禍で生み出されてしまった人々の感情──ささやかな幸福が消えてしまったことへの立腹や、ほころんだ人間関係の悲嘆、対策がお粗末過ぎる政府や地方公共団体への失望や、思わぬ幸運で大金を得た人たちへの嫉妬などを除くべく、承然は一回一回念を込めて空間を突き続けた。  はたから見れば、それは愚かでばかばかしい行為のように見えるかもしれないが、彼は真剣だった。  額には、いつしかうっすらと汗が滲み、吐く息の白さは濃くなった。突き続けるうちに、持病の膝の痛みが始まってしまったが、それで彼の動きが止まることはなかった。  胸の中ではあったが、承然は百七回の鐘の音を聞いた後、腕時計を見た。 新型コロナウイルスという見えない、得体の知れないものに振り回され続けた一年が、終わろうとしていた。  承然は、明日からはじまるシャラップ宣言の成功を祈って合掌し、目を閉じた……。  来年こそ、来年こそは平穏な日常に戻りますように。胸の奥にくすぶり続ける不安で、顔がくもる日々が終わりますように。かけがえのない人と、気兼ねなく楽しく会話できる日が帰って来ますように。  承然は、コロナ禍で今を生きている人々の共通の願いを聞いたような気がした。
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