睦月──上旬

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睦月──上旬

二〇二✕年元旦。真昼。  世界的に有名なスクランブル交差点。多くの若者が主人公になって集う広場。かたわらにある駅の出入り口から、次々に人が出てきて、その広場に溜まってゆく。マスクをつけている人は、ごく少数だ。  この街のシンボルのひとつになっている忠犬の銅像とともに、人々は交差点の信号を見つめている。人々は、その交差点の先に何かがあると思い、今日もこの街を訪れているのであった。  信号の色が青緑に変わる。一斉に歩き出す人々。交差点の横断歩道はあっという間に、うごめく人々で埋まった。  行き交う人々に、ざわめきが起こることはない。それは、一ヶ月半に渡って行われたダマットレの成果のあらわれであった。だが、ほほえみはある。かすかな希望と期待が胸にあるからだ。シャラップ宣言が、今までの宣言とは違う成果を生み出すかもしれないという考えが人々にはあった。  昨日の新規感染者数は、全国で二千九百九十四人。三千人を下回るのは、実に半年ぶりのことであった。感染爆発と云う言葉は、もう人々の脳裡から消えつつあった。  ビルの上部にある四基の大型ビジョンが、交差点を囲むように設置されている。そのビジョンの全てが切り替わり、あのゼロシキパンフレットの表紙のイラストが映った。みんながバンザイをしているイラスト。それが三十秒ほど映ったあと、内容の説明をするビデオが流れはじめた。  しかしそのビデオは、昨日まで流されていたものとは明らかに違っていた。  活気のある陽気なBGMは流れているものの、声が無いのだ。声のかわりに詳細なテロップが表示されている。ときおり画面がテロップで埋め尽くされるほどに。  ……ビデオの録音された声も、今日から基本的には流すことが禁止になったのである。人々の発声を誘発しかねないというのが、その理由であった。  交差点を歩く人々の中で大型ビジョンに目をやる者は、ほとんどいない。ゼロシキの内容は、昨日までに頭の中に叩き込まれていたからである。  自分がしゃべりさえしなければ、面と向かっている人もしゃべったりはしない。だから、マスクをしていなくても感染しない――人々はそれを肝に銘じながら、覚悟をもって、新年を迎えた喜びを満喫するために街へ繰り出して行った。
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