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おいで、イカロス
――ねえ、覚えてる?
「とりわけ、またがない四翼は、ろくなものにならない」
そう、言われたね――
――覚えているよ。だから、私、お前が嫌いだった――
――なら、初めて飛んだときのことは?
沈黙、いいえ、それは果てのない無言だった。
「今日は風が湿気ている」
「重いな。飛びづらくなるわ」
「これは雨がくる。早くに行かなければ、荷が濡れてしまう」
「ああ。急がないといけない」
ユニとアンリが、空を見上げて、そう言った。重々しい空気につぶされるように、ずしりと低い声だった。二人は両手に荷を抱えている。食料や織物は、他の村との交易に使う。彼女たちは守るように、荷をさすった。
「飛べそう?」
「四翼は無理ね。こうも重くては」
「ああ、今日もたくさん、私たちが飛ばなくてはならないわ」
「いつものことだ。いない日の方が、気分はいいけれど」
ジュンとジュリが、二人で一つの荷を抱えてやってきて、ユニとアンリに問いかけた。しかし、ユニとアンリのそれに対する答えは、返答ではなく、半ばふたりごとであった。二人は、後ろなど見ていなかった。
「いや、これくらいの重さなら、私たちも行けるわ」
「何か行けるの? 行けても一回や二回でしょう。数に入らない」
「やらなくていい人ほど、元気でいられる」
ジュリが、二人ごとに割り込むと、ため息をついてアンリが返した。ユニが冷笑する。それ以降、全く後ろをかえり見ないで、断崖の縁に立った。
「それでも、四翼の為に、今日も飛ぶわ」
ユニとアンリは、翼を広げると、宙に浮かんだ。翼に揺らされるように、体を左右に揺らし、安定をはかると、一気に崖の向こうへと飛んでいった。
「ちくしょう!」
ジュンは、荷を置くと、石を掴んで、二人の立てていった風の余韻に向けて投げつけた。石は放物線を描いて、落ちていく。
「バカにして! おまえ達の服を、誰が縫ってると思ってるんだ」
「よしな、ジュン。あんな奴ら、成人までだ。今に私たちが追い抜いてやるんだよ」
ジュリが、ジュンの背をさすった。ジュンの右肩と、ジュリの左肩には、それぞれ翼が生えていた。白く濡れたそれは、大きく、対翼のものにもひけを取らなかった。
ジュンとジュリは、月またぎの四翼だった。
二人は、荷を二つにわけて持つと、体の側面をぴたりとくっつけた。ジュンの右腕と、ジュリの左腕に血管が浮き、互いを結びあわせていく。血管は結び合わさる端から同化して消えていき、つながった部分は白く変色していく。そうして、肩から足首までが同化すると、二人は翼を広げた。翼はうなりをあげて、大きく羽ばたき、あたりに風を起こした。二人は同時に地を蹴ると、宙に浮かんだ。落ちるように、ゆっくりと崖から離れていく。大きな羽音を立てて、向こうの村まで飛んでいく。
ニアとトゥは、そんな彼女たちの姿をじっと、見送っていた。二人は荷を抱え、向こうの村を目を眇めて見ていた。二人の肩にも、片翼が生えていた。二人の持つ荷は、ジュンとジュリよりももっと少なかった。
だから、ずっと先に来ていたのに、四人に飛行を譲り、待っていたのだ。
この村の人々は、皆、一様に翼を持って生まれてきた。村は大地から高く盛り上がり、四方のうち三方は断崖、残りの一方は斜面となっている。西と南の断崖と、東の斜面は、他の村へつながる陸に続いていた。他の村へ向かうには、西か南の断崖から飛べば十分、東の斜面を使えば二時間であった。斜面には危険な野鳥や野犬が出る。翼を持つ彼らが、どちらを利用したかは、想像に難くない。
翼を持つといっても、一対の翼を持つものと、片翼のものがおり、前者は対翼、後者は四翼と呼ばれた。
翼の数は、卵のなかで決まり、対翼のものは一人、四翼のものは決まって二人で生まれた。四翼は片翼で生まれ、成人し、対の翼を得るまでは、ともに生まれたものと二人でなければ飛ぶことができない。
四翼のものは、対翼のものと違い、肩に翼がある。二人で飛ぶためだ。二人で飛ぶ分、飛行力は落ちた。だから、対翼のように荷運びの仕事をこなすことができない。そのため、四翼は村で、飛行の役目を終えた年長者とともに、飯を作り、服や寝具など売り物を仕立てる。
四翼は、行くことはできても、帰ってくることはできないのだ。だから、斜面を登り、戻ってくる。それでも、四翼は七日のうちの二日は荷運びの仕事をする。飛行訓練のためだった。十六の年にくる、成人の儀の為だった。
「四翼は成人すれば、対翼になれる」
四翼の背中には、対翼の種子が埋まっている。自立心旺盛なものだけが、それを咲かせて、対翼となれるのだ。
それは、四翼の希望であり、また試練であった。
四翼は、対翼に生かされている。それ故に、対翼には頭を下げて生きていかねばならない。ジュンとジュリのような、克己心の強い四翼は、必ず神のお眼鏡にかなうだろう――なら、自分はどうか? トゥは考える。しかし、答えはでない。
四翼のうちにも、序列というものがあった。それは「またぎ」である。卵のうちから四翼として生まれるとき、ともに生まれるものと、月日、時刻が、またいでいればいるほど自立心があり、よいとされていた。
「またぎ」は月、日、時間の順番に序列がつけられる。
ジュンとジュリは、六月三十日十一時五十分と、七月零時十分にそれぞれ生まれ、優秀な月またぎとされた。
そして、ニアとトゥはまたがない四翼だった。二人は、同日同時刻に生まれた。またがない四翼は、依頼心が強く、自立心がない、だから成人しても対翼にはなれない――そう言われていた。
「ニア、行こうか」
トゥは、ニアに声をかけた。ニアは返事をしなかった。しかし、歩を進め、崖の端へと寄った。ニアは、トゥのことを見ない。いつからか、見なくなった。
トゥはニアに体を寄せた。魚がはねるような音をさせて、血管が結びつき、体が同化していく。この感覚は不思議だった。体が自分のものだけではなくなり、相手の意思が流れ込んでくる。また、相手の中にも、自分が入り込んでいく。結びつくのは体側の血管だけではない。意思もまた、何本も糸を伸ばして互いに絡み合い、同化していくのだ。
この時、ニアはトゥになり、トゥはニアになる。自意識は浮遊し、空を旋回し、そして一つの体へとまとまっていく。互いへの反発もなにもかも遠く、強く響き合い一つの槍のように鋭く神経を高めていく。
翼を広げた。ぶんとうなりをあげて、羽ばたきを始める。そうして、力がたまった頃、ふたりは地を蹴った。ジュンとジュリよりも、低く落ちていく、そうして、また舞い上がる。落ちてはまた少し上がりを繰り返して、降下して飛んでいくのが、四翼の飛び方だった。隣の村まで持てばいい。翼を動かして、重たい風におされながらも、気流にのる。
二人に言葉はいらなかった。
トゥはニアと飛ぶのが好きだった。それは、誰にも言うことはできなかった。それは「恥」というもので、四翼なら、誰しも持っている認識だった。
けれど、四翼なら、誰しも自分のように思っているはずだと、トゥは思っていた。
――とりわけ、またがない四翼はろくなものにならない――村のものが言う度に小さくなるこの身が、大きく広がる気がするのだ。どこまでも、飛んでいける、そんな気がする。皆、四翼をバカにするけれど、自分は違う。トゥは四翼であることに肩身を狭い思いこそすれ、嫌ったことはなかった。ニアがいるからだ。
それは、いずれ対翼になっても変わらぬ絆だと、そう信じていた。
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