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「なあ……何があったか覚えてるか?」
一ノ瀬大賀が問うと、男からは「いや」という返答があった。
2人の前には砂漠の風景がどこまでも広がっていた。日差しは一切遮られることなく辺りに降り注ぎ、カラカラに乾いた砂混じりの風が長袖の服に吹きつける。全く覚えのない場所だった。太陽の位置からするとお昼時ではないようだが、午前か午後かも分からない。
そもそも、だ。
「つーか、お前誰だ?」
言うや否や、一ノ瀬は今話しかけた男の首に手をかけた。そのまま体を持ち上げる。ナイロン系の黒いマスクをつけた男の顔が苦しげに歪んだ。
「お前がやったのかオイ?」
「ぐっ……」
反撃してこない。内心首を傾げつつ解放すると、男はマスクに向かってゲホゲホと憐れに咳き込んだ。
10年ほど前に「異常な風」が吹いてから、世界の常識は大きく変わってしまった。これまでの科学を覆す特殊能力――EXA(超過能力)を持つ人間が散発的に出現し、その力を悪用し始めたのだ。
当座の問題は、この男がEXAかどうか。
見たところ、マスクの男は20代前半で、25歳の一ノ瀬とは同年代だった。切り揃えた前髪はマスク同様に真っ黒で非常に暑苦しい。グレーのシャツ、黒のチノパン。徹底している。
一ノ瀬は自分の服装をチラ見して、ん? と思った。赤いTシャツが相手に負けず劣らずの暑苦しさだったからではなく、何カ所かに10センチ前後の綺麗な裂け目があったからだ。脇腹、右腕に2つ、グレーのパンツにも。
「状況を整理しましょう」
黒マスクの男がテノール声を発した。
「あなたはここがどこなのか、直前に何があったのか覚えていない、と」
「ああ」
「俺もです。そして、自分のことは覚えているが俺のことは記憶にない?」
「そうだ」
「俺もです。すると、この状況を引き起こした第三者がいるのかも知れませんね」
「ふざけやがって」
環境のせいか余計にイラッとしたが、一ノ瀬はここでも小さな違和感を覚えた。気持ちが妙に落ち着いている。
黒マスクの男はというと、ポケットからタブレットに似た厚い端末を出してそれを弄り始めた。
「……連絡、できますか?」
「あ?」
小型のタブレットを引っ張り出して操作する。いや、できなかった。太陽光でも動くはずなのに電源がつく気配すらない。一ノ瀬は舌打ちした。
「そっちもだめですか?」
「お前もか?」
「はい。これ、丈夫なはずなんですけどね」
つまり、この砂漠からは自力で脱出しなければならないらしかった。
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