踏切

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 お話を聞かせてくれた元刑事のAさんは、退職してからもう十年以上になるそうだが、今だ矍鑠としている。見かけはもう、すっかり好々爺といった雰囲気だが、時折見せる鋭い眼光は、現役時代の敏腕ぶりを想像させるものがある。 「不思議な話ねえ……うん、まあ、私ももう現役じゃないから、言っちゃいますけどね。そりゃ、ありましたよ。  実際、殺人事件なんてのは、当然ながら人の生き死にが絡みますからね。そういう現場には色々と、何て言うか、理屈では説明がつかないことが時々起きるんですよ。私も何度か"そういうこと"を経験するうちに、もう、一定数そういうことはあるもんだと割り切ってましたよね。  今からお話するのは、とある事件に関して、一人の参考人から事情聴取をした時の話なんですが、結論から言うとその事件は、結局未解決、というか病死扱いになりました。まあ、私の中では、別の結論なんですけどね。  かなり前の話になりますが、一人の変死体が発見されました。マンションの五階の部屋で、一人暮らしをしていた住人の男性、ここではU氏としましょうか、そのU氏が死体で発見されたんです。  ところが、死体が発見された日の未明、午前2時過ぎ頃に、その部屋から何か大声で言い争う声が聞こえた、という情報が近隣の住民から寄せられたんです。何やら"お前のことは絶対に許さない"というような強い非難の言葉も聞こえたそうです。そして、その直後くらいに、一人の男性が急いでこのマンションを出て行く姿が、エントランスの防犯カメラに捉えられていました。  当然のごとく、警察はその男性の行方を追ったわけですが、身元はすぐに特定されました。Y氏と言って、被害者とは長年の友人だった人物でしたが、まずはこのY氏を参考人として事情聴取をすることになり、この私が担当することになったわけです。  私の前に現れたのは、四十絡みの、あまりぱっとしないというか、ごく平凡な身なりの男性でした。大人しい感じで、態度も協力的でした。ただ一点、被害者の死亡と自分は無関係である、ということは強く主張していましたね。彼曰く、あの日の深夜、自分がU(被害者のことです)の部屋を訪れたのは事実だし、その時、確かに大声で彼を怒鳴りつけた。だが、その後すぐに退出したし、その時は彼には何の異常もなかった。そもそも彼が死んでいたなんて、警察から聞いて初めて知ったことだ。自分は絶対に人殺しなんかしていない、と主張していました。  私としては、まずは自由に話をさせようと思い、「とにかくあの日(U氏の遺体が発見された日のことですが)の出来事を包み隠さず、全て話してください」と言いました。  すると、Y氏は一瞬、考え込むような顔になりましたが、すぐに真面目な表情になり、こう言いました。 「分かりました。勿論、包み隠さずお話します。最初からそのつもりです。ただ、貴方がこれをどうお受け取りになるかは、お任せします。とにかく、私が経験した事実は一つしかなく、今からそれをお話するのみです」  そう前置きして、次のような話を始めました。 「私とUとは学生時代からの長い付き合いでした。二人を結びつけていたのは共通の趣味があったからですが、それは何かと申しますと所謂、オカルトに関するもので、怪談や超常現象の本や映画を読んで感想を交換したり、たまには一緒に心霊スポット巡りをしたりして楽しんでおりました。  そのUからつい最近、連絡がありました。 「お前、まだ幽霊を見たことが無いって言ってたよな。実は、確実に見られるスポットがあるんだ。俺はもう、何度も見た。どう、行ってみたい?」  実際、まだ一度も幽霊というものを目撃したことが無かった私としては、非常に興味をそそられるものがありましたので、二つ返事でオーケーしました。場所も偶々Uの自宅マンションの近くだそうです。夜中の1時頃に彼のマンションのエントランスで集合し、そこから歩いてそのスポットに行こうという話になりました。因みに、彼の家は私の自宅から自転車で行けるくらいの距離ですので、夜遅くても、足の問題はありませんでした。  当日の夜、というかもう日付は替わっていましたが、約束した午前1時ごろに私が自転車を飛ばして彼のマンションに行くと、もうUが待っていました。 「じゃ、行こうか」  二人は歩き出しました。 「ここから遠いのか?そう言えば、どんな場所か聞いてなかったな」  私が尋ねると、Uは答えました。 「ああ、まだ言ってなかったな。ここから10分くらいのところに有る踏切なんだ」 「踏切か」 「そう。要はそこで飛び込み自殺をした男の霊が成仏出来ずに彷徨ってるわけだ。こんな時間を選んだのは、終電車が終わった後にしたかったからさ。線路の傍まで行くと、危ないからな」 「なるほどね」 そんなことを話しながら歩いていると、遠方に線路が見えてきました。 「あそこだよ」  Uが指さす方向を見ると、確かに踏切が有ります。黄色と黒の警戒色が夜目にもはっきりと浮かび上がるようで、現場が近づくにつれ、段々と期待と緊張が高まってきました。生まれて初めて幽霊を目撃できるかもしれないんですからね。 「幽霊は、あの線路脇を行ったり来たりしてるんだ。いい場所を見つけてあるから、そこで見物しよう」  Uはそう言うと、線路脇の土手の少し低くなった場所に案内してくれました。背の高い雑草が生い茂っていて、小々鬱陶しかったのですが、ただでさえ暗い中、そこにしゃがんでいると、余計に周りからは見えにくくなるので、人に姿を見られることは無さそうです。 「丁度いい頃だ。あっちの方から来るぞ」  Uは線路の上り方向を指さしました。  その夜は月夜で周りも明るく、銀色に輝く四本の線路が暗闇の中へと延びています。本当に幽霊が見られるのだろうか。期待と緊張とそして恐怖心が私の中に渦巻き、じっとりと全身に汗が染みだしてくるのが自分でもわかりました。 「そいつはどんな格好」 「来たぞ」  私の声を遮ってUが低く呟きました。  線路の上り方向を見やると、一人の人影がゆっくりと近づいてきます。 (あれが……)  思ったより早く、こちらとの距離が縮まって来ました。よく見るとその人影は、スーツ姿の中年男性のように見えました。全体的にやせこけて、いかにも暗い感じで、病気を患っているような印象も受けます。月明かりに照らされたその顔は青白く、見るも悲し気な表情を浮かべていました。  そしてその顔をずっと下に向けたまま、ゆっくりと歩いてきます。視線をずっと自分の足下に向けて、何かを探しながら歩いているような印象も受けました。段々近くなってくるにつれ、その人影が透き通っていて、向こう側が見えているのに気が付いた瞬間、私は思わず声を上げそうになりました。これは本物だ!初めて幽霊というものを真近に見た感動と生々しい恐怖に捉われた私は、そのまま口を半分開けたまま、私達の姿など眼中にないように、すぐ目の前を通り過ぎていく人影を見つめていました。やがて、その人影は、同じ歩調のまま、線路の下り方向へと歩いて闇の中に消えていきました。 「どう?」  Uがドヤ顔で私の顔を見ました。 「うん、あれは確かに本物だな。しかもあんな間近に。いや、すごい」  感動と恐怖で私の声は震えていました。 「さて、帰るとするか。ここら辺も、必ず幽霊が見られるスポットとして、あっという間に有名になってさ。最近では遠くからヤンキー連中なんかも来るようになっちまったんだよ。長居は無用ってわけだ」 「あの幽霊、ずっと下を向いてたな。何か探してるような感じだった」  私がそう言うと、いきなりUはおかしそうに笑いだしたのです。 「気が付いたか?そうなんだよ、あいつはずっと探し物をしてるんだ。永遠に見つかるわけないのにな。ご苦労様なこった」  私には、Uが何故そんなに面白がるのか、わかりませんでした。何よりも、Uがあの幽霊の事情を良く知ってるような話し方をするのが、不思議に思えました。 「まあ、今から俺の家でもう少し詳しい話を聞かせるよ。泊まっていってもいいぜ」  勿論私は同意し、一緒に彼の家へと向かいました。  マンションの彼の部屋に着くと、着替えもそこそこに、コーヒーテーブルを挟んで、彼の話が始まりました。 「実は、あそこの踏切で鉄道自殺があった時、俺はたまたま近くに居合わせたんだよ。俺があの踏切に向って歩いていると、大勢の人や車が踏切待ちをしているのが遠目に見えていた。丁度そこに、急行電車が高速で走ってきたんだが、突然、その人ごみの中から悲鳴が上がった。と同時に"プワァーン” というけたたましい警笛が鳴り響いて電車は急減速し、踏切を少し通過したあたりの線路上で停車した。周囲がざわつき始め、沢山の人が踏切に向って走り始めた。一方、足早に踏切から離れていく人も、何人か見えた。  これはひょっとして、と思った俺も急いで駆けつけた。野次馬をかき分けながら、なんとか最前列に出ると、案の定遮断機の向こう側の線路上に大量の血だまりと、肉片と思われるものがいくつか飛び散っているのが見えた。いや、興奮したよ。生の飛び込み現場をこの目で見たのは初めてだったからな」  Uは目を細めながら当時の状況を得々と語りました。 「周囲の野次馬の声から、飛び込んだのは痩せた中年男らしいという事がわかった。そうこうしているうちに、バケツとトングを持った近くの駅員が掛けつける、パトカーも来る、救急車も来る、というわけで、すぐにその辺りは立ち入り禁止になった。ブルーシートが広げられて現場も隠されてしまったんで、一旦俺はその場を離れた。ちょっと思う所が有って、また戻ってくるつもりだったけどな」  Uはそう言って、意味ありげに私の顔を見ました。 「思う所?」 「うん。まあ、とにかく俺は現場を離れた。それから暫く時間を潰し、関係者が全て撤収した頃合いを見計らって、もう一度現場に行ってみたんだ。はたして、もう誰もいなくなっていた。大量の血痕も、水洗いの跡だけが残っていたね。  さて、現場に到着した俺は、足下を見ながら、線路脇の草むらをゆっくりと歩き始めた。あるものを探してたんだ。そして、踏切から少し離れた場所で、これを見つけたんだ」  そう言って、彼は机の引き出しから小さなガラスケースを取り出しました。中には、5センチくらいの、長細い棒状の物体が入っています。こげ茶色をしたそれは、干からびた小さなナマコのような感じで、何やら薄気味悪い印象を与えるものでした。 「なんだと思う?」  意味ありげに笑いながらUが尋ねてきました。 「なんだろうね……長細くて、なにかの干物みたいな……よくわからんな」 「これは、人間の人差し指さ」  相変わらずにやにや笑いながら、Uが気味の悪いことを言い出しました。 「つまり、これはあいつが電車に飛び込んだ時、バラバラになってちぎれ飛んだ身体の一部というわけさ。踏切から結構離れたところまで飛んでいた。勿論、飛び込んだ直後は、辺りは立ち入り禁止になってたから俺も近づくことは出来なかったよ。だから、一通りの回収が終わり、立ち入り禁止が解けた頃を狙って、あの周辺を探してみたわけだ。何か小さな欠片でも残ってないかなと思ってね。小さなものなら遠くまで飛ぶだろうと思って、少し離れたところを探してみたのが正解だった。発見したときは心の中で”やった!”と叫んだね。まだ周りに通行人もいたから、何かに躓いたようなふりをしてちょっと腰を落として、素早く拾い上げたんだ」 「なんで、そんな気味の悪いものをわざわざ拾って来たんだ?」  顔を顰める私に、彼は得々として説明を始めました。 「思ったんだよ。あそこで飛び込んだやつの遺体は、駅員の手でかき集められて、しかるべく供養されるだろう。だがその際、身体の一部がどうしても見つからなかったら、完全には供養されないわけだろう?そして死んだ人間としては、もし一部でも供養されなければ、どうしても執着が残ってしまい、成仏出来なくなるんじゃないか……そして、欠けている身体の一部を求めて、あそこの周りを永遠に探し続けるんじゃないか。そんなふうに思ったのさ。案の定、その通りになったってわけだ。きひひひひ」  Uが耳障りな声で笑いました。 「じゃあ、お前は自殺した人の霊を迷わせようとして、わざと遺体の一部を持ち帰って来たってことか?」  私はもはや呆れ返っていました。 「そういうことさ。なあ、咄嗟にこういうことを思いついた俺って天才的だと思わない?これも普段からのオカルト研究が実を結んだってとこかな、ははは。おかげで、好きな時に幽霊見物が出来るってわけさ。いわばあそこは、俺が作った心霊スポット、あいつは俺が創造した地縛霊ってわけだよ。ひっひひひひ」  その顔を見ているうちに、私は突然激昂し、大声で怒鳴り始めました。 「なんて奴だ!死体の一部を黙って持ち帰るなんて。お前って奴は、とんでもない野郎だ!見損なったぞ!」 「おいおい、どうしたんだよ」  急に怒鳴りだした私の態度に、Uは呆気にとられたような顔をしています。 「わざわざ地縛霊にすることを意図して死体の一部を持ち帰るなんて、人間のすることじゃないよ!あの人が成仏できずにどれだけ苦しんでると思ってるんだ!しかも大勢の人たちから好奇の目で見られて、可哀そうに見世物扱いじゃないか!」 「だって、お前だって一度幽霊を見たいとか言ってたじゃん。何怒ってるんだよ。まあ落ち着いて……」 「確かに、幽霊に興味があるとは言ったさ。でも、あの人はお前のせいで地縛霊にさせられたんじゃないか。言ってみれば、お前は成仏する権利を奪ったんだぞ!そうしておいて、"幽霊の見れる場所教えてやろうか”とか自慢して、見世物にしてるんじゃないか。そんなのひど過ぎる!あの人が気の毒過ぎるよ!俺は絶対にお前のことを許さないからな!」  もう、一刻も早くその場を離れたかった私は、それだけ言うと席を立ち、急いでUの家を後にしたんです……。  私が突然怒り出した理由がおわかりですか?  実際、あの時は殆ど本能的に怒鳴り始めていたんです。ええ勿論、仰る通り、Uの行為は人倫にもとる最低の行為です。当然ですよね。意図的に地縛霊にするつもりで死体の一部を持ち帰るなんて、あまりにも酷い話です。でも、本当の理由はそこじゃないんです。  それはね、Uと向かい合って話をしていて、ふと顔を上げた瞬間に、目が合ってしまったからなんですよ。いいえ、あいつとじゃありません。  Uの背後の窓、五階の誰も立てる筈の無い窓の外側から、こちらを見つめている人の顔が見えたんです。  それは、さっき線路の傍で見かけたばかりの顔。そうです。あの幽霊が窓の向こうから目をかっと見開いて、じっとこちらを覗き込んでいたんです……。  それを見た瞬間、凄まじい恐怖が私の中に炸裂しました。と同時に、Uを糾弾する怒りの声が私の口から飛び出して来たのです。勿論、恐怖のあまり、一秒でも早くその場から逃げ出したかったんですよ。でも、その前に私の口が、"大事なこと"を勝手に喋り始めたんです。今にして思うと、恐怖に触発された私の自己防衛本能が反射的に働いた結果じゃなかろうかという気がしてます。  "私は、この男とは全く違います。こいつのやったことは、自分としても心から許せないと思ってるし、地縛霊にさせられた貴方のことは本当にお気の毒に思っています"……それを”窓の向こうの人"に、分かってもらわなきゃなりません。だから必死になって、大声でUを糾弾していたんです。だって、あいつの仲間だと思われたりしたら、こっちまで恨まれちまうじゃないですか。冗談じゃないですよ。  急いで言うだけのことを言うと、私はすぐに彼の部屋から逃げ出しました。そして自分の自転車に飛び乗ると、もう後も見ずに必死になってペダルを漕ぎ続けました……」 「以上が、Y氏から聴取した内容です」  ひと通り話を終えたAさんは一息ついた。 「なるほど。Yさんは余程怖かったんでしょうね」  私の陳腐な感想に、軽く微笑んだAさんは先を続けた。 「まあ、私としても、文字通り”参考人”からの情報収集のつもりでした。はなからY氏がやったとは思ってなかったんですよ」 「もともとYさんではない、という目星はついていたということですか?」  私が確認すると、Aさんは頷いた。 「ええ。念の為の事情聴取、というか純粋にその場の詳細な状況を知りたかっただけなんで、聴取が終わったら、さっさとお帰り頂きましたよ。改めて彼の話を聴いて、ああ、やっぱり"そういうこと"だったんだな、と確認出来たんでね」 「やっぱり”そういうこと”……要は、はなから人間の仕業ではないと踏んでおられたということですか?」 「まあ、そうですね。確信は無いものの、これは”そういう”案件かもしれないな、という直感はありました。それがYさんの証言で確信を得た、というところです」  Aさんは、意味ありげに私の目を見やった。 「そもそもあの部屋の玄関のドアは内側から施錠されていたんです。Y氏が退出した後、被害者が自ら施錠したものと思われますが、他に出入口は有りませんでした。部屋の窓ガラスもはめ殺しで、開かない構造になっていました。つまり、現場は密室状態だったわけです。犯人はどこから侵入して、どこから逃走したのか……そこが解明されなければ、公判も維持出来ませんからね。これは無理筋かなあ、とは思っていました。  そして、発見時のU氏の状況……直接の死因は心不全と診断されましたが、何よりもあの死体の表情……余程の恐怖に襲われたんでしょうか、私の経験上も、あんなに恐ろしい顔をした死体は見たことがありませんでした。あの顔を見た時、何となく、これは”そういうもの”が関わってるんじゃないか、という印象を持ったんですよ。はたして、Yさんの話はそれを裏付けるものだったわけです。  何より私が決定的だと思ったのはね。その死体、人差し指が一本嚙み切られていたんです。でも、徹底的な捜索にもかかわらず、どこにも発見出来なかったんですよね……」 [了]
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