禍(わざわい)

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 今日も今日とて客が来ず。  おっと、失礼。気付きませんで、大変失礼をいたしました。どうぞどうぞ、狭い店ではございますが、こちらの椅子におかけ下さい。  お恥ずかしい話でございますが、もう三週間も閑古鳥が鳴いておりましたもので、つい油断と言いますか、諦観と言いますか、ええ。  申し遅れました。わたくし、古川栄命と名乗っております、ケチな占い師でございます。袖振り合うも多生の縁とか申します。よろしくお見知り置き下さいませ。  それで、お客様。本日の御用の向きは。  え? 結婚運?  もちろん、よろしゅうございます。それでは、お客様と、おわかりになればで結構ですが、お相手の生年月日をお教え願えますでしょうか。  はい、ありがとうございます。どれどれ、お客様が27歳、相手の方が39歳と。ちょうど一回り離れていらっしゃるわけですね。いやいや、愛に歳などは関係ございません。肝心なのは心と相性。あとは多少の金回りの良さ、と、これは下世話な話でもって、はい。  ふむ、見たところ、お相手は仕事運、金運ともによし。人好きするお人柄で外見もなかなか。ははあ、これはおモテになられるでしょうな。  写真もないのにどうして外見までわかるのか? ははは、それは商売上の秘密でございますよ。  話を戻しまして、お客様との相性ですが……おや、これは。いえ、悪いというほどではありませんがね、結婚ということになりますと何やら一悶着ありそうなが卦が出ておりまして。  失礼ですが、もしやお相手は既に奥様が、うん? 奥様だけではなさそうな…。そうですね、お子様もいらっしゃるのではありませんか?  あ、あ、今ハンカチを。さあ、深呼吸をして、ゆっくりで構いません。ご覧の通り、時間ならいくらでもある身でございますから。  なるほど、奥様とは離婚なさると言いながら、何年もずるずると。え? 結婚記念日に花束を買っていた? それはそれは、さぞかしお辛かったことでしょう。悔しかったことでしょう。  お客様は何も悪かありません。悪いのはみぃんな男の方と相場は決まっております。社会に出たばかりの若い女性に、言葉巧みに言い寄って。仕事もできて顔もよく、包容力もありそうな男に優しくされたら、そりゃあ不倫の一つや二つ、したくもなるというもの。  お客様のような可愛らしい、一途な方に、そんな男はもったいない。どうです? ここは未練を断ち切って、新しい人生を送る決心をなさっては?  と言いますのも、お客様はここへいらっしゃる前に、もうご自身の中で答えを見つけていたからでございます。実のところ、わたくしは占いという手段を持ってそれを後押しをする、ただそれだけなのでございますよ。  ええ、ええ、出会いなんぞこれからいくらでもありますとも。あちらへ行ってもこちらへ行っても老若男女色とりどり選び放題。今まで周りが見えていらっしゃらなかった分、この先は嫌んなるくらいたくさんの人がお見えになることでしょう。  これだけははっきり言わせていただきますがね、決して場しのぎの慰めなんかじゃございませんよ。わたくしの易者生命に賭けて保証いたします。外へ出ましたら、大船に乗った気持ちでぐるっと辺りを見渡してやって下さいませ。  お心が決まりましたか。うんうん、それでいいんでございますよ。悪縁やらしがらみやらはさっさと断ち切って先へお進みになるに限ります。わたくしもこちらから応援いたしておりますからね。    いえいえ、お代なんて、そんな。先ほども申しました通り、わたくしはお客様の心を後押ししただけでございますから。本当にお気持ちだけで。  ああ、晴れやかなお顔になられた。もう、心配はいりません。どうぞ、心安らかにお帰りになって下さい。  そうそう、世間ではまだ何とかウイルスだとか言うのが流行っておりますから、念のため、アルコール消毒をしてからお出になって下さい。その方が、お客様もご安心でしょう。わたくしがいたしますから、手のひらをこちらに向けていただけますか?  プシュッ———。 「やれやれ、逝ったか。コロナからこっち、消毒消毒うるさくて、幽霊もすーぐ浄化されちまうから、こちとら長話もできやしねえ。まったく、この世の終わりたぁこのことだね」
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