夢の続きの子守唄

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「あの、私の事覚えていますか?」 よく通る、綺麗な声が聞こえた。若い女性の声だ。 人通りの少ない早朝。私は繁華街の片隅で静かにゴミを漁っていた。 最近は歳のせいか、幻聴が聞こえることもある。 その類だと思い、無視を決め込んでいたのだが、どうやら違った様子だ。 「すみません、少々よろしいですか」 「ん、私に話しかけているのか……」 ようやくゴミを漁る手を止めて、声の方へと向きやる。 声のイメージに合った、綺麗な女性が申し訳なさそうに立っていた。 年のころは三十代前半といった所だろう。 暖かそうな、モダンな白いコートを着ている。 素人目から見ても、ものすごく値が張りそうな作りだ。 その少し後ろには、中年くらいの女性が控えている。付添人のような出で立ちだ。 同じく暖かそうではあるが、完全にビジネス風のコートを着ている。 逆に私の方は、数十年着ているボロボロのコートである。 洗濯など一度もしていないし、汚らしいゴミも付着している。 私は慣れてしまっているが、臭いはひどいはずだ。 それも致し方ない。私は長年ホームレス生活が続いている。 街の誰しもが目を背ける、日陰の存在である。 逆に、私に声をかけてきた女性は、煌びやかで一般人とは思えない風貌だ。 芸能人か何かかもしれない。 間違っても、私に話しかけてくるような立場の女性ではない。 「……気分を害してしまったようで済まない。ただ、私が生きていく上では仕方がない事なんだ。  ゴホゴホッ……、失礼するよ」 不衛生なゴミを長年漁っていたからだろうか、ここ最近肺の調子がよくない。 おそらく、ゴミ漁りを注意されるのだろうと思い、そそくさとその場を後にしようとする。 しかし、彼女は私の前に立ちはだかった。 「よかったら、私の家に来ませんか? お腹が減っていらしている様子ですし、ご馳走します」 「なぜ見ず知らずの方にそんなことを? そのお気持ちだけ頂いておきます」 女性は悲しそうな顔をしていたが、私には関係ない。 その横を通り過ぎようとしたその時、私の体に異変が起こった。 「うっ……」 何だ、急に呼吸ができない。私は胸を押さえて、その場に膝をつく。 「だ、大丈夫ですか!? ……マネージャーさん、病院に……!! お医者さんを……」 若い女性が慌てて私の体にすがってきた。 彼女の声を聞きながら、私は意識を失っていった。 「む……」 目が覚めると、柔らかい感触が全身を包んでいる事に驚く。 どうやら、ベッドに寝かされているらしい。 こんなにも寝心地のいい場所に身を預けるのは、何年ぶりだろうか。 いつも公園のベンチや地面で寝ていたため、逆に違和感を感じてしまうくらいだ。 「お目覚めですか」 私を出迎えてくれたのは、あの女性にマネージャーと呼ばれていたメガネをかけた中年女性だった。 喉を壊してしまっているのか、口からは合成音声が聞こえる。 「今、お医者様をお呼びしますね。ゆっくりなさっていてください」 すぐに医者が飛んできた。 ここは、有名な病院のVIPルームという事らしい。 普通なら、有名芸能人や政財界の大物などが使う場所のようだ。 そんなところにホームレスの私が寝ているなど、場違いにもほどがある。 「ああ、よかった……!!」 医者に診察を受けている横で、あの女性が息を切らして入ってきた。 彼女は私に何かを言いたそうな風だったが、診察を受けているのを悟り、 病室のドアの横に静かに立っていた。 医者が去ると、彼女は近寄ってきて、こちらに話しかけてくる。 「具合はどうですか?」 「そうさね。悪くはないと思うが……。ここの治療費の事を考えたら、頭が痛くなってきそうだ」 「ご安心してください。費用はすべて私が負担します」 「そんな義理はない……、ゴホゴホッ」 私は興奮しそうになるが、締め付けられるように胸が痛く、それに阻まれる。 彼女は心配そうに私に寄り添ってくる。 「それにあなたは……」 彼女ははっとした表情になり、口元を抑えた。 一呼吸おいてから、静かにうなずくと、こう言ってきた。 「私は必要以上に稼がせてもらっていますから。社会奉仕の一環で、あなたのような恵まれない方に、  施しをさせて頂いているんです。だから、お気になさらないでください」 「そうか……」 私は当初、彼女を疑っていた。 私に親切にしてから、何かを奪うような裏切りを図っているのだと。 しかし考えてみると、彼女にはリターンが無さすぎることがわかる。 何しろ私はホームレスで天涯孤独だ。両親も兄弟も、妻も子供もいない。 当然、引き継げるような財産は持ち合わせていないどころか、明日の日銭すら乏しい身だ。 他に考えられるのは、この肉体くらいだろうが、この数年まともに栄養を取っていないし、 もうとうに60を過ぎた体だ。移植に使えるような臓器だってない。 彼女は見てくれからわかる通り、セレブなのだろう。 セレブは社会貢献を世間にわかりやすくアピールして、好感度を得るようなことをしている。 おそらくその一環なのだろう。 有り余る財の中から少しの金額を寄付や福祉に使っており、たまたまそのお鉢が私に回ってきたのだ。 そう思うとすんなり納得できた。それに、生い先短い状況だとわかったので、もうどうでもよかった。 医者の診断によると、私は末期の肺がんだったらしい。 かなり先進的になっている現代医学であっても、もう手の施しようがないとの事だ。 今まで路上生活を続けられていたことが奇跡に等しいほどだという。 不思議なもので、それを聞かされて意識してしまうと、 病魔の進行は恐ろしいまでに進んでいく。 私はもう、自分の足で歩くこともままならない状態になっていた。 本来なら気が狂うほどの痛みを伴うのだろうが、無痛医療については非常に発達していて、 その効果からか、ふわふわとした意識の中で私はまどろんでいた。 あれから数日が経ち、私はベッドで寝ているのが常となっていた。 そんな中、セレブの彼女は忙しい合間を縫って私に会いに来てくれていた。 彼女はサワコという名前で、驚いたことに世界的に有名な歌手だった。 彼女の楽曲は出せばミリオンセラーとなり、ライブを開催すればそのチケットは数秒で売り切れるそうだ。 「今日はどうだった?」 「インタビューの仕事です。最近は仕事をセーブしているので、多少は余裕があります」 「そうか。お嬢さんを立派に育てたご両親は、さぞ鼻が高いだろうね。羨ましいよ」 「そんな……。」 「……ああ、人生の最後にこんな厚遇を受けさせてもらえるとはね。  そろそろ、私の寿命も尽きるようだ。  お嬢さん、最後にあんたの一番好きな歌を聴かせてもらえんかね……」 「……はい、もちろん。この歌をご存じですか。子守唄なんですが」 サワコが病室で二人しかいない静寂の中、アカペラで歌い始める。 その声は、喋り声よりもさらに高く美しく、死に間際に聴いている事も相まってか、 この世の物とは思えないほどの旋律となって紡がれた。 体が心から身震いしたのは、初めての経験だった。 私の頬を、自然と涙が伝っていく。なるほど、歌姫と称されるほどの事はある。 彼女の歌を聴きたくて、多くの人たちがチケットを買い求めるのがわかる。 そんな歌を独り占めできたこと、とても光栄だった。 「……いや、初めて聴いたが……、お嬢さん、お上手だねえ。  人の歌を聴いて涙が出ることなんて初めてだよ。最後に、いいものを聴けた。ありがとう……」 私の人生、これでよかったのだろう。 ホームレスにまで落ち込んだものの、最後は暖かい人の手によって看取られる。 素晴らしい送り歌までもらえたのだから。 こうして、男は眠るようにしてこの世を去った。 サワコは男が逝ったのを確認し、病室の中で一人静かに泣いていた。 「ありがとう……。お父さん……」 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 2100年初頭。 人類はコンピュータ技術を目覚ましく進歩させ、ついに脳内の記憶を電子データ化させることに成功した。 その技術は様々な事に利用されるようになったが、人間の記憶というもの生の経験に等しい。 その価値は非常に高いものとして重宝された。 価値を高めるために、人の記憶はコピーすることは不可能という規制が入り、移植する事のみが可能となった。 誰しもがその記憶を共有できてしまったら、それは伝記やドキュメンタリー映画といった仮想現実の域を出ない。 人の記憶はその人のみのもの。移植した場合は、元の持ち主がその記憶を失うという事を意味していた。 これにより、記憶売買ビジネスが成り立つようになったのだ。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 私は、大学受験に合格していたが、別の夢を追いたいと考えていた。 それは歌手になる事。そのきっかけは母である。 私の母は音大出身で、ピアノの先生をしていた。 母は私を産むときに大変な難産を経験し、一命はとりとめたものの体を悪くしていた。 なので、自宅でやっていた教室はたたんで、自宅療養に努めていた。 ほとんど寝たきりになっていた母は、私を寝かせつける時によくオリジナルの子守唄を歌ってくれた。 しかし、夢には多額の資金が必要だ。 父は運送業者に勤めるドライバーであり、母の医療費や私の養育費を男手一つで身を粉にして稼いでいた。 それでも、私の進学費用はちゃんと貯めておいてくれていた。 しかし、歌手を目指すならその数倍の資金が必要だった。 夢をあきらめ進学し、適当な企業に就職して結婚相手を見つけて家庭に入るという平凡な道を進むべきなのだ。 でもどうしても諦めきれなかった。 私は思い切って、大学には進学せずに都会に出て音楽の勉強をしつつ、歌手を目指したいことを父に打ち明けた。 父は最初、困ったような顔をしていたが、しばらくしてからこんなことを言ってきた。 「なあ、父さんにお前が一番好きな歌を聞かせてくれ」 私は悩んだ末、母の作った歌を歌った。父の前で歌うのなんて初めてだった。 恐らく父は、私が歌手になりたかったことなんて初耳だったはずだ。だからこそ、困惑していたのだろう。 母の歌を聴く父は、最初は驚いたような顔になり、笑顔になり、最後には涙を流していた。 「……わかった。金は俺が何とかする」 父はそう言って、家を出て行った。それから、3日が経っても父は帰ってこなかった。 私は心配になり、警察に相談しようと家を出ようとした所、携帯端末に通信が入った。 「どちら様ですか?」 「私、記憶データ管理業者のワタリという者です。あなた様のお父様が先日、ほぼ全ての記憶データを売却されまして、  その買取費用をお嬢様であるあなた様に譲渡されるという契約を結ばれました。  先ほど、あなた様の銀行口座にその金額を振り込みましたので、ご確認の程よろしくお願いします。では……」 「ちょ、ちょっと待ってください! 記憶データの売却ってどういう事ですか!?」 「そのままの意味です。お父様は記憶と引き換えにお金を得て、それをあなたに移譲されたんです」 「それじゃあ、父はどうなるんです!? 人は記憶を失って生きていけるんですか!?」 「ええ、大丈夫です。売却された記憶は、全く別の平凡な記憶を作成し、そちらと入れ替えます。  ので、生きていく上では問題ありませんよ。ただ、自分に家族がいたことは忘れられてしまっています。  非人道的と思われるかもしれませんが、お父様がそう契約なさったので、あしからず」 「そんな……」 私がショックを受けていると、その間に通話は切れていた。 もちろんその後、警察に行方不明届を出したものの、父はそれから10数年見つからなかった。 私はそれからそのお金のおかげで歌手になる事が出来た。 生半可な気持ちではいられなかった。しっかりとトレーニングや下積みをしてから、無事にデビューを果たせた。 デビュー曲はCMで有名女優とタイアップしたこともあり、爆発的に売れた。 私はそれに満足せず、 事務所の社長や、何より親身になってくれたマネージャーがいたからここまでこれたことは忘れてはならない。 特にマネージャーは、私の才能を早い段階から買ってくれていて、 ボイストレーニング以外の事もいろいろと試して力になってくれた。いくら感謝してもしきれないほどだ。 私の夢はかなった。だから、今度はお父さんに恩を返す時だと思った。 さっそく探偵を何人も雇って、父を探すことに成功する。 でも、父は既に不治の病を患っていて、私にいくらお金があっても手の施しようがなかった。 それに、父に娘だと打ち明けることもできない。 記憶移植をした者たちは、その記憶を失っている。なので、その記憶を探るようなことをしたら、 記憶の不成立が脳内で起こって発狂してしまう可能性があるのだ。 父の最後を、そんな風に終えさせてしまうのは許されない。 最初は父を見つけた歓喜によって、私のことをもしかして覚えているんじゃないかという確認をしてしまったが、 やはり記憶移植はそんな事は起こらないようだった。 であれば、私がやるべきことは、父の最後を穏やかに迎えさせてあげること。それだけだ。 最後に歌を聴かせてほしいと言われた時には、涙をこらえるのが大変だった。 父への歌の披露は、今までのどんなライブよりも緊張したけれど、歌手人生の中で最もよく歌えたと思えるほどだ。 あれほどの歌は、もしかしたら生涯で二度と出来ないかもしれない。 私は、あの歌を歌うために、今まで歌手として生きてきたのだと思った。 私は、父の墓の前で手を合わせて祈る。 私の使命は、父が託してくれた歌手としてもっと高みを目指す事。 そして母が残してくれた子守唄を後世にもずっと伝わるようにしていく事だろう。 だから、私の歌を天国で二人で聴いていてね。墓前に誓った。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 晴れやかな空に、流れる雲。 墓地というのはどうしてこう、静かな場所なのだろうか。 サワコの背を見守るマネージャー。 そう、サワコの記憶は彼女の物だった。 歌手を目指していた彼女は、父が残してくれた資金を使って歌手になるための努力を尽くした。 ボイストレーニングに通い、毎日毎日歌の練習をした。 本格的に歌手を目指してみてわかったが、彼女には才能がなかった。 しかし、父が記憶の全てを失ってまで託してくれた夢だ。諦めるわけにはいかなかった。 足りない才能を猛練習によって補い、徐々にではあるが、彼女は歌手になる夢に突き進んだ。 そして、いよいよデビューが決まった矢先に、ハードワークがたたって喉を壊してしまった。 見かねた所属事務所の社長の好意で、彼女はマネージメント業をやらせてもらう事になる。 その中で担当した、サワコの才能は格別だった。 彼女が歌うと、普通の歌謡曲であろうとも、聴き入った人たちが心を洗われ、涙するほどだ。 しかし、その気持ちにはムラがあり、そこまで歌い込める時は稀であった。 サワコにはハングリーさが足りなかった。 神様に与えられた才能を持て余していたのだ。 彼女は、サワコに歌のトレーニングだと言い聞かせて記憶の管理会社へと連れて行った。 そして、自身の記憶の父との思い出を移植した。 彼女に足りないハングリー精神、歌手にならなければならないというエピソードを植え付けた。 するとどうだろう。サワコのモチベーションは驚くほど高まった。 鮮烈なデビューを果たし、出す曲すべてで高い評価を受け、世界的な歌姫と認知されるのに数年しかかからなかった。 そして、満を持して彼女の母の子守唄を世に発表した。 今はその子守唄を、多くの母親が子供に歌って聞かせている。 サワコが父の墓の前にしゃがんで手を合わせている。 彼女は、その少し後ろに控えながら、何故か涙が零れ落ちそうになるのを止められなかった。
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