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まゆ 小学5年生
小学3年生の春、お父さんの転勤で転校したわたしは、新しい小学校であきちゃんという女の子のとなりの席になりました。
あきちゃんはキレイな顔をした物静かな女の子で、私より少し年上に見えました。
何日かして放課後はじめて一緒に遊んだ日から、一番の友達になるのに時間はかかりませんでした。
わたしはあきちゃんと毎日のように遊んでいました。
初めの頃はお互いの家を行き来していましたが、だんだんとあきちゃんの、広くてキレイな家で遊ぶことの方が多くなっていきました。
あきちゃんの家にはいくつものお人形と、お人形の可愛い服がたくさんありましたし、一緒に絵を描いたり本を貸し合ったり、わたしの家とは違う広くて片付いたリビングで一緒にテレビを見る時もありました。
参観日の時に見たあきちゃんの美人で優しそうなお母さんは、いつも仕事で家にはいませんでしたが、デパートで売っているようなお菓子をテーブルに用意してくれていました。
あれはわたしたちが5年生になってすぐのことです。
遊ぶ時は前の日に約束をするのが、あきちゃんのお家のルールでした。
その日は前日にわたしが熱を出して学校を休んだので約束はしていませんでしたが、帰り道のいつもの曲がり角でバイバイとあきちゃんと別れて家に帰ってから、やっぱり遊びに行こうと思い立ち、毎日のように遊んでいたこともあって、あきちゃんが家にいれば遊べるだろうと気軽な気持ちで向かいました。
あきちゃんの家に着き、インターホンを押しましたが、いつも家の中から聞こえるくぐもったピンポーンという音が聞こえません。
インターホンが故障していたのでしょうか。
わたしは玄関のドアには鍵がかかっているだろうと思いながらも、ほとんど無意識にヒンヤリとした金色のドアノブを握り、そっと下に押しました。
カチャン、と軽い音がしてドアが開きました。
するりと玄関に入ると、上の階から小さくあきちゃんのお母さんの声がしています。
少し怒っているような声でしたが静かな声だったので、誰かと電話でもしているのだろうか、と思いました。
他に誰の声も聞こえなかったのです。
いつもならこんにちはと声をかけるのですが、電話中かと思ったわたしは靴を脱ぐとそのまま廊下を進み、階段をそっと上がって行きました。
階段を上がって突き当たりを折り返すと、すぐにあきちゃんの両親の寝室があって、その先があきちゃんの部屋です。
あきちゃんのお母さんの声は、寝室からではなくあきちゃんの部屋から聞こえていました。
パッ…パッ…聞き覚えの無い軽い音がお母さんが話す合間に聞こえます。
あきちゃんの部屋のドアが少しだけ開いていて、その隙間からあきちゃんの顔が見えました。
途端に胸がギュッと苦しくなりました。
上半身裸で床に耳を当てるようにしているあきちゃんと、目があいました。
フローリングの床にあるあきちゃんの人形のような顔が、いつもより青白く見えました。
あきちゃんは一瞬驚いた顔をしましたが、何も言いませんでした。
かすかに、まゆちゃん、と口が動いたように見えましたが、悲しそうな顔で軽い音がする度にかすかに顔をしかめながら、ただ視線だけを少し左右に動かしました。
「そのまま、そっと帰って」とあきちゃんは伝えたいのだとわかりました。
「あなたは本当に…何度言えばわかるの?…ねぇ、謝れば許してもらえると…思ってるんでしょう…」
小さな声で話す合間に、何度も細い竹の棒であきちゃんの裸の背中を打つあきちゃんのお母さんの後ろ姿。
わたしは、胸の中でふくらんで喉へなんどもあがってくる声をころすのにとても苦労しました。心臓が痛いほど打っていて息もうまく出来ず、音は遠ざかり、手も足も震えてまるで遠くにあるように感じました。
一歩、後ろに下がると廊下がかすかにきしむ音を出しました。
ふとあきちゃんのお母さんがこちらに顔を向け、横顔が見えました。
叫びだしそうになるのをやっとのことでこらえたら、代わりに涙が溢れてきました。
あきちゃんの顔がじわりとにじみました。
あきちゃんのお母さんはため息をつくと、またパシリパシリと打ち始めました。
わたしが見ていたとおばさんが知ったら…あきちゃんはどうなってしまうんだろう。
私はあきちゃんの部屋のドアをじっと見ながら、後ろ向きのままでそっと廊下を戻り、階段を降りて、なんとか音を立てずに玄関までたどり着きました。
ついさっき軽い気持ちで入ってきたドアを、今度はそぅっと音を立てないように開けて、あきちゃんの家を出ました。
逃げるように出てきたというのに、わたしはそこからなかなか離れる事が出来ず、あきちゃんの名前を小さく呼びながら、ならないインターホンを何度も押していました。
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