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どうしてだろう。さっきからほんのちょっぴり、灯里の機嫌が悪い気がする。
トイレの前ですれ違ったとき、じっと僕の顔を見つめてきた。
うっとり見惚れていたわけじゃない。新婚時代ですら、「ま、これからよろしく」なんてさっぱりと笑っていた妻が、あと二か月で結婚して三年が経とうという今、そんな可愛らしいことをしてくるわけがない。
そもそも、目に愛情がこもっていなかった。怒りとも呆れともつかぬ、とにかく何かマイナスのエネルギーを帯びた視線を浴びせられたのだ。すごく怒っているわけではないようだけど、何か間違えれば導火線に火をつけてしまうかもしれない、というありがたくないスリルを感じた。
特に怒らせるようなことはしていないはずなんだが……。
まあ、いいか。きっと虫の居所が悪いだけだ。こういうとき、夫は妻の虫に触れないようにするのが吉だ。頭の中で自分に言い含めながら、書斎に戻ってパソコンの前に座った。
パソコンのモニターには、トイレに行く前から閲覧していたレストランの予約フォームが開かれたままになっている。最近テレビでも取り上げられるようになった、高級イタリアンの店だ。シェフの腕前もさることながら、海に面し、湾岸部のビジネスエリアに林立するビル群の夜景を一望できるロケーションが人気に拍車をかけている。行きたいのは二か月後だというのに、予約枠はほとんどなくなっていた。
僕たち夫婦は、こういうレストランにはあまり行かない。僕は何だか落ち着かないし、灯里は、格式ばったブランド品のようなお洒落より、スマートで機能的な、さりげないお洒落が好みだ。この書斎の家具も、装飾を排した至ってシンプルなデザインのものに統一されている。
なんだけれど、結婚記念のお祝いくらい、見栄を張ったっていいだろう。こんないいところ予約するなんてやるじゃん、という妻の笑顔を想像しながら、僕は予約完了ボタンをクリックした。
「これでよし」
パソコンをシャットダウンし、席を立った。時計を見ると、針は九時三十分を指している。普段ならもう少し起きているところだが、あいにく明日はデザイナー業のクライアントとの打ち合わせのためにいつもより早く出勤しなければならない。ちょっと早いけどもう寝よう、と思って書斎を出ると、目の前に灯里が腕組みしながら立っていた。
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