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ネヒロネが居間へ入ると、女性はソファから起き上がって、水差しの注ぎ口を直接くわえていた。女性に掛けていたブランケットは、ソファの下に落ちていた。
女性は、テーブルに伏せてあるコップには、一切気が付いていないようだった。
やがて一息ついたのか、女性は水差しをテーブルに置いた。その後、コップの存在に気が付き、「あら」と声を発していた。少しハスキーで、耳に心地よいアルトだった。
ネヒロネは、開きっ放しの居間のドアをノックした。
女性はノックの音のする、ネヒロネの方を向いた。
「オッドアイ、か。珍しいね」
女性の顔を見つめるネヒロネには、彼女のグリーンの左瞳、ブルーの右瞳が映っていた。グリーンの左瞳は、吸い込まれそうな、虹彩のネットワークに絡めとられてしまいそうな、見たことのないような輝きを放っていた。
「おっと、いきなり失礼だったかな。すまない」
「いいえ、とんでもありません。助けていただいたようで、感謝してもし切れません」
女性は深々と頭を下げた。
「ちょっとちょっと、大げさだよ。僕が助けたいから助けた、それだけで良くないかい? それから、僕の作った料理を食べてくれるともっと嬉しいのだが、いかがだろう?」
「ありがとうございます。でも、いただくわけにはいきません」
「そうか……まあ、無理やりは良くないな。せっかく作ったのだし、僕が自分で食べるとしよう」
ネヒロネはソファに腰を落として、バケットを一口齧り、スープを啜った。
「ああ、うまい。こういう時、僕は幸せを感じるんだ。労働で疲れた身体での食事。これ以上の幸せって、あまり無いと思うんだよ」
「ええ、本当に幸せそう」
「あなたはどんな時に幸せを……って、まだあなたの名前も訊いていなかった」
「私はアジガンダ。あなたのお名前も教えていただけるでしょうか?」
「僕はネヒロネ。アジガンダか、素敵な名前だね」
「ありがとう、ネヒロネ。ふふ、口に出すと元気が出そうな名前」
「ハハハ、何だそれ」
ひとしきり笑い合った後、ネヒロネはちょっとだけ上の方を向いて、少しの間だけ考えてから言った。
「あれ、何の話していたんだっけ、アジガンダ?」
「私が幸せに感じること?」
「ああ、そうだ。アジガンダは何に幸せを感じる?」
「私は……私は、水が飲めればそれが幸せ」
「水?」
「ええ、水を」
「そうか、水差しに口を直接付けて飲むほど好きだったのか……」
「ええ」
冗談交じりに言ったネヒロネだったが、アジガンダはあくまで真面目な顔をしていた。グリーンの左瞳が、何かを求めて怪しく光ったように、ネヒロネは感じた。
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