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「ねぇ、覚えてる?」
覚えてないよ、と私は返事をした。土曜日の昼下がり。待ち合わせ場所にしていたコンビニの前で、私達は立ち話をしていた。まだ何も言ってないのに、とフクちゃんはケラケラ笑って煙草に火をつけた。そのライターを私へ投げて寄越してくる。
「禁煙してるから」
十字架のごてごてした装飾の、趣味が悪くて高価そうなライターだった。キャッチボールみたいに私はフクちゃんへ投げて返す。
「えー、花さんアタシの誘い断りすぎじゃない?」
「煙草以外で何に誘われたっけ」
「五年前の今日、十二時十六分」
確認するためにスマホをポケットから出すと、時刻は十二時五分だった。
「アタシが花さんにフラれた日だよ、今日」
「そっか、もう五年か」
目の前をざあっと桜吹雪が駆け抜けていって、私は思わず瞬いた。
女子高で過ごした三年の間、私は幾度となく同級生や後輩から告白を受けた。平均よりも長身で、髪も長くするのがうざったくてショートにしていた事が災いしていたのかもしれない。ふわふわのマシュマロみたいな、真っ白で無垢な女の子達の夢見る視線は痛かった。告白されるだけならまだいいけれど、断った時に目の前で泣かれるのはあまりいい気分じゃない。閉鎖的な空間で必然だか事故だか分からない感情に、私達は苛まれる運命にある。けれど、私は女の子と恋愛する気がなかったので、そういう事と縁遠そうなフクちゃんとつるむようになった。
フクちゃんはクラスの中でも浮いていて、分かりやすすぎるくらいのギャルだった。私達をぎちぎちに縛っていた校則をものともせずに金髪に淡いピンクのインナーカラーを入れて登校してきたり、ピアス穴をしょっちゅう増やしたり、スカートも挑発的に短かった。ラメアイライナーの新作を見つける度に買っていて、私はたびたび彼女の買い物に付き合った。
よく停学にならないね、とフクちゃんに言ったら「アタシの親、たくさん寄付してるもん!」と屈託なくピースしてきたので、そういうもんか、と私は納得した。フクちゃんは同級生たちから「頭のネジが飛んでる異分子」と思われていて、そのフクちゃんとつるむ私もなんとなく「裏で悪い事をしている人」と思われるようになっていった。こうして私とフクちゃんはコンビを組む事で台風の目の中にいるように、静かな学校生活を送れるようになった。
当然、フクちゃんには彼氏がいるんだろうな、と私は思っていた。その割には放課後も、休日も、ほとんど私と一緒に遊んでいるんだよな、と首を捻っていた。謎が解けたのは、卒業式の日の帰り道だった。その年はかなり開花が早くて、私達は校舎から校門までの桜並木を「花びら口の中入った!」「おいしい?」「わかんない」なんて言い合いながら歩いていた。卒業証書の筒を取ったり付けたり、ぽんぽん言わせていたフクちゃんが「あのさ」と言った。
「大学違うとこになっちゃったよね」
「興味ある分野も、偏差値も違うから仕方がないよ」
「あ、さりげにアタシの事、バカって言ってるっしょ」
「言ってないのに自分で言っちゃ世話がない」
Fラン大学行ってあと四年は遊び倒す、と豪語していたフクちゃんと、就職に有利そうな大学と学部を厳選した私では、進路が分かれるのも仕方がない。
「フクちゃんといられて、楽しかった」
素直な感想を、私は伝えた。親の希望でおしとやかなお嬢様を養成する女子高へ入れられて、前後不覚の女子たちの熱視線に参っていた私にとって、落ち着いた居場所をくれたのがフクちゃんだった。その感謝の気持ちを、彼女に伝えたつもりだった。けれど、フクちゃんは立ち止まって、マシュマロ製の女の子の顔になった。
「大学別々でも、また遊んでくれる?」
「もちろん。メッセで日程とか決めれば大丈夫だろうし」
「……これからも一緒にいてくれる?」
私はちょっと黙ってしまった。自分の第六感を否定したくて、恐る恐るフクちゃんに訊いた。
「それはどういう意味の、一緒?」
フクちゃんは俯いた。卒業式だから、と気合を入れてレインボーメッシュを入れていた髪がフクちゃんの顔を隠した。それが、彼女の答えだった。ごめん、と最初に言ったのはフクちゃんだった。
「花さんがこういうの嫌いだって、知ってるのに。最後まで隠せなくて、ごめん」
泣いたりするのが一番嫌いって言ってたのに。そう声を震わせて、フクちゃんは両手で顔を覆ってしまった。私は、今までの学生生活で彼女に残酷な事をたくさん言ってしまったようだった。女の子が女の子を好きになるのは幻想だよ、幻想。それを一人で夢見る分にはいいけどさ、こっちには押し付けないでほしいよね。私が愚痴るたびに「ねー」とフクちゃんは相槌を打ってくれていた。「モテ女は大変だね」と言いながらケラケラ笑っていたのに、フクちゃんは傷ついていたのだろう。私は彼女の名前を呼んで、少しためらってから肩に触れた。
「ごめん、今まで苦しかったよね」
彼女はまだ顔を覆ったまま、首を横に振った。
「女の子から告白されるの、私、困ってただけだから」
嫌いとか、そんな強く否定するつもりはなくて。自分にしてははっきりしない言い方になって、もどかしくなる。
「大して私の事知らない人に告白されるのが不思議だっただけで、だから、フクちゃんの事を嫌いになったりはしない」
だから、はっきり言わなきゃいけない。私はフクちゃんが顔を上げてくれるのを待った。フクちゃんの目元は涙の痕に沿ってラメアイライナーが流れ溶けていて、真珠の涙を零してるみたいだった。
「私たちの友情は永遠だよ。だから、愛情には変わらない」
その後はお互いにわっと泣いて、ごめんねとありがとうを言い合った。私が人前で泣いたのは、幼稚園以来の事だった。それからもちゃんと連絡を取り合って、大人になった今でも「週末遊ぼ」「いいよ」とメッセを飛ばせる仲のままでいられて良かったと思っている。
「ねぇ、フクちゃん」
「なぁに、花さん」
「あの時の私の答え、フクちゃんを苦しめた?」
「うわ、超今更じゃん」
盛大に煙を吐きながらフクちゃんが噎せた。どうやら、笑っているらしい。
「こどもだったから、どうしたらいいのか分からなかったんだよね」
今年も、桜が早くも咲いている。道路向こうの並木で、ひらりひらりと桜の花びらが舞っていた。
「あ、じゃあ今ならアタシの心を優しく包んでくれる感じ?」
「カノジョちゃんに言いつけるよ」
「それはマジで喧嘩になるからダメ!」
「私も修羅場には巻き込まれたくない」
「じゃあ言うなし!」
フクちゃんが卒業式での出来事について話したのは今日が初めてだった。多分、彼女があの告白を思い出話として消化するまでに五年の歳月が必要だったのだろう。
「今なら何て言ってくれる?」
「私達の友情は永遠」
もう、とフクちゃんは大げさに溜め息を吐いてから言った。
「長い付き合いの中で、あの時の花さんが一番優しかったよ」
私はフクちゃんの方を見た。昔と変わらずにラメアイライナーで盛った目元が、人懐っこく笑っていた。
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