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「ねぇ、覚えてる?ツツジの匂い」
バッテリーが古いせいか耳に当てたスマホがほんのり熱を持っている。何世代落ちだってぐらい前の機種だからそれも仕方がないけれど。
私は陸也の言葉を待つ間、地べたに腰を下ろした。ハンカチもレジャーシートもひかず、真っ白いワンピースのままで。
「こっちは村中にツツジが咲いてるよ」
夕暮れ時の山の中腹、私と陸也がよく薪拾いをしていた丘はこの時間になると誰もいなくなる。
私の声だけが響いて、山とその下に広がる村に声が吸い込まれていく。
夕陽が目に入る。手に持っていた封筒で顔の前に影を作った。
「あー、そっかそっか。懐かしいな、槙野村といったらツツジだもんな。なんだっけあのオレンジのツツジ」
「レンゲツツジ」
私は眼下に咲くオレンジ色の花をみながらそう答えた。
「それ!レンゲツツジ!あの毒持ってる花!ばあちゃんが好きだったよな」
ばあちゃんといっても、陸也や私の血縁者ではない。この村に一軒しかない駄菓子屋のおばあちゃんはみんなのおばあちゃんだった。
おばあちゃんは物知りで、会うたびにいろんなことを教えてくれた。
土砂降りの翌日は夕焼けが綺麗なこと。
ニラと一緒に埋めるとトマトが病気になりにくいこと。
レンゲツツジには毒があるからあまり近寄るなと教えてくれたのもおばあちゃんだった。
「懐かしいわ、ばあちゃんなー」
陸也が語尾を伸ばして言葉を濁した。
伸ばした語尾の先にある言葉は陸也にしかわからない。5年前、おばあちゃんの訃報を伝えた時も陸也は同じように語尾を伸ばしていた。
電話口からは陸也の背景の音、車や人の雑音が絶え間なく聞こえる。陸也が黙ってしまったので私は別の話題を口に出した。
「……そっちは晴れてる?」
「ん?あぁ、晴れだよ。今は夕方だからあれだけど昼間は日差しがすごく強かった」
「そうなんだ。なんとなくだけど東京って日差し強い日なんてないと思ってた」
「ははは、どんな偏見だよ。普通に晴れるし雨も降るわ。東京もそっちと変わらんって」
「そうなんだね」
レンゲツツジから目を離し空をみあげた。
夕焼けがゆっくりと、でも確実に終わっていく。
「東京も槙野村も一緒やて」
槙野村から東京までの距離は約200キロ。
その200キロ分を包み込むように陸也は優しくつぶやいた。
その瞬間、風が吹いた。山の下、村の方から山へと吹き上げる突風だった。
草が鳴る。花が揺れる。枯葉が舞う。
枯葉は私の顔まで舞ってきて目を覆った。
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