あの人の

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「どうしてさ、漢字まで教えてくれなかったんだろ」  俺はしのぶを抱きしめ返した。 「そんなの簡単だよ。お前、自分の住所言ってみろよ」  しのぶは淡々と住所を答える。 「言ったけど?」 「ほら、自分だってその時に、わざわざ漢字でどう書くかなんて言わないだろ?」  しのぶは一瞬考えて、俺の首を締めるマネをした。 「それはキミが私の住所を知ってるからじゃん! 知らない人だったらちゃんと言うし」 「そんなことないって。今までに一回でも説明したことあるか?」  そう言うと、しのぶはやっと手の力を抜いてくれた。少しむくれて、俺から離れようとする。俺は慌ててしのぶを捕まえた。せっかくの温もりを逃したくはない。 「まあ、時間がなかったんだろうよ」 「そうね」  しのぶがそう呟くと、再び静寂が訪れた。 「もしかしたら、こうして私たちに話題を提供してくれてたのかもしれないね」 「まさか」 「でも、そう考えたら素敵じゃない」 「……そうだな」  そうして俺たちは、入り口の向こうで横たわっているはずのあの人を想った。
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