彼女の声が聞こえるから

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「ねえ、覚えてる?」  温泉旅館の豪勢な畳敷きの和室で寝転がっていると、彼女から尋ねられた。 「ああ、ちゃんと覚えてるともさ」  誰に気を遣うでもない一人旅。湯上がりの僕は旅行の楽しさもあり、上機嫌に答えた。 「キミこそ覚えているかい? 例えば、三年前のキャンプ。キミに話しかけられてさ……」  彼女からの返事はない。しかし、僕はこれまでの彼女との思い出を懐かしみながら話した。  いつからか、彼女に対して話しかけることが多くなった。  彼女は聞いてくれているのか、聞いていないのか判断ができない。ただ、僕には確かに彼女が傍にいてくれるような気配を感じていた。  四十歳を過ぎた僕は、独り身で余りつつある時間とお金を、一人旅に費やすことが多くなった。  旅行は良い。誰に気兼ねすること無く彼女に話ができる。もし外で彼女に声をかけているのを見られたとしても旅の恥はかき捨て。その誰かと二度と会うことはないのだから気にする必要もない。  僕が思い出話を終えると、彼女は決まって、 「ねえ、覚えてる?」  と尋ねてくる。 「ああ、覚えてるよ。そして、今日のことも忘れないよ」  と、愛を囁くように甘ったるく僕は答えた。
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