最後の女

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「ねぇ、覚えてる? この顔」 意味ありげに微笑む女に、貴哉の心臓は派手な音をたてた。 ああ、いい女だ。 めちゃくちゃ好みだ。 昨日引っかけた女子大生、おととい声をかけてきたバーの女── 様々な行きずりの美女が脳裏をめぐったが、これほど好みの女は思い浮かばない。 (けど記憶にない) 「覚えてる?」と訊ねてきたということは、この女は過去に貴哉と会っているはずだ。 くそ、どこだ? どこで出会った? 1ヶ月前──いや、あのときの女はもっと垂れ目だった。 3週間前──あの女はもっとぽっちゃりしていたはずだ。 「……残念、思い出せないみたいだね」 「そんなことはない! ちゃんと覚えているって!」 「じゃあ、いつ私と会ったか言ってみて」 「そ、それは……」 くそ、いつだ? なぜこんな好みドストライクの顔を覚えていない? ──いや、待て。少し落ちつこう。 普段の自分ならこの顔を忘れるはずがない。 ということは「通常時ではなかった」ということではないのか? (そういえば、3ヶ月くらい前……) 目が覚めたらラブホで寝ていたことがあった。 あのときのベッドの形跡から、前の夜はかなりお楽しみだったはずなのだが、なにぶん泥酔していたので相手の顔をまるで覚えていなかったのだ。 (そうか、あのときの女か) こんないい女が相手をしてくれていたのに、覚えていないとはもったいないことをしたものだ。 「あら、思い出した?」 「当然だろう? 君みたいな素敵な人のこと、忘れるはずがないさ」 貴哉は、これまで何人もの女性たちを落としてきた取っておきの笑顔を浮かべてみせた。 「君と会うのは3ヶ月ぶりだ。あの夜は楽しかったね」 「そう? 私は、あなたと楽しい夜を過ごした覚えはないんだけど」 ──なに? 「それに、あなたと会ったのはもっと前よ。3ヶ月なんてつい最近じゃない」 「そ、そうだったかな? 俺のなかでは3ヶ月前くらいなんだけど」 まずい、間違えた。 じゃあ、いつだ? どこでこの女と出会ったんだ? かろうじて笑顔を保ちつつも、貴哉は必死に記憶の糸を辿る。 (3ヶ月より前──それは確実だ) となると半年前か? 一年前か? ああ、なぜだ、なぜ思い出せない? 苛立つ貴哉の目の前で、女性は悲しそうに視線を落とした。 「もういいよ、本当のことを言って」 「違っ……俺は……」 「私のこと覚えていないんでしょう? 正直に言って」 長いまつ毛が、わずかに震える。 その瞬間、貴哉は「あ……」と声をあげた。 「仲本……」 「え……」 「そうだよ、君、仲本だよな? 小学生のとき同じクラスだった」 ああ、バカだ。 なぜ今の今まで思い出せなかったのか。 「去年のクラス会以来だよな、君に会うの。俺、ずっとずっと再会するの、楽しみにしていて……」 そう、これは嘘じゃない。 クラス会の連絡が来たとき、貴哉の胸は間違いなく高鳴ったのだ。 彼女──仲本ユミカは、初恋の人だったから。 大人になった彼女がどんな女性になっているのか、ずっと気になっていたから。 「でも、あのときはぜんぜん話せなくて……俺、緊張しすぎてキッカケすら掴めなくて……」 ああ、どんどん記憶がよみがえってくる。 一年前のクラス会。 大勢の男たちに囲まれていた、初恋の女性。 そこに加われなかった、不甲斐ない自分。 「そうだよ、それがあまりにも悔しくて……どうしても、たった一言だけでもいいから君と話をしたくて……」 そう、だから── 「俺は『死神』と契約を……」 ぽろりとこぼれた言葉に、貴哉はハッとした。 なんだ、今のは。 俺は今、何を口走った? 「よかった。やっと思いだしてくれたみたいね」 気がつくと、目の前の女は満面の笑顔を浮かべていた。 この顔、仲本──いや、彼女は「仲本」ではない。 「ねえ、覚えてる? はじめて私と会ったとき、あなたはこう言ったのよ。『お願いだ、もう少しだけ時間をくれ。君にそっくりの初恋の人と、たった一言だけでいいから話をしたいんだ』──」 そうだ、言った。 たしかに自分はそんな「お願い」をした── そのとたん、貴哉の脳裏に様々な映像がよみがえる。 一年前のクラス会。 懐かしい初恋の相手。 意気地のない自分。 帰り道の、不運な事故。 反転した世界。 近づいてくる救急車の音。 そんななかあらわれた、初恋の彼女そっくりの──死神。 「あなたのささやかな願いを叶えるため、私は一年の猶予をあげたわよね。ほら、こう見えて私、けっこうロマンティストだし」 それに、あのとき泣きながら土下座したあなたが、あまりにもみじめで可哀想だったから。 だから叶えてあげたのよ、と彼女は笑った。 「でも、生き返ったあなたってば、人が変わったように『一夜限りの恋』にばかり溺れていたわよね? 初恋の人のことなんて、ちーっとも思い出さないで」 「そんなことない! 俺は、本当に彼女と話がしたくて……」 「そのわりに、すぐに思い出せなかったでしょ、この顔」 彼女の笑みに、皮肉げな色が混じった。 「そりゃ、契約に関する記憶は思い出せないように封じたけどね。それ以外はそのままよ。『初恋の彼女』の記憶には一切手を加えていない」 (ああ、くそ……そうだろうよ) 一年前のある朝。 貴哉は、いきなり何の脈絡もなくこう思ったのだ。 ──「誰かに、声をかけなければ」 大事な人だ。 おそらく女性だ。 その人を見つけ出して、声をかけなければ。 ただ、どんなに考えても、その相手が誰なのかわからなかった。 そこで、貴哉は気になった女性に片っ端から声をかけまくったのだ。 その結果、世界が一変した。 控えめだった貴哉の女性遍歴は、たった数ヶ月で両手でも足りないほどふくれあがった。 もしかして俺は「モテる部類」の人間なのだろうか。 俺が本気を出せば、落ちない女はいないのでは? そうして、気づけば一年が経っていた。 せっかく与えられた猶予期間は、どうでもいい女性たちに費やされてしまったのだ。 「よかったわ、ちゃーんと思い出せたみたいで」 目の前の女は、一年前と同じ笑みを浮かべた。 「では答えて。この顔、覚えてる?」 「……ああ」 初恋の人とよく似た面差し。 大事なようでいて、ついさっきまで忘れていたもの。 「そう、私は死神。あなたの未練。そして……」 あなたが出会った、最後の女。
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