『家族』

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「ねえ、覚えている?今日がお母さんの死んだ日って」  覚えているはずがなかった。  母さんの臨床に一度も立ち会わなかった僕が、そんなことを覚えているはずがなかった。  母さんが病に伏し、そして死んでからちょうど3年の月日が経ったこの日。この日に僕が帰って来たのはただの偶然であった。母さんが死んだ日と知ってて帰って来たわけではない。ただ仕事の出張が偶然近くにあっただけに過ぎず、ならついでに墓参りでもしようと思っただけのことであった。  だから姉さんまでもが実家に帰ってきていることには驚いた。普通の良心的な子供であればここで驚いたりはしなかったのだろうけど。 「そう。あんたは親孝行者ね」 「それは皮肉か何かかい?」 「違うわよ。文面通りの意味よ。あんたはちゃんとお母さんの望んだ通り、お母さんのことを忘れて生きているのだもの」  母の墓標の前に線香を刺しながら、そう姉さんは言った。 「私が死んでもそうして欲しい。私を忘れて生きて欲しい。でも、あんたなら心配なさそうね」  それが一番記憶に残っている姉さんとの最後の記憶。  姉さんが死んだのはその3年後のことであった。  自殺であった。 「芸術家とっては自分の命すらもアートの道具である」  葬儀の最中、姉さんがそんな過大なことを言っていたこと思い出す。  姉さんが死ぬ直前まで描いていた一枚の絵画。彼女の死と共に大々的にメディアにより報道され、このご時世には珍しくたった一枚の絵画が世間を騒がせることとなった。 「どうせ作るなら多くの人の記憶に残るようなものを作りたい」  変わり者の姉さんであったが、そんな俗なことを言っていたことも思い出す。姉さんは自分の美術における技量の全てと、自身の命を使って多くの人の記憶に焼き付けられる作品を作り上げた。  もちろん僕の記憶にも。  その作品は焼き付いている。   「忘れて欲しいのか、覚えていて欲しいのか、どっちなんだよ」  葬儀が終わり、もう地面の下に埋まってしまった姉さんを見て僕はそう嘯く。母さんの隣の墓標だ。ここであの言葉を聞いたのだ。私を忘れて欲しいと姉さんは言ったのだ。  しかし、最後にあんな作品を残しておいて、その言葉を真に受けることなど僕にはできない。 「母さんはどっちだと思う?」  隣に姉さんがいるにもかかわらずそう母さんの方に聞く。ならば直接姉さんに聞けばいいのではないかとも思うが、姉さんのことだからきっと素直な返事なんてしてくれないだろう。  もちろんどちらにしろ、誰も僕の質問に答えてはくれない。こんなのはただの独り言だ。  それでも何故か久々に家族3人の団欒を行えたような気がした。
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