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「――知ってたよ」
打ち明けたあの日、姉貴はそう微笑んだ。
何で、いつから、どうして……
まさか姉貴が気付いていたなんて思いも寄らなくて、動揺のあまり問い詰めてしまった。
それでも姉貴は落ち着いていて、
「中学3年くらいの頃だったかな……その時は、まだぼんやり程度だったんだけど……ハッキリと自覚出来たのは、高校に進学した直後だった」
「…………ッ、何で……黙ってたんだよ」
俺の知らないところで、姉貴は泣いていた。苦しんでいた。それを思うと悔しくて、自分が恥ずかしかった。
そんな俺の気持ちをいとも容易く察した姉貴は、俯く俺の両頬に手を添えて、
「自分を責めないで、蛍。自覚しても、ずっと黙っていたのはね……もう少し、此処にいたかったからなの」
――蛍と鈴美さん、3人で過ごす時間があまりにも楽しくて。
その気持ちは、解らなくもなかった。
姉貴を悲しませたくなかったのもあるが……俺も、ずっと黙っていたのは――3人で過ごす日々が、思いの外楽しかったからだった。
「それにね、後悔なんてないよ。今があるから潔さんにも会えて、彼と結婚することも出来たんだから」
潔さん――というのは、鈴美さんが姉貴に紹介した男性のことだ。
姉貴が高校に進学した頃の夏。何気ない会話から子供の頃の夢の話題へと発展して、「素敵な恋をして、お嫁さんになるのが夢だったんですよ」と打ち明けた姉貴の話から、鈴美さんが連れて来たのだ。
美大時代の後輩で建築家だというその人は、少し絵の具の匂いが漂っていた。顔は普通だったけど気さくで善い人で、姉貴を初めて見た時は何処か照れくさそうに頭を掻いていた。
姉貴もそんな彼を気に入って、何度か会うようになり――3年の月日を経て、遂に結婚するところまでいった。
「だから私、幸せだよ」
そう微笑んで、夜が明けて。
白い正装を身に纏った姉貴と潔さんは、朝の光に包まれる教会で式を挙げた。
ヴァージンロードを歩いて、教会の扉を開けた先に――2人は朝の光に包み込まれ、消えて行った。
これでもう、俺が思い残すことは何もない。
「…………ッ、鈴美さん」
「ん?」
「ありがとう、ございました……」
「気にしないで、私たちの仲じゃない」
らしくなく涙ぐみ鼻を啜ってしまった俺に微笑むと、2人が行った先に視線を戻して、
「綺麗だったね……舞ちゃん」
「はい…………」
「…………寂しく、なっちゃうなぁ」
あんなに小さかったのにね、と力なく笑う鈴美さん。彼女が言葉の裏側で何を想っていたのか、俺にはもう解っていた。
――鈴美さんに想いを伝えるまで、まだこっちに来ちゃダメだからね?
寝る前に姉貴に言われた言葉が、頭に木霊した。
確かに思い残すことは、もう何もない。
だけどあと1つ、1つだけ…………
「あの、鈴美さん」
「ん、何?」
「今度……その、何か……お礼させて貰えませんか?」
すると鈴美さんは驚いたように目を丸くして、
「えっ、そんな良いよ!? 若者が気を遣うんじゃありませんっ!」
アンタも若モンだろ……まぁ確かに10歳も離れているけど。俺にとっちゃ、出会った頃とあまり変わっていない。だから……
「気を遣ってるんじゃなくて。俺が、アンタに何かしたいんです」
逃さないように、年上らしく振る舞おうとする彼女を見つめ捕らえる。逃げられるモンなら逃げてみろ。
うぐっ……と息を呑み、やがて頬も耳も紅く染めて顔を俯かせると。
「じゃあ……水族館、一緒に行かない?」
「水族館、ですか」
「うん。弟が好きだった場所なんだけど……あの子が死んでから一度も行ったことがなくて……久々に行きたいなぁって、思ってたところなの」
あぁ、そういえば……この人には弟さんがいたんだっけか。
生きていたら、俺たちと同い年くらいだったこと。
イジメを苦に自殺してしまったこと。
何もしてあげられなかった自分に憤り、悔いたこと。
その想いからか、俺たちと弟さんを重ねてしまいお節介を焼いてしまっていたこと。
「どうして俺たちに世話を焼くのか」と不躾に尋ねた幼かった頃の俺に、鈴美さんはそうして明かしてくれた。
その微笑みは、いつもの明るくハキハキとしたものじゃなくて……困ったような、悲しそうな、憂いを帯びたものだった。
あの時から、俺の中で鈴美さんに対する想いが少しずつ変わっていった。
そして彼女も変わろうとしていて、向き合おうとしている。
そんな彼女の力になれるのなら、これほど嬉しいことはなかった。
「行きましょう、来週の休みにでも。予定、絶対に空けときますから」
「――うん。ありがとう、蛍くん」
向かい合って、手を繋ぎ合って。それでも俺たちは顔を寄せ合うことはなかった。
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