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帰り路――なるべくゆっくり歩いて、俺たちはいろんな話をした。
「懐かしいねぇ。こんな感じで夕暮れ時に、小学生だった貴方と舞ちゃんとで時たま帰ったこと」
「その後、カレーとか作ってくれたりして食べにおいでって言ってくれたこと。覚えてます?」
「あははっ、覚えてる覚えてる。舞ちゃん、喜んで食べてくれて、おかわりまでしてくれてたっけなぁ……蛍くんは仏頂面で黙々と食べてたけど」
「元々こういう顔なんで。それに、ちゃんとおかわりしたでしょう」
「そうね。美味しかった、ていう証ね」
そんな他愛ない話を、たくさんした。
小学校時代の運動会の50メートル走で、コケて足を擦りむいても、頑張って走り切ったこと。
俺たち姉弟の遠足に持っていく弁当のおかずを作ってくれたこと。
バレンタインデーのチョコの作り方を姉貴に教えてくれた時のこと。
鈴美さんに勧められて、初めて珈琲を飲んでみて……顔を顰めた時のこと。
さっきまでの水族館での会話が、まるで嘘のように思えてくるほどに。俺たちの間で繰り広げられていた会話は、買い物からの帰り路でするような、平々凡々で……他愛ない思い出話ばかりだった。
そうこうしている内に、住んでいた部屋を通り過ぎて。鈴美さんの部屋まで辿り着いてしまった。
それでもまだ、俺たちは手を離さなかった。
何も言えずに、ただ沈黙が続いてしまった。
だから俺から、さよならを告げることにした。
「鈴美さん」
「なに?」
「長生き、して下さいね」
すると鈴美さんは目を見開いて、
「言われなくても。蛍くんよりずっとイイ人見つけて、しわくちゃのおばあちゃんになるまで生きてやるんだから」
ニカッと彼女らしい笑顔を前に、俺の頬は自然と綻んだ。
「そうして下さい」
俺のことなんか忘れて、幸せになって下さい。
アンタがたくさん、今までのことを覚えててくれただけで……俺も姉貴も、幸せですから。
徐々に、確かな感覚がなくなっていき――透き通っていく。
お経は……唱えて貰わなくて良いか。この人がそういう家の出だということを明かさなかった想いを護りたいのもあったし、彼女はあくまで視えて物に生命を吹き込むくらいの力しかないことなんて……ずっと前から気付いていたから。
何より、それがなくても姉貴は旅立てたんだ。
俺も、きっと大丈夫な気がする。
「……ねぇ、蛍くん」
「はい」
「私――貴方のことが好きだったよ」
「……俺も」
アンタのことが、好きでした。
その言葉を最期に、確かなぬくもりがなくなった。
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