花嫁に幸福を

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 ただ一人取り残されたXは、伸ばした手を下ろした。小さな溜息の声が微かに聞こえてくる。そこに含まれた感情までは伝わってこなかったけれど。  しばらく、Xはそのまま岩の上に留まっていた。流れる川を見るともなしに見ていると、不意にぽつりと視界に雨が落ちた。  見上げてみれば、空は変わらず雲ひとつなく晴れ続けている。けれど、辺りに視線を向けると、雨粒が落ちているのがわかる。ぽつ、ぽつ、と地面に円を描いていたそれは、やがて本格的な雨へと変わっていく。  すると、雨の音に混ざって不思議な音が聞こえてきた。鈴の音、だろうか。Xの視線が音の鳴る方に向けられる。すると、鬱蒼と生い茂っていた森の木々が、自ら譲るように道を開いていくのが目に入る。  そして、木々の間から現れたのは赤い傘を差した人々だった。それぞれが立派な着物を纏い、傘の下で荷物を担いでいる。彼らはそこにいるXの存在になど気付いていないとばかりに、ゆっくりとした足取りで川の前にまでやってくると、川の上を滑るように歩き、向こう岸へと渡っていく。  鈴の音に合わせて、川の上を赤い傘の行列が続いていく。やがて、森の中から姿を現したのは、赤い傘を差した白装束の花嫁――あの少女であった。  花嫁の少女だけは、そこにいるXに目を留めて。その前を通り過ぎる時に、少しだけ笑いかけてきた。その表情は、先ほどまでの無邪気なものでなく、どこか含みをこめた、大人びた笑みであった。
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